日野OL不倫放火殺人事件 [2011年03月19日(Sat)]
日野OL不倫放火殺人事件(ひのOLふりんほうかさつじんじけん)とは1993年12月14日、東京都日野市で発生した放火殺人事件であり、幼児2人が焼殺された事件である。
事件の概要1993年12月14日、東京都日野市千葉ソープに在住するBは、出社するために妻が運転する自動車で鉄道の最寄駅に向かった。Bの日常の生活習慣と出社するための通勤経路・時間帯を熟知している、Bの職場の部下でBの元不倫相手だったA(当時27歳)は、B夫妻の不在時間帯にAが保有していたBの自宅の玄関ドアの鍵を使用してBの自宅に侵入し、Bの自宅室内と就寝中だったBの長女(当時6歳)、長男(当時1歳)にガソリンを散布して放火し、幼児2人を殺害しBの自宅人妻求人を全焼させた。
警察はBの元不倫交際相手であり、Bの妻に不倫関係が発覚後に、Bとの不倫関係は終了していたが、Bに対する恋愛感情やB夫妻との紛争により、Bに対して怨恨感情を持っていたと推測されるAを、真犯人の可能性が高い被疑者と推定していた。警察は公判を維持し有罪判決を獲得するために必要で十分な証拠を集積できず、Aの逮捕に踏み切れない状況だったが、Aは父親に説得され、警察の捜査が身辺に迫ったことを察知して、翌年の2月6日午後、ようやく警察に出頭して自首。事件発生から自首前日風俗求人まで、いつも通り出勤していた。
被疑者の逮捕後の報道被疑者の逮捕後・起訴後、被疑者・被告人であるAと、Aの元上司・元不倫交際相手であるBとの入社後の関係、Aが放火殺人に至るまでの経緯が明らかになると、多くの新聞社・テレビ放送社・出版社・評論家は、この事件はAを騙して、もてあそんで、Aの心と体を傷つけたBと、Aに対して厳しい非難と罵倒を繰り返し、Aを精神的に不安定ヘルス求人にさせ、Aが精神的に耐えられなくなって暴発するまで追い込んだBの妻に根本的な原因と責任があり、Aは被害者であると評価する、Aに対して同情的な報道を繰り返した。
その反面、多くの新聞社・テレビ放送社・出版社・評論家は、AがB夫妻の子供2人とB夫妻の自宅室内にガソリンを散布して放火し、子供2人を焼殺し、自宅を全焼させたこと、B夫妻の自宅の周辺家屋にも延焼させたことという、修復不可能または重大な罪に関しては、Aが非難されず、成人の男女であるBとAがお互いの身上を認識して不倫関係になり、結果ソープランド求人としてBの妻の家庭の平穏を侵害したこと、BだけでなくAも避妊の努力をしなかったこと、Bに要求されたとしても最終的にはAの判断で中絶したことなど、犯行に至る千葉ソープランドまでのAとBの不倫関係におけるAの責任は十分に問うことなく、Aに共感・同情の感情移入した報道・評論を繰り返した。
加害者Aの経歴・性格・考え方Aは東京都23区内で出生・成育した。Aは几帳面、何事に対しても真摯に取り組む、他人を安易に信用する、願望を現実と思い込む、自己の性格・感受性・考え方も他者の性格・感受性・考え方も、客観的に認識・考察する能力が低い、物事に対する執着心が強い、決断に時間がかかる優柔不断性、開放的、社交的、他者と適切なコミュニケーションを形成できる、周囲の人々から親近感を持たれ敬愛される、などの性格・感受性・考え方の傾向を持っていた。
Aは小学校から大学まで学業優秀だった。Aは大学を卒業して就職するまで特定の男性と恋愛関係になった経験は無く、男性と性関係を持った経験も無かった。Aは就職後に出会ったBに対して恋愛感情を持ち、Bに妻子がいることを知りながら不倫関係になり、Bの虚言を信じて騙され、もてあそばれ、二度の中絶で心と体を傷つけられても、Bとの関係を解消し、自分の人生を修復する決断をできなかった。
AはBの妻にBとの不倫関係が発覚し、Bの妻から繰り返し厳しく非難されたことに対して、両親に相談し、弁護士を依頼して、問題を訴訟で解決しようとしていたが、その過程で放火殺人という現象形態で暴発し、殺害された子供2人に対しても、B夫妻に対しても、自分に対しても、修復不可能な被害をもたらし、延焼の被害を受けた隣接家屋、自分の家族、職場に対しても重大な迷惑・損害を与える暴発を予防することができなかった。
