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帰仏を2週間延ばしていたが、ようやくうちに帰った。今日は本来は私のトリオのコンサートの日だったんだけど。1月に延期。
とにかく楽器をさわらなければどうにもならない。
後は、山のような郵便物その他の整理や処理。
11月のはじめに母が倒れてから、時間がフリーズしてたので、帰ったらほとんど12月というのは、びっくりだ。
でも、うちに帰ったら、カレンダーはどれも、私が発った10月のまま。私がいないだけで、フランスのわが家の時間もしっかりフリーズしている。ネコにやる薬も私の指示がなかったので1週間遅れてるし。
カレンダーをみな、2枚ずつめくって12月にした。11月って、失われた月だ。
ネコちゃん3匹に迎えられるのはいつもながら最高だけど。
2年ほど前なら、フランスに帰っても、長女はNYに、次女はロンドンにいて、夫と猫だけだったが、今は、娘たちはパリに住み、次女は週末で帰ってたし、長女もすぐ電話くれた。母が倒れる2日前に買ったひ孫へのスキーウェアのプレゼントを、今日長女の新居に届けに行く。16区のコペルニクス通りの83平米で、やっと子供の独立した寝室ができた。
おととい、葬式で母についてのコメント(この前のブログにのせたもの)を読んだ後で、私は、長男にりんごをウサギ型に切ってやった。子供が小さい時は時々やっていたんだけど、今回はあまりうまくいかなかった。
すると、長男に、
「ママンが死んだら、葬式で自慢することが何もないじゃないか」
と言われてしまった。
私は、
「私があなたたちにしてあげた最大のことは、すてきなおじいちゃまとおばあちゃまとパパをあげたことだから」
と答えた。
「何か、もっと人前で言えるようなことないの?」
と言われた。
「あんた、まさか、おじいちゃまやおばあちゃまがやさしかったのはあんたたちが、自分の孫だったからだと思っていないでしょうね。おじいちゃまとおばあちゃまに可愛がられたのは、あんたたちが『私』の子だったからなのよ」
と詭弁を弄したら、もう言い返されなかった。
さすがに、コクマルは、よその子でも分け隔てなく可愛がる気がするんで、この詭弁にはまぜなかったのが説得力を増したかも。
帰りの機内で、映画を7本見た。
「Sweet Rain 死神の精度」(筧昌也監督)は、ヴァイオレントなヤクザ映画みたいなエピソードが、今ヴァイオレンスを全然受け付けない(大相撲のTVを見ただけで、胸が悪くなったくらい)私には嫌だったが、全体としては、まあ、どうってことない映画。でも最後まで見てしまったのは、主役の金城武が長男に似ているからだ。写真で見てもいつも思ってたけど、映画を見ても、はっとするほど似てる。
もう1本の、これもとってもヴァイオレントでうんざりする映画
『ウォンテッド』(ティムール・ベクマンベトフ監督)
を見たが、これも、主演のジェームズ・マカヴォイが、うちの長男に似てる。じゃあ、金城武とジェームズ・マカヴォイが似てるかといわれたら似てないかもしれないけど、この映画の中のジェ
ジェームズ・マカヴォイの横顔とか鼻の形とか、長男にそっくりだ。長男も今加圧トレーニングとかしてるしね。それで、最後まで見てしまった。
ヴァイオレントで予定調和で、荒唐無稽だけど、倒すべき敵や克服すべきシチュエーションのハードルが高くて結局楽しめたのは、
『ダークナイト バットマンリターンズ』
かなあ。主要人物たちの配し方がうまく、一難去ってまた一難という展開や、まあ、すごく破壊的な悪の権化に対してアメリカ的ヒューマニズムの理想や希望も織り込んでるので救われる。
夏にミュージカルの舞台を見た『Mamma mia』の映画版も見た。メリル・ストリープでベストチョイスだ。娘役も可愛い。
フランス映画は2本、
『La fille de Monaco』 Anne Fontaine
Fabrice Luchini, Roschdy Zem, Louise Bourgoin,
これは、予告編を何度も見て、コメディかと思ってたのだけど、なかなか含蓄があって、はっとさせられる終わり方になっている。
Fabrice Luchini のしゃべりっぷりが、弁護士役ということでますます冴えているし、彼が「アル中」と法廷で発音しただけで、アルコールのグラスが思い浮かぶといって口真似をするヒロインの演技が笑える。ガードマンのモロッコ系Roschdy Zemとのコントラストがすばらしい。「悪女」というものが、いや、女を武器にする女というものの怖さが私でもふるえるくらいよく分かる。こういう女を前にしたら、男には破滅が見えていてさえ、全くガードするすべがない。いつもながら、Fabrice Luchini がいるだけで、典型的なフランス映画になっている。
もう一つは
『Mes amis, mes amours』Lorraine Levy で、これも、
Vincent Lindon, Pascal Elbé, Virginie Ledoyen
と、フランス的キャストだ。ロンドンのフランス人地区が出てくる。
アメリカ映画もう一つ
『Then shi found me』 Helen Hunt
Helen Hunt, Colin Firth, Bette Midler, Matthew Broderick...
