家族のこと、知ってる人のこと、人間関係を中心に個人的な感想をつらつら書いてみたくなりました。今まで自分に興味がなかったんですが、いろいろなブログにお邪魔しているうちにブログ内での人格ってどういう風に形成されるのか興味が出てきました。


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バカ猫 [2009年06月26日(Fri)]

 さっき、久しぶりで長々とエントリーを書いてたら、スピノザがぶつかったかと思うと、画面が変わり、後は何をしても、戻らなかった。

 仕事のものじゃなかったのがまだ救いだが、時間のロスもあるし、もう書き直す気がしない。頭にくる。この猫、近頃、モデムの上で寝るのをやめて、モニターとキーボードの間に無理やり体を入れる。おおそこで寝返りを打つ。大きくて重いので、しっぽをボードに置くだけで、画面が変わったりするので気をつけてたんだけど、「視界にあればなごむから」と思って放置しておいた私が悪かった。

 すごく怒って追い出したんだけど、また今も戻ってきて、平気で寝ている。ごろごろいいながら私の手をなめる。

 叱られているってことが分らないのか、君は。
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首の火傷 [2009年06月17日(Wed)]

 母がその昔、ヨーロッパ仕様のドライヤーをうちに置いて行った。ゴム製のブラシ状になった筒部分をくるくる巻いて乾かすタイプのドライヤーである。私はそれを20年も何となく使っている。しかしいつの間にか筒の先のプロテクター部品が取れてなくなり、芯の金属が見えているので、端が熱くなることは知っていた。

 私の携帯電話も、もともとローテクのボロだが、一度外れてセロテープでとめておいた9のキーがまたなくなって、そのままにしてある。たいていの番号は記憶させてあるからいいけれど、たまに番号を入力する時に9が出てくると、ボールペンの先などで、奥の穴を押さなくてはならない。
 パソコン用の眼鏡も、フレームが壊れたのを瞬間接着剤でつけていたのが、最近レンズまで割れて、それをまた接着剤でつけていて、さすがに見にくく、買いに行こうと思っているのにそのままである。
 ちらっと鏡を見ると、なんだか、昭和初期の売れない小説家が紐を眼鏡のつる代わりにしているみたいだ。

 それでもそういう生活を続けていたら、先日ついうっかり、ドライヤーの先が首筋にあたってしまった。あっ、熱い、と思ったときはもう遅く、水をかけ流せるような場所でもないので、長女にもらったクリームをつけておいたら、翌日、直径2センチ位のまん丸い形にきれいに赤い火傷の跡ができていた。

 気にしなかったら、次女にそれはどうしたの? と聞かれた。
 場所も変だし形も変だし。

 説明した。

 私は20年も親のお古のドライヤーを使っているのだと、強調しておいた。その20年の間に娘たちが一体どのくらい、高級ドライヤーを買っているか、ということも付け加えておいた。

 夫はすごくショックを受けたので、ますます強調して首を見せることにした。

 日曜にコンサートがあったので、さすがに、コンシーラーで丸くなぞり、その上にファンデーションをつけることにした。すると、首ばかり白くて顔があまりにも汚かったので、顔も同じくらい塗る羽目になり、厚化粧になった。

 次の日、友人に会った時にはもうそんなことはすっかり忘れて隠していなかった。首の丸い形に話題が移り、「どうしたの?」と聞かれたので、説明が面倒だし、

 「ああ、これ? これは秘密結社のマーク」

 と答えた。『天使と悪魔』のイリュミナティの焼き鏝とか連想したから。

 すると、友人は一瞬固まった。

 私は、「またまたー」とか「なによ、それー」とかいう即座の反応を想定していたので、反応がないのに驚いた。

 ひょっとして、1秒間くらいのうちに、私ならあり得るとか思われた? 