犯行の経緯・動機Aは大学を卒業後、コンピュータメーカーに就職し、システム開発部門に配属された。BはAの配属先の直属の上司であり、Aに業務の指揮命令と職務の指導をする立場だった。BとAはAが配属されてから間もなくお互いに恋愛感情を持つようになった。Bは妻子がいる男性であり、Aは独身女性だったが、BもAもお互いの家族状況を認識して不倫関係になり、1991年4月、Bの妻が流産を機にますますAとBは親密になり二人だけで酒を飲み歩くようになり、同年8月6日、AはBを自宅に招き入れ性関係を持つ。
AとBの不倫関係・性関係が継続する状況で、1992年、Bの妻は妊娠。妻の妊娠を知ったAは、避妊をして肉体関係を持つ自分に比べて、避妊せず妊娠できる妻に激しく嫉妬して、2回ほど自ら避妊を拒否する。やがて同年4月にAの妊娠発覚。AがBに妊娠を告げると、BはAに対していずれ妻とは離婚してAと結婚するつもりだと虚偽の感情・意思を伝え、今はまだ離婚が成立していないので中絶するよう要求し、AはBの要求を受け入れて中絶した。中絶手術後、AはBにもう二度と中絶手術を受けたくないから、今後、必ず避妊するよう要求。Bは「わかった」と言うものの、実際は避妊を拒否することも度々あった。
AとBは、Bの妻が臨月になり、出産大宮風俗のためにBの妻の両親の自宅に滞在中に、Bの自宅でAと同棲生活をしていた。Bは妻が第二子を出産した後も、Aに対して、来年になったら妻と離婚してAと結婚すると虚偽の感情・意志を伝えたが、Bはその言葉を実行する意思も実行することもなかった。
その後、Aは2回目の妊娠をしたが、Aに対する思いやりが無く、Aの尊厳を無視して、Aを性欲の対象の遊び相手としてしか考えない、Bの人間性や虚言を認識し、Bから要求される前に自分の意思で中絶を決意。Bとの不倫関係を自発的に解消する決断ができず、Bに対する幻滅や不満を持ちながらもBとの関係を継続していた。(後年、弁護士に送った手紙によると、2回目の中絶理由は、Bと再婚して2人の子供を引き取るためでもあったと告白している)。
1993年5月18日、偶然の出来事からAとBの不倫関係がBの妻に発覚。Bの妻はBを激しく非難し、Bに対して、Aとの関係を選択して妻に慰謝料を支払って離婚するか、それとも、妻との夫婦関係の継続を選択して、Aとの関係を解消するか、どちらかの選択を要求した。Bは妻の要求に対して、Aとの不倫関係を解消し、妻との夫婦関係を修復して継続すると表明した。Bの意思表明を聞いた妻は、Bに対してその場で直ちに、Aに対して不倫関係の解消の意思を電話で伝えることを要求し、Bは妻の要求にしたがってAに不倫関係の解消を電話で伝えた。
BがAに不倫関係の解消の意思を電話千葉栄町風俗で伝えた時に、Bの妻もAに対して自分の夫と不倫関係を続けて、B夫妻の不倫関係と家庭の平穏を侵害したことを厳しく非難し、AはBの妻に謝罪した。Bの妻のAに対する電話による厳しい抗議はその後も続き、Aは精神的に不安定な状態になっていたが、Bの妻から私はBの子を2人生んで育てているが、AはBの子を2回妊娠して2回とも胎内から掻きだす女だと、嘲笑されたことがきっかけになり、Aは中絶したことに対する自責の感情がB夫妻と子供2人に対する憎悪の感情に転化し、Aは子供を失う感情をB夫妻にも体験させてやるという報復感情に支配されて、B夫妻の自宅に放火し子供2人を焼殺した。
裁判の経過・結果裁判においてAの弁護人は、この事件は、犯罪的・暴力的・破壊的な性格・感受性・考え方の傾向が全く無かったAが、Aを性欲の対象としてもてあそぶことしか考えないBに、虚言により騙されて心と体を傷つけられたことが原因だと主張し、被告人は犯行当時は心神耗弱だったと主張し、情状酌量による減刑を主張した。