これもむしろヨーロッパテイスト。ウッディ・アレン的でもある。
おもしろい。この3本はみな女性監督だ。なかなかすごい。
子供がもてない、死産や、養子などをめぐる女性の心理。母と子や、家族とは何かの永遠のテーマ。これについては、往きの飛行機でも考えさせられる映画を見た。それは
『Baby Mama』Michael MaCullers
Sigourney Weaver の演ずるキャリアウーマンが代理母出産で子供を得ようという話。環境の格差で笑わせたり、コミックなシチュエーションだが、こういうところに、いつも、生の意味のぎりぎりの模索とかが姿を見せる。
イギリス映画
『My name is Hallam Foe』David Mackenzie
は、男の子と母の関係。母の事故死と父の再婚。ちょっと怖いイニシエーション・ストーリーだった。
フランス映画の
『Sagan サガン』Diane Kurys は、Sylvie Testud が相変わらずうまい。これも、母と息子の関係が別の意味でせつない。
『Meet Dave』 Brian Robbins
は、Eddie Murphy, Elizabeth Banks。エディ・マーフィのSF コメディで、ハンコックなんかと同系列だな。母子を絡ませるところも類型的だ。
『Broken English』Zoe R Cassavetes
これも女性監督。米仏比較文化映画でおもしろかった。
ここに出てくるフランス人の男って、みんなT シャツにジャケット、ジーンズ、帽子っていうのが多い。これがイメージなのか。
名前もジュリアン、セバスチャン、ギヨームって、典型的なフランス名。(ギヨームはウィリアムのフランス読みだ。)
パリのシーンではさすがに黒人が1人出てきたりするけど。カフェで出会う哲学者っぽい「大人の男」のは、ジャン=ポール・クレマンという名。こういう設定がすでに、アメリカ人にとってのフランス人のイメージがよく分かる。
面白いのは、字幕のつけ方。私はこれをフランス語字幕で見た。
この中で、フランス男が、
「I’m hungry.」というのだが、フランス人はHの発音ができないので、ハングリーがアングリー(angry)になってしまう。で、アメリカ女性があわてるシーンがある。
ここのところのフランス語字幕はこうだった。
「J'ai la fin.」(ジェ ラ ファン=僕は終わりを持っている)
で、女性があわててが、いや実は、定冠詞が要らなくて、
「J'ai faim.」(ジェ ファン=おなかがすいた)だったことになる。
秀逸である。
こういう比較文化ものって、両方の感じがわかんないとおもしろくないかもしれない。日本人が見たら、どうなのかなあ。
こうしてみると、親子の関係、男と女の求め合い、そういう生物的なとこが社会的なひねりの中で不全感を得てしまう部分こそがが、永遠の人間ドラマなんだろうな。
してみると、私と両親の関係は最後まで平凡で波風がなかった。私の同世代人に多い、高齢化したリ認知症になったりした老親の介護という問題も知らずじまいだ。
両親の子供は兄と私の二人。
双方の家族は外国人で口を出さないから、全てはとってもシンプルだった。兄の家族や私の家族の夫婦関係や親子関係も、今のところとてもシンプルだ。後は私の親たちのようにシンプルに死にたいものだ。
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