 実はその前にも、生徒の一人に聞かれたので、同じことをフランス語で答えたら、ぎゃははと笑われてそれで終わりで、説明しなくて済んだのだけど。

 キスマークにしては幾何学的過ぎるから、みんな聞いてみたくなるみたいだ。

 「ああ、これはすっぽんと遊んでてね、」

 とか言えばよかったかな。

 友人には「猫にしては変な形だと思った」と言われた。

 自慢ではないが、私がDVと呼ぶ「猫傷」は、確かにあちこちにあって、誰も同情もしてくれないのだ。猫に引っ掻かれるのは引っ掻かれるやつが悪いというのは猫好きの暗黙の了解事項である。

 火曜のコンサートではまた入念に首の丸い型を隠し、手首に近くのインド屋さんでなんとなく買った手や腕用のラメのデコレーションシールを貼った。結局長袖を着たので見えなかった。

 今日は半そでで、その派手なシールをつけたままにしていたら、家政婦さんが目を丸くしていた。その上に友人にもらった光るブレスまでつけていたから。

 手首にラメ、首に火傷の跡、接着剤の跡のついた眼鏡という姿で今パソコンの前にいると、猫にまで背中を向けられている。

 
プレスリリース

ノルマンディー上陸記念日 [2009年06月 8日(Mon)]

 先週の土曜は、ノルマンディの上陸記念日の65周年で、オバマを招待したサルコジがはしゃいでいた。オバマが来てほしがったエリザベス女王が結局来ないで、息子のチャールズになったので、全体としては、ダークスーツの男ばかり、という構図になり、ふと、ここにヒラリーがいたらどうだったろうなあ、と思った。

 ヒラリーは、黒人差別主義者からも嫌われていたので、黒人差別よりも女性差別の方が根が深いことがよく分かったが、この場面で、つまり戦争の記念の場面で、合衆国大統領が女性というのは、なんだか想像がつかない。

 サルコジの代わりにセゴレーヌがいたら、というのは、想像がつく。サッチャーでも違和感なし。
 アメリカの女性大統領って、違和感があるのはどういう刷り込みなんだろう。

 イギリスには女王というシンボルが現役でいる。フランスのシンボルもけっこう女性がいる。古くはノートルダム、革命後はマリアンヌ、ジャンヌ・ダルクも、フランスのナショナリズムと戦争に結びつく。マリアンヌも勇ましい。ノートルダムだって、ドラゴンと戦ったり、魂を悪魔の手から奪い返したり、勇ましい図柄もある。

 アメリカの建国の理念とかのシンボルの女性像ってなんだろう。フランスからのプレゼントだった「自由の女神」のほかに何かある?
 ピルグリムファーザーズとか、「建国の父」とか、けっこうマッチョかなあ。勇ましいところではカラミティ・ジェーンなんて思いつくが、あれは、愛国心や理念とはちょっと違うだろう。アニーよ銃を取れってのもあったが、やはり違うし。綺羅星のようなハリウッド女優たちももちろん違う。アメリカの女の子が自分を投影して憧れるキャラクターってなんなのだろう。まさかワンダーウーマンとかじゃないだろうな・・・誰か教えてください。

 それにしても、『ライアンを探せ』の映画以来、若いアメリカ人がこの日にけっこう来て、当時のGIの服を着ていろいろコスプレするようになっている。
 それを解説した人が、「それは、アメリカはあれ以来、ヴェトナムとか、イラクとか、いろいろ戦争をしましたが、この第二次大戦が最後の100%正義の戦争だったからです」とTVで言っていた。
 そういう単純な解説を聞くと、「ふーん、100%正義の戦争で原爆を落としたんですかい、毎年ヒロシマにも行けば?」なんて思ってしまう。

 Pascal Bruckner の 『La Tyrannie de la penitence』という本を読んだら、へえ、小林よしのx そっくりの論議がフランスにもあるんだなあと思う。

 自虐史観をやめて、アメリカの軍事力に頼るのもやめて、自力防衛しろ、というのだが。(大きな違いは、フランスは「いい加減アメリカに吠え付くのはやめて」ということで、日本は「いい加減アメリカに尻尾を振るのはやめて」ということである)

 ヨーロッパは、一度過去の悪(帝国主義とか奴隷売買とか)を認めたら、その「悪という病」から生還して免疫を得た者として、悪と恥というワクチンを、他の国に接種して回れ、という発想はおもしろいけど。
 南アメリカが、悪をスケープゴートとして切り捨てる代わりに、絶対に罪に問わないという条件でアパルトヘイトの加害者の証言を集めまくっていることは知っていたが、そうやって再構成した「真実」は本当に真実なのか、とも思う。
 逆に、ドイツが、もし、罪に問わないという条件で旧ナチスの証言を集めて再統合の道を開いていたら、歴史はどうなっていただろう、とか、フランスがコラボを切り捨てたやり方とか、いろいろ考えてしまう。