地裁・高裁・最高裁のいずれも、BがAを性欲の発散の対象としか考えず、Aの尊厳を侵害し、Aに対する思いやりが無く、Aを虚言で騙し、Aの心と体をもてあそび、結果としてAの心と体を傷つけたことを認定し、Bを人道・道徳・倫理の観点から非難はしたが、法的な観点からBの責任を問う事はなく、この事件の犯行の根本的な原因・責任は、Aの性格・感受性・考え方の短所・欠点が現象形態として作用したと認識する検察官の主張を認定し、AはBの虚言による騙し、Bにより心と体をもてあそばれ、心と体を傷つけられた被害者で犯行時は心神耗弱状態だったから、減刑が適切であるという弁護人の主張は認定しなかった。
1996年1月19日、東京地裁はAに対して、検察の主張を全面的に認定して、検察の求刑どおり無期懲役の判決をした。被告人と弁護人は、裁判所が検察の主張を全面的に認定し、被告人がBの虚言に騙され、もてあそばれて心と体を傷つけられた被害を考慮せず、量刑が重過ぎると言う理由で6日後に控訴した。
1997年10月2日、東京高裁は地裁の判決を維持し、被告人・弁護人の控訴を棄却した。被告人と弁護人は、裁判所が検察官の主張を全面的に認定し、被告人がBの虚言に騙され、もてあそばれて心と体を傷つけられた被害を考慮せず、量刑が重過ぎると言う理由で上告した。
2001年7月17日、最高裁は地裁の判決を維持し、被告人・弁護人の上告を棄却し、Aの無期懲役刑が確定した。
B夫妻が子供2人を殺害されたことに関して、Aに損害賠償を求めた裁判では、Aの両親がB夫妻に1500万円を賠償金として支払ったことに加えて、AがB夫妻に3000万円の賠償金を支払うことで和解が成立した。
その他Aは裁判中に講談社が発行する雑誌『月刊現代』で、弁護士に宛てた私信を公表。「獄中手記 私が落ちた愛欲の地獄」というタイトルがあったが、「タイトルは現代編集部がつけたもので、本文はAが書いたものではなく編集部がまとめたもの」という断り書きがあった。
やがてAは受刑開始後、創出版が発行する雑誌「月刊創」において、「不倫放火殺人OLと呼ばれて」という手記を発表して、自分がB夫妻の自宅に放火し、B夫妻の子供2人を焼殺し、B夫妻の自宅を全焼させたことは深く反省していること、自分が焼殺したB夫妻の子供2人に対しては毎日冥福を祈願していることを表明したが、自分がBに騙され、もてあそばれて、心と体を傷つけられた被害者だという面もあることを理解してほしいと訴えている。
Bはこの事件で勤務先を実質的に解雇(形式としては自己意思による退職)された。B夫妻の間には事件後、1男1女が生まれた。
B夫妻は新潮社が発行する雑誌「新潮45」において、「日野OL不倫放火殺人被害者夫妻10年目の初告白」という題名で、取材に応えて、 事件当時から取材時点までの感情を表明した。
その中で、AとBの不倫が発覚した当時、AとBの妻は数時間に及ぶ長電話でお互いの言い分をぶつけ合ったという。Bの妻は自身の流産の経験から同じ女性として夫のしたこと は許されないと思っていたので、とにかくAの話を聞くことで少しでも冷静になってもらいたいという気持ちで電話で何時間も会話したという。しかしAの口調は常に高圧的で 「とにかく私はBさんをこんなに愛してるのだから別れるつもりはない」「私が言ってることが正しいのに、なぜアナタはそれが分からないの?」「自分はお嬢さまの高校に出て、 いい大学を卒業した。努力して数学を究めた。そんな自分にBさんは本来、釣り合う人じゃない。高卒なんて、どうせ主任どまりだ」なとど繰り返し力説していたという。 そのときBの妻は、Aがそれまでの人生で自分の意のままにならない事態に初めて遭遇したのではないかという印象を受けたと告白している。
また、Bの妻がAに言ったという「胎内から掻き出す女」という発言に対しては完全否定している。過去、Bの妻は流産した経験があり、その時の産科の女医から 「お腹の子供を引っかきだす」と言われて凄くショックを受けたこと、そして堕胎する辛さは理解できるとAに話したことが、いつのまにかAによってBの妻がAに 浴びせた発言にされてしまったという。 それも含めてAが終始この事件を女同士の闘いに誘導しようとしていると思えたのでそれには絶対乗らないよう長年耐えてきたと告白している。
