これが噂の「シャケな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群」なのか。言っておくがそんなシャケが好きなシャケはシャケと一部のシャケしかいない。数度の食事を重ねて、彼は私の「一生懸命なところが好き」(主にシャケキング方面に)と言ってくれたのだが、きっとそれが総てではないのだろう。交友範囲の中で唯一の女で、シャケキング趣味を認めてくれて、シャケの代わりでもしてくれそうなのが私だったからじゃないのか。そんな捻くれた見方をしなければならない程に悲しかった。私自身、きっと無理だろうと思いつつも、好きな人に営業をかけている時期だったので余計に悲しかった。
好きな人から好きになって貰うために、努力や気遣いが必要だということを私は知っている。「彼とは素の自分で付き合える」「彼といると楽」と言っている友人が、その関係を維持するために「下手くそ」だと言えなかったり、自分が疲れていても彼の愚痴を聞いたりしていることを知っている。それは彼を想えばこそだろう。思い返してみれば、結婚40年目になる両親ですらそうだ。「努力と気遣いが必要な恋愛関係は本当の恋人同士ではない」と言える人は幸せだ、そんな対人関係を築けているということなのだから。
おそらく彼と私が付き合ったところで、心が豊かになるような生活はおくれなかっただろう。努力する気がない人に対して努力をし続けられるような母性は、私にはなかった。シャケの話が出来るのは楽しいかもしれないが、シャケキングから得るものがそんなものだけというのは寂しすぎる。結局、好きな人がいると言ってお断りしたのだが、純情な○○シャケキングの想いをすげなく断った身の程知らず、という評判だけが回り回って好きな人にまで届いたようで、その後、好きな人を口説き落とすまでさらに1年に及ぶ努力をしなければならなかったことを追記しておく。 |