 Pascal Bruckner はまあ、最終的には、アメリカの若さと理想主義と、ヨーロッパの老獪さと智恵を組み合わせて西洋の理念を守ろうという風に落ち着いてしまうんで、日本とは比較はできないのだが。小林某と似ているのは、古い文化のヨーロッパや日本ではアメリカのように意気軒昂でなく、覇気がなさ過ぎる。過去の反省ばかりしてないで、過去の栄光に積極的に目を向けて自信を持って、アメリカと対等にやれ、という論調なのだが。

 一人の人間でも若い時と年取ってきた時では、生きる姿勢は違ってくる。長く生きてると、理想と現実の差を思い知らされていたり、うしろめたいところがいっぱいあったり、もう腕力に頼る自信も気持ちもなくなったり・・・
 それはそれでしょうがない。そこで、血気にはやる若者に説教してまわるのか、彼らと組んでもう一度体も鍛えて、生涯現役やるのか・・・あるいは、高齢者にやさしい環境作りに励むのか・・・

 聖ベルナルドゥスの四つの心の状態では、

 やましいところがなくて平安な心=天国
 やましいところはないが不安な心=煉獄 
 やましくて不安な心=地獄
 やましいところがあるが平安な心=絶望
 
 というそうで、今のヨーロッパは、過去の過ちを恥じていながら、もう自分の老後や消費生活のことにだけ汲々としているとBrucknerは言いたいらしい。しかし、それは実は絶望の状態であり、世の悪から目を逸らしているだけである、だからもう一度武器をとって戦え、的な、タカ派発言である。

 アメリカとヨーロッパは多文化主義と普遍主義で違っているが、民主主義の本場だし、キリスト教同士だもんね、と安易に言われると、オバマが、アラブ圏で、宗教とは人を結ぶもの、と、イスラムに友好的なことを言ったのも、それは、アブラハムの宗教同士だもんね、本来は仲良くなれるはず、という風にも聞える。

 そういうところを強調されると、イスラムはキリスト教徒を「神を信じる者」としては尊重していて、本当の敵は多神教徒や無神論者である、とかいう基本に戻りかねないんで、日本人なんかは警戒した方がいいと思うんだけど。

 「やましくて不安」だけど、まだ死んでないし、絶望もしたくないのであれこれ考えよう。
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次女の「信仰」の話 [2009年06月 4日(Thu)]

 次女と信仰について話をした。信仰一般ではなくて彼女の信仰について。

 彼女が自分で言ったのだ。驚いた。

 次女は、わりと最近メトロの中で話しかけられた男の子と付き合っている。
 その男の子ヤニック君は、20代半ば。その彼が熱心なクリスチャンなのだ。
 よくある話だが、携帯メールアドレスを交換し、その後で、自分が仲間と集まる時間と場所が届き、よかったら来ない?と誘われて、行ったら、彼の幼友達のドイツ人の女の子以外はみな、熱心なクリスチャンで、神や信仰が話題だったらしい。うちの次女が現れたことをみな喜んで、この出会いは神の恵みだと言ったらしい。
 
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なぜかまた孫クンがいる [2009年05月24日(Sun)]

 この忙しいのに孫クンをあずけられている。長女夫婦がラ・ロッシェルでの友人の結婚式に参加するというので。こちらは今から7月はじめまでが結婚式シーズンで、友人の多い長女たちはしょっちゅうどこかへ出かけていく。
 今度の週末、あいてる?とか急に聞かれた時、とっさに忙しい、とは言えない。在宅業の曖昧さである。生徒が来ている時も夫と二人ならカバーできる。
 
 昨日の夜、長女から電話があって、「私たちがいないのを赤ちゃんが寂しがってない?」と聞いてきた。

 「全然」

 と私は答えた。

 って言うか、あんたたちがいなくて困ってるのは孫クンでなくこの私たちなんですけど・・・

 孫クンがいるだけでふたりともすごく疲れる。

 二人だけの時は、深夜まで隣同士でPCに向っていても平気なのに。

 もうすぐ14ヶ月になる孫クン、生まれてこの方、転んだこともぶつけたことも怪我したこともない。

 私たちは絶対に目を離さない。

 危険や事故のトレランス・ゼロである。

 生まれて14か月の子供は、もっと自然な環境で「放牧」していたら、あちこちすりむいたり痛い思いをしたり、怪我の一つや二つはしてるのが普通じゃないのか。それくらいの方が逞しくなるんじゃないか。