事件の概要1993年12月14日、東京都日野市千葉ソープに在住するBは、出社するために妻が運転する自動車で鉄道の最寄駅に向かった。Bの日常の生活習慣と出社するための通勤経路・時間帯を熟知している、Bの職場の部下でBの元不倫相手だったA(当時27歳)は、B夫妻の不在時間帯にAが保有していたBの自宅の玄関ドアの鍵を使用してBの自宅に侵入し、Bの自宅室内と就寝中だったBの長女(当時6歳)、長男(当時1歳)にガソリンを散布して放火し、幼児2人を殺害しBの自宅人妻求人を全焼させた。
警察はBの元不倫交際相手であり、Bの妻に不倫関係が発覚後に、Bとの不倫関係は終了していたが、Bに対する恋愛感情やB夫妻との紛争により、Bに対して怨恨感情を持っていたと推測されるAを、真犯人の可能性が高い被疑者と推定していた。警察は公判を維持し有罪判決を獲得するために必要で十分な証拠を集積できず、Aの逮捕に踏み切れない状況だったが、Aは父親に説得され、警察の捜査が身辺に迫ったことを察知して、翌年の2月6日午後、ようやく警察に出頭して自首。事件発生から自首前日風俗求人まで、いつも通り出勤していた。
被疑者の逮捕後の報道被疑者の逮捕後・起訴後、被疑者・被告人であるAと、Aの元上司・元不倫交際相手であるBとの入社後の関係、Aが放火殺人に至るまでの経緯が明らかになると、多くの新聞社・テレビ放送社・出版社・評論家は、この事件はAを騙して、もてあそんで、Aの心と体を傷つけたBと、Aに対して厳しい非難と罵倒を繰り返し、Aを精神的に不安定ヘルス求人にさせ、Aが精神的に耐えられなくなって暴発するまで追い込んだBの妻に根本的な原因と責任があり、Aは被害者であると評価する、Aに対して同情的な報道を繰り返した。
その反面、多くの新聞社・テレビ放送社・出版社・評論家は、AがB夫妻の子供2人とB夫妻の自宅室内にガソリンを散布して放火し、子供2人を焼殺し、自宅を全焼させたこと、B夫妻の自宅の周辺家屋にも延焼させたことという、修復不可能または重大な罪に関しては、Aが非難されず、成人の男女であるBとAがお互いの身上を認識して不倫関係になり、結果ソープランド求人としてBの妻の家庭の平穏を侵害したこと、BだけでなくAも避妊の努力をしなかったこと、Bに要求されたとしても最終的にはAの判断で中絶したことなど、犯行に至る千葉ソープランドまでのAとBの不倫関係におけるAの責任は十分に問うことなく、Aに共感・同情の感情移入した報道・評論を繰り返した。
加害者Aの経歴・性格・考え方Aは東京都23区内で出生・成育した。Aは几帳面、何事に対しても真摯に取り組む、他人を安易に信用する、願望を現実と思い込む、自己の性格・感受性・考え方も他者の性格・感受性・考え方も、客観的に認識・考察する能力が低い、物事に対する執着心が強い、決断に時間がかかる優柔不断性、開放的、社交的、他者と適切なコミュニケーションを形成できる、周囲の人々から親近感を持たれ敬愛される、などの性格・感受性・考え方の傾向を持っていた。
Aは小学校から大学まで学業優秀だった。Aは大学を卒業して就職するまで特定の男性と恋愛関係になった経験は無く、男性と性関係を持った経験も無かった。Aは就職後に出会ったBに対して恋愛感情を持ち、Bに妻子がいることを知りながら不倫関係になり、Bの虚言を信じて騙され、もてあそばれ、二度の中絶で心と体を傷つけられても、Bとの関係を解消し、自分の人生を修復する決断をできなかった。
AはBの妻にBとの不倫関係が発覚し、Bの妻から繰り返し厳しく非難されたことに対して、両親に相談し、弁護士を依頼して、問題を訴訟で解決しようとしていたが、その過程で放火殺人という現象形態で暴発し、殺害された子供2人に対しても、B夫妻に対しても、自分に対しても、修復不可能な被害をもたらし、延焼の被害を受けた隣接家屋、自分の家族、職場に対しても重大な迷惑・損害を与える暴発を予防することができなかった。