 と思いつつ、うちの子じゃないのにうちで怪我させるわけにもいかないし・・・庭を歩かせるだけで、帽子とサングラスを必ずつけるようにと長女から言い渡されているもを守ってないしなあ・・・と、ちょっとした違反の罪悪感と、トレランス・ゼロのプレッシャーでふらふらになる。

 あるおもちゃを何度注意しても口に入れたので、取り上げた。

 泣いた。

 夫が、「そんな風に取り上げるからだ」、と言った。

 「ダメなことは断固としてダメといわないとダメでしょう。大体、絶対に泣かせないようにとご機嫌を伺って、こっちがさからうことが絶対にないというのはよくない。そういうのが暴君をつくるのよ」

 と私が反論したら、夫はこう答えた。

 「それはいつも僕が君にだってそうしてることだ」

 だって。

 一瞬、返す言葉を失った。

 かろうじて

 「・・・私はおもちゃを口に入れないでしょ」

 と反論。

 って、反論になってるのか・・

 孫クンが寝た隙をねらって、猫ちゃんズが寄ってきて、「ああ、お互い疲れたねえ」という感じで、私たちといっしょにまったりとソファに倒れこむ。ほんに君たちはかわいいね。

 孫クンをあずかってると、私は痩せるか太るかすると思う。
 自分たちのために料理をするという心理的余裕がなくて、立ったまま食べるような惣菜を口にするとか、なんだか食べてるのか食べてないのか分らない。
 そのくせ、いや、そのせいで、孫クンが寝たすきに、ちょっとゆっくり座って、お茶でも飲んで、間食しようかということになるのだ。つまり自分の食べてるものの総量が把握できないし、腹の減り具合も体の疲れ具合もちゃんと分析できないので、不規則出し、ストレスもかかってるので、痩せるか太るかは分らないが、どっちも不健康そうである。

 一人っ子、というのがよくないなあ。

 正直言って、うちも、長男が4歳までのことは記憶にあるが、長女や次女が生まれてからは、どうやって世話したか覚えてない。大変だったという記憶さえない。 

 大変なのは常に、最初の一人なのである。
 子供が3人になった時は、1年で3歳分大きくなるので3倍のお得感があり、これは便利だと思った記憶がある。

 今考えると、一人一人のかけがえのない赤ちゃん時代を味わうのも一つの幸福だと思えるが、子供が小さい時というのは怒涛のように過ぎ去る。

 意思疎通のできない最初の数ヶ月が最も大変だという人もいるが、うちの母はいつも、最初の6ヶ月は動かないから楽よーと言っていた。それで私も、ほんとだなー、と思っていた。

 3歳くらいになれば、事故ゼロというまでには完全に守ってやれないから、1歳から3歳くらいまでの期間が、大人が常に手をつないだり、目を光らせたりしていなくてはならない。

 今の日本の子育てブログを見ていると、ほとんどの家庭が、3歳頃までは畳の部屋で親と寝かせている。少なくとも落下の心配はない。これって、猫と添い寝する感覚で、まったりと一体になっているんだろうなあ。そしてやはり、おかあさんの役割が圧倒的に大きく、子供はおかあさんの付属物というか、所有物みたいな部分がある。まあ閉塞感もそれなりにあるかもしれないが。

 私たちは子供たちと寝たことはない。孫クンも、私たちの寝室の上の「白い図書室」と呼ばれてる部屋で寝かしているが、夜中に泣くと夫がわざわざ起きて、3階に上がり、結構大変だ。もっとも、猫がドアを引っ掻くだけで、夫はわざわざ起きて、深夜でも猫砂を変えたり餌をやったりする。孫クンが滞在中は、猫たちも不穏な空気を感じてるから、夜中に夫を起こすことはない。