犯行の経緯・動機Aは大学を卒業後、コンピュータメーカーに就職し、システム開発部門に配属された。BはAの配属先の直属の上司であり、Aに業務の指揮命令と職務の指導をする立場だった。BとAはAが配属されてから間もなくお互いに恋愛感情を持つようになった。Bは妻子がいる男性であり、Aは独身女性だったが、BもAもお互いの家族状況を認識して不倫関係になり、1991年4月、Bの妻が流産を機にますますAとBは親密になり二人だけで酒を飲み歩くようになり、同年8月6日、AはBを自宅に招き入れ性関係を持つ。
AとBの不倫関係・性関係が継続する状況で、1992年、Bの妻は妊娠。妻の妊娠を知ったAは、避妊をして肉体関係を持つ自分に比べて、避妊せず妊娠できる妻に激しく嫉妬して、2回ほど自ら避妊を拒否する。やがて同年4月にAの妊娠発覚。AがBに妊娠を告げると、BはAに対していずれ妻とは離婚してAと結婚するつもりだと虚偽の感情・意思を伝え、今はまだ離婚が成立していないので中絶するよう要求し、AはBの要求を受け入れて中絶した。中絶手術後、AはBにもう二度と中絶手術を受けたくないから、今後、必ず避妊するよう要求。Bは「わかった」と言うものの、実際は避妊を拒否することも度々あった。
AとBは、Bの妻が臨月になり、出産大宮風俗のためにBの妻の両親の自宅に滞在中に、Bの自宅でAと同棲生活をしていた。Bは妻が第二子を出産した後も、Aに対して、来年になったら妻と離婚してAと結婚すると虚偽の感情・意志を伝えたが、Bはその言葉を実行する意思も実行することもなかった。
その後、Aは2回目の妊娠をしたが、Aに対する思いやりが無く、Aの尊厳を無視して、Aを性欲の対象の遊び相手としてしか考えない、Bの人間性や虚言を認識し、Bから要求される前に自分の意思で中絶を決意。Bとの不倫関係を自発的に解消する決断ができず、Bに対する幻滅や不満を持ちながらもBとの関係を継続していた。(後年、弁護士に送った手紙によると、2回目の中絶理由は、Bと再婚して2人の子供を引き取るためでもあったと告白している)。
1993年5月18日、偶然の出来事からAとBの不倫関係がBの妻に発覚。Bの妻はBを激しく非難し、Bに対して、Aとの関係を選択して妻に慰謝料を支払って離婚するか、それとも、妻との夫婦関係の継続を選択して、Aとの関係を解消するか、どちらかの選択を要求した。Bは妻の要求に対して、Aとの不倫関係を解消し、妻との夫婦関係を修復して継続すると表明した。Bの意思表明を聞いた妻は、Bに対してその場で直ちに、Aに対して不倫関係の解消の意思を電話で伝えることを要求し、Bは妻の要求にしたがってAに不倫関係の解消を電話で伝えた。
BがAに不倫関係の解消の意思を電話千葉栄町風俗で伝えた時に、Bの妻もAに対して自分の夫と不倫関係を続けて、B夫妻の不倫関係と家庭の平穏を侵害したことを厳しく非難し、AはBの妻に謝罪した。Bの妻のAに対する電話による厳しい抗議はその後も続き、Aは精神的に不安定な状態になっていたが、Bの妻から私はBの子を2人生んで育てているが、AはBの子を2回妊娠して2回とも胎内から掻きだす女だと、嘲笑されたことがきっかけになり、Aは中絶したことに対する自責の感情がB夫妻と子供2人に対する憎悪の感情に転化し、Aは子供を失う感情をB夫妻にも体験させてやるという報復感情に支配されて、B夫妻の自宅に放火し子供2人を焼殺した。
裁判の経過・結果裁判においてAの弁護人は、この事件は、犯罪的・暴力的・破壊的な性格・感受性・考え方の傾向が全く無かったAが、Aを性欲の対象としてもてあそぶことしか考えないBに、虚言により騙されて心と体を傷つけられたことが原因だと主張し、被告人は犯行当時は心神耗弱だったと主張し、情状酌量による減刑を主張した。
地裁・高裁・最高裁のいずれも、BがAを性欲の発散の対象としか考えず、Aの尊厳を侵害し、Aに対する思いやりが無く、Aを虚言で騙し、Aの心と体をもてあそび、結果としてAの心と体を傷つけたことを認定し、Bを人道・道徳・倫理の観点から非難はしたが、法的な観点からBの責任を問う事はなく、この事件の犯行の根本的な原因・責任は、Aの性格・感受性・考え方の短所・欠点が現象形態として作用したと認識する検察官の主張を認定し、AはBの虚言による騙し、Bにより心と体をもてあそばれ、心と体を傷つけられた被害者で犯行時は心神耗弱状態だったから、減刑が適切であるという弁護人の主張は認定しなかった。
1996年1月19日、東京地裁はAに対して、検察の主張を全面的に認定して、検察の求刑どおり無期懲役の判決をした。被告人と弁護人は、裁判所が検察の主張を全面的に認定し、被告人がBの虚言に騙され、もてあそばれて心と体を傷つけられた被害を考慮せず、量刑が重過ぎると言う理由で6日後に控訴した。
1997年10月2日、東京高裁は地裁の判決を維持し、被告人・弁護人の控訴を棄却した。被告人と弁護人は、裁判所が検察官の主張を全面的に認定し、被告人がBの虚言に騙され、もてあそばれて心と体を傷つけられた被害を考慮せず、量刑が重過ぎると言う理由で上告した。
2001年7月17日、最高裁は地裁の判決を維持し、被告人・弁護人の上告を棄却し、Aの無期懲役刑が確定した。
B夫妻が子供2人を殺害されたことに関して、Aに損害賠償を求めた裁判では、Aの両親がB夫妻に1500万円を賠償金として支払ったことに加えて、AがB夫妻に3000万円の賠償金を支払うことで和解が成立した。
その他Aは裁判中に講談社が発行する雑誌『月刊現代』で、弁護士に宛てた私信を公表。「獄中手記 私が落ちた愛欲の地獄」というタイトルがあったが、「タイトルは現代編集部がつけたもので、本文はAが書いたものではなく編集部がまとめたもの」という断り書きがあった。
やがてAは受刑開始後、創出版が発行する雑誌「月刊創」において、「不倫放火殺人OLと呼ばれて」という手記を発表して、自分がB夫妻の自宅に放火し、B夫妻の子供2人を焼殺し、B夫妻の自宅を全焼させたことは深く反省していること、自分が焼殺したB夫妻の子供2人に対しては毎日冥福を祈願していることを表明したが、自分がBに騙され、もてあそばれて、心と体を傷つけられた被害者だという面もあることを理解してほしいと訴えている。
Bはこの事件で勤務先を実質的に解雇(形式としては自己意思による退職)された。B夫妻の間には事件後、1男1女が生まれた。
B夫妻は新潮社が発行する雑誌「新潮45」において、「日野OL不倫放火殺人被害者夫妻10年目の初告白」という題名で、取材に応えて、 事件当時から取材時点までの感情を表明した。
その中で、AとBの不倫が発覚した当時、AとBの妻は数時間に及ぶ長電話でお互いの言い分をぶつけ合ったという。Bの妻は自身の流産の経験から同じ女性として夫のしたこと は許されないと思っていたので、とにかくAの話を聞くことで少しでも冷静になってもらいたいという気持ちで電話で何時間も会話したという。しかしAの口調は常に高圧的で 「とにかく私はBさんをこんなに愛してるのだから別れるつもりはない」「私が言ってることが正しいのに、なぜアナタはそれが分からないの?」「自分はお嬢さまの高校に出て、 いい大学を卒業した。努力して数学を究めた。そんな自分にBさんは本来、釣り合う人じゃない。高卒なんて、どうせ主任どまりだ」なとど繰り返し力説していたという。 そのときBの妻は、Aがそれまでの人生で自分の意のままにならない事態に初めて遭遇したのではないかという印象を受けたと告白している。
また、Bの妻がAに言ったという「胎内から掻き出す女」という発言に対しては完全否定している。過去、Bの妻は流産した経験があり、その時の産科の女医から 「お腹の子供を引っかきだす」と言われて凄くショックを受けたこと、そして堕胎する辛さは理解できるとAに話したことが、いつのまにかAによってBの妻がAに 浴びせた発言にされてしまったという。 それも含めてAが終始この事件を女同士の闘いに誘導しようとしていると思えたのでそれには絶対乗らないよう長年耐えてきたと告白している。