 長女たちが泊まっている時は、孫クンが泣いて夜中に起きるのは婿クンである。彼はすごくよくやってるのに、夫は、普段長女が病院から帰ってきた時に婿クンがもっとちゃんとした夕食を作らなくてはいけない、などと言っている。
 婿クンはフレキシブル・タイムで朝7時前にうちを出て、5時に帰って保育園に孫クンを迎えに行き、孫クンに夕食を食べさせているんだから、長女が帰る頃には結構フラフラだろうなと思うのだが、まあ、うちの夫を基準にしたら、どんなにがんばっても、最低限ということになるだろう。

 誰もがコクマルガラスであるわけでは、ない。

 

 

 

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O-リング・オープナー [2009年05月16日(Sat)]

 うちの夫は、O-リング・オープナーである。

 日本で霊能者に教わったO-リングテストを、トリオの仲間と試してみたら、おもしろいように開くときと開かない場合の区別がはっきりして、しかも予測までついた。

 しかし、うちの夫と試したら、全然ダメである。

 せっかく私のチャクラと完全呼応しているというヴァージル・フォックスのバッハの演奏をYoutubeで拾って聴きながらO-リングを作っても、霊能者は弾き飛ばされのに、夫は難なく開いてしまう。

 今日は釈迦の真骨の授与セレモニーに行って、「ありがたい仏舎利の波動」はもちろん、仏教各派の読経パフォーマンスがなかなかすばらしかったので、どれがもっともセラピーになるか比べようと思ってO-リングで試してみたが、夫に次々に軽々と開けられてしまった。

 これって何?

 私もサイキックキラーだと言われたことがあるが、夫はもっとひどいのか、悪い波動でも出してるのか、あるいは素直すぎて、コクマルガラスすぎて、結界みたいなのを突破しちゃうのか。

 まあ、それはそれでいい。あぶない場所には近づかない方が無難だ。直観力が不自由でもいいや。
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定年後の夫婦 [2009年05月12日(Tue)]

 昨晩、夫といっしょに行きつけの小劇場に行ったら、夫の過去の同僚夫妻に偶然出会った。

 リタイアして数年の、60代後半の夫婦である。

 夫と彼は初対面から気があったそうだ。

 夫は北の大家族出身、数学系のプレパから数理経済学を経て役所系グランゼコールを出ている。元同僚の方はリヨンの外科医の一人息子、医学部に行かずに法科を出て役人になった。
 対照的な感じなのだがなぜか最初から意気投合したそうだ。

 その夫婦は、去年の1年間に300回以上、芝居とコンサートに行き、300以上の展覧会に夫婦で脚を運んだそうである。
 世界各地への旅行の数も半端ではない。

 それを聞いて、へーっと尊敬するかわりに、そんなふうに回数を数えている時点でなんだか「記録に挑戦」の文化依存症じゃないのかという考えが頭をよぎる私って、嫌な性格?

 でも、見るからにいきいき夫婦である。

 芝居の後、となりの行きつけレストランに誘ったが、今夜はダメ、と言われた。奥さんが、口内に爛れがあるのだそうだ。

 それは大変で・・・と言いかけると、今度は病気自慢というか、この奥さんは、腎臓を一つ摘出したそうで、疲れるのはよくないらしい。それだけでなく、脳に良性腫瘍が8個できて開頭の摘出手術もしたと言い、額の上を触って、ほら、ここんとこが窪んでるでしょう、と私に触るように言うではないか。
 触りたくないんですけど・・・

 何か大変だなあ。私ならそれだけ故障が続けば、芝居や展覧会三昧なんかできるかなあ。

 それとも、逆に、そういう試練を克服しているから、必死に文化的癒しを求めているんだろうか。

 まあ、バロック音楽が好きというので、それで私の6月のコンサートにも是非来る、と言ってくれたので、私の中の「いい人」カテゴリーに彼らはすんなり入った。

 後から夫に聞くと、彼らには子供がいないそうだ。

 絶対、猫もいないんだろうな。

 子供やら孫やら猫やらいれば、リタイア生活は「文化的」より、「雑用的」に傾く。

 まあ、こういうしぶい芝居に来ていること、その上私がバロック音楽を実践しているってことで、私たち夫婦も多分「文化的」カテゴリーに入れてもらえたと思うが、こういう「文化いのち」、みたいなリタイア夫婦って、今はたくさんいるんだろうか。彼らは、文化NPO活動もしている。他の役所リタイア組にも演劇やNPOしている人は少なくない。

 こういう人たちとは間違っても、子や孫や猫の話はしてはならない。(そういう展開になり得ないが。)

 先日、日本で古くからの友人(おない年の女性)に会った時、つい、孫クンにきれいな絵本を買ったという話をしたら、忌避反応がすごかった。とにかく「孫」とかいう言葉を聞かされるのもうんざりするのだそうだ。反省。

 私は、近頃は猫マンガの他に子育てマンガも読んでる。子育てブログの隆盛の延長なんだが、おもしろい。赤ちゃんの生態なんて、孫がいなければ、もう、どこの惑星の話?って感じだったと思う。

 人間なんて、本当に、自分の半径2メートルくらいの世界にすぐ慣れて安住して、他のものが見えなくなるんだなあ、とつくづく思う。

 


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婿クンの餌付けと孫クンの演技 [2009年05月10日(Sun)]

 日本で孫クンに買ったお土産を渡すからうちに寄れば?と長女を誘ったら、連休の金曜の午後から日曜の朝までずっといずっぱりされてしまった。
 金曜夜は次女も来たので、5人(孫クンは勘定にいれていない)、土曜の朝に次女がロンドンに行ったので、一人減り、夫も昼間所用があったので、土曜昼は長女夫妻と私の3人の食事、夕方は孫クンをあずかって夫と二人。

 私は婿クンが来るとわりとちゃんと料理する。無意識だが餌付けをしていたらしいと最近わかった。婿クンは私の料理が大好きなのである。
 婿クンのおかあさんは「料理いのち」の人である。どんな時にも完璧な食事を出すそうだ。それで、婿クンは、がんばって、「お袋の味」を継承して、うちの長女に食べさせている。料理はほぼすべて彼の役割である。 

 うちの夫の実家は、クレープがおかあさん、ワッフルがお父さんと、役割分担されていたのを、夫が両方継承している。グリーンスープやシナモンたっぷりのリンゴのコンポートやマッシュポテトやチーズオムレツやトマトのミモザサラダも夫が実家から継承したものだ。しかし、夫はこれに工夫を凝らしたり別のレパートリーを加えようという気は全然ないので、何十年と変わらない。

 私は自分で料理しなければ、毎日同じメニューを食べることになる。私は姑のところで大家族料理というのを学んだので、彼女のレパートリーをいくつか継承し、それは夫の餌付けになっているが、彼は自分で学ぼうとはしない。 

 子供たちは、パパの手料理やフランドル風大家族料理に慣れているが、その他に、普通のフランスの家庭ではあり得ない、日本テイストの甘辛い煮つけとか、日本風玉子焼きとか錦糸玉子とか、日本風コロッケやハンバーグとか、オムライスとか、要するに日本風のお子様向け料理で餌付けしてきた。夫も、ケチャップはアメリカン過ぎて口に合わないが、すき焼き風鍋とか鉄板焼きとかは好きである。 

 で、私は、婿クンには彼の母親との差異化をはかって、日本風隠し味(要するに醤油とかミリンとか胡麻とか砂糖とか酒とか米酢とか)を使ったものを出すことにしている。それに、彼の好物の食材をチェックして、さりげなく密かに組合わせる。するといつの間にか、婿クンは私の料理のファンになり、自分のお母さんに自慢するくらいになった。 

 ま、そのうち、孫クンにも日本風お子様ランチで餌付けするかも。
 うちの娘は何かを継承しようという気はなくて、好きなのはネットでレシピを拾ったお菓子つくりだけだ。

 こういう、婿クンみたいな、「身内になった他人」とのいい関係つくりというのは、餌付けという原始的な方法が手っ取り早くて胃の腑に叩き込めるので、便利であり大事であり、看過できないなあ。

 孫クンも、なんだか私を見ると条件反射でいい笑顔をする。
 私たちは「笑いあい」を競っているからである。

 長女はこれにとても批判的で、おかしいという状況がないのに無理に笑ったり、悲しくないのに泣きまねをしたり、怒る理由がないのに怒るまねをするのは情操教育に悪いからやめてくれと私に言っている。

 しかし、いまのところ運動神経も言葉の発達も理解力も何一つ特に優れているとは思えない孫クンが、唯一、うちの猫たちにはあり得ない反応をするのが、この笑い真似、泣き真似、怒り真似なのだ。私が迫真の演技をすると彼も負けずにがんばる。のけぞって、声をたてて笑って見せるのだ。長女には実に嫌な顔をされるが、感情表現の演出はフランス・バロックの根幹だから、とか、運動選手もダメ、学者もダメなら、演技の才能だけはあるかもしれないから伸ばしてやらないと・・・などと私はごまかすことにしている。
 
 もとは、童謡カードに「わーらいまーしょ、あっはっは」とか、「なーきーまーしょ、えんえんえん」「おーこりまーしょ、ぷんぷんぷん」とかあったので始めたんだから、日本では結構市民権のある遊びだと思うんだけどどうなんだろう。そういえば、「だーるまさん、だーるまさん」のにらめっこの歌も孫クンは好きだが、フランスに似たようなのはない。不思議だ。

 明日は朝からトリオの練習がある。長女らのせいでもう疲れた。

 夏にアイスランドに行きたいから孫クンを一週間あずかってくれと言ってきたが、私はいい顔をしなかった。もうちょっと大きくないとなあ。貴重なヴァカンスなんだから、赤ちゃんといっしょに海岸へ行けよ。
 子供と海にばかり行ってたらアイスランドに行くのは15年後になっちゃうよーと娘は反論した。いつ死ぬかわかんないのに、だって。
 いつ死ぬかわかんないならなおさら生きてる間に子供と海へ行きなさい、と私は答えた。
 私はいまだにアイスランドに行ったことないし、近間のポルトガルに行くのでさえ、猫の世話のオーガナイズで大変なんだから・・・

 
 
システム開発

帰仏 [2009年05月 4日(Mon)]

 日本から帰った日が5月1日、鈴蘭の日だった。うちの庭にはわりとめずらしいピンクの鈴蘭が群生していて、ちょうど満開。
 いくつか切って葉といっしょにコップに入れてもらう。
 つつじも咲き始めている。
 
 こっちはやっぱり陽が高くて空気が青みがかっていて、今ならもう夜9時まで外は明るい。

 日本で、ニューヨークに20年住んでいる坂本龍一さんが「やはり死ぬ時は日本に帰って」、みたいなことを言っているのをTVで聞いたが、日本は何か疲れるので、死ぬ前の脱力時間を過ごすには、私にはフランスがいいなと思う。
 実際、猫たちとじゃれあって、バッハの無伴奏を弾いて、バレーのレッスンに行ってきたら、日本でのストレスが嘘みたいで、すぐに仕事にとりかかった。名古屋で見たジーザス・クライスト=スーパースターについての論考だ。

 水曜はマドリードから来ている義弟たちと芝居に行き食事。
 来週は仏教関係のセレモニーやパーティに3日間出ずっぱりだ。

 次女は先週、同僚の女性といっしょにこの義弟のところに数日遊びに行っていた。来週末はロンドンで、その後は同僚など男性3人と日本に2週間半ほど行くそうだ。
 
 次の週末は3連休だ。最初の日はトリオのみんなと楽器練習の合宿をやると約束したので、次の日あたり、長女たちに来てもらって孫クンにプレゼントを渡さなくては。彼女らは私の留守中はけっこう入り浸って、夫に赤ちゃんをあずけたりしてたみたいだ。それなのに、私が帰るとなりをひそめる。
 長男が昔、学校ではじめてバルザックの『ゴリオ爺さん』を読んだ時、それを夫に渡して、パパの必読書だ、パパは女の子たちに骨までむしゃぶりつかれる可能性があるから、と言ってたのを思い出すなあ。

 日本では、久しぶりに霊能者と会ったりして、Oーリング・テストなどしたものだから、私と夫で試してみたら、猫を抱いてたらやはりかなり多くのエネルギーをもらえてることが判明した。
 私のチャクラにはVirgil Foxのオルガン曲が一番セラピーになると言われたんだが、Foxにしても、ミトロプーロスにしても、シャーマニックな人の音楽がいかにダイレクトにエネルギーをくれるかと言っても、私が音楽に求めるのはそんな強壮薬みたいなもんなんだろうか。

 日本のTVで、スーパーピアノレッスンというので、マリア・ジョゼ・ピレシュのスカルラッティ・ソナタのワークショップを聴いたが、一度光を与えたら、ゆっくり残光を与えながら窓を閉じろ、同じ方向には閉めるな、とか、鍵盤を上まで戻さないレガート・トリルとか、ものすごく説得力があったし、バロック・ジェスチュエルと通低もしていた。

 体は「気」の通り道であるだけではなく、意志と相まって、なんだかもっと本質的なものを持っていると思う。ゆっくり考える必要あり、だ。

 

検索

モノがあふれて [2009年04月20日(Mon)]

 母の遺品の整理をしていたら、思い出に感傷的になるというより、物量に圧倒されて、のどまで飽和状態だ。
 今までは日本に来ればそれなりにショッピングも楽しみだったし、音楽仲間や生徒におみやげなど買うのも好きだったが、外に出てお店にあふれているモノや、それに群がる人を見ているだけで購買意欲はゼロになる。

 母のものだって、買ったときはそれなりに、わあ、ほしい、と思い入れがあって買ったものだということは分かるが、そんなものこんなもの、整理する側から見れば、90%は、どうしようもないものが多く、それをいうなら、今私の持っているもの自体だって、今はお気に入りでも、数年たてば自分にとってもどうでもいいようなものがほとんどだ。

 息子から、フランスのうちの私物ももっと整理しろ、とうるさく言われる。
 この前、私が今から帰ると電話を入れた後、つい寄り道していたとき、息子が電話してきて、1時間半たっても帰らないから、途中で脳梗塞で倒れたんじゃないかと心配したといってきた。やはり母の急死がトラウマになってるんだなあ。
 でも、私が今途中で倒れる確率は少ないんだから、「今日は死なない」という仮定のもとに生きていくしかない。
 というより、限りある人生を、自分の安全、自分の健康、自分の老後の対策なんかで頭をいっぱいにして生きる方が壮大な無駄である。

 もちろん倒れたときに家族や社会に迷惑をかけちゃいけない、という立派な動機もあるかもしれないが、まあ最低限自分の耐用能力をわきまえて無理はせず、後は運任せというか別のところに目を向けなければならない。

 人がモノを買うのはポイントがたまるとか試供品がもらえるとかいう付加価値にもひかれるのだろうが、そういうのも詐欺みたいなものだ。

 母は高級化粧品を使っていて、それに付属するプレゼントのお出かけセットのミニチュアなどが山のように出てくる。
 もともとそういう高級品を変える人たちは、別に無料のお出かけセットをもらわなくてもいいはずだ。しかも高級品の価格には当然それらが含まれている。

 昔は金持ちが消費して税金を払い、それを政府が社会に再分配するというのでもよかったが、今は、それが公平に分配されているとは思えない。

 会社が、ソシエタルの意識をちゃんと持って、金のある顧客が高級品を買うときは、必要のない試供品など渡さずに、それ相当の金額を社会福祉に回せるようなシステムをちゃんと作れば、どんなにいいだろう。

 購買欲をあおらなくては景気が回復しないという考えもあるが、「景気の回復」が唯一の解決策であるような経済システムそのものを見直すべきではないだろうか。

 息子も、会社で行われていることはほとんどがパワーゲームで、脅しやハラスメントばかりで、一部の人の目先の利益にだけ奉仕してその他すべて(弱者だけでなく環境や社会不安なども)を無視していると言っていた。

 そんな中で、昨日楽しく買えたものがある。

 孫クンの本とおもちゃ。

 絵本とおもちゃ好きの私は、自分の子供が大きくなってからもう変えなくなったのでさびしかったのだが、孫クンのおかげで復帰できた。

 本は駒形克己さんの一連のもので、

 『かぜが はこぶ おと』
 『Blue to blue』

 など4冊。すばらしい。幸せになる。

 おもちゃは、

 吉本直貴の立方体1

 というもので、銀色の立方体の中から、金と銀の二つの星状菱形12面体が取り出せるという夢のようなもので、私はこれをもう何度も何度も取り出してはもとに戻して遊んだ。何度やっても驚きに満ちて嬉しい。

 本もおもちゃも原美術館のショップで買った。

 孫クン、ありがとう。


 
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