家族のこと、知ってる人のこと、人間関係を中心に個人的な感想をつらつら書いてみたくなりました。今まで自分に興味がなかったんですが、いろいろなブログにお邪魔しているうちにブログ内での人格ってどういう風に形成されるのか興味が出てきました。


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フランスの日常 [2008年12月 1日(Mon)]
 昨日はアソシエーションの手作り作品展示販売に顔を出した。前日に帰仏したので全然宣伝に協力できなかったのだが、まあまあ好評のようだった。

 トリオの仲間はみんな来てくれたので、日本の話をした。ほんとは昨日が私たちの今シーズン初の演奏会のはずだったのだから、それをキャンセルしたのでみな暇だったのだ。
 私たちが日本に着いた夜に母がレストランに招いてくれ、関西から帰ったときも招いてくれ、最後の演奏会にも来てくれた。母は私が双子の息子を連れてきたみたいだと言った。
 その時に助成金をくれた財団の事務局長が、母より6日前に急死したのだから、命ははかないものだ。

 アソシエーションに行く前に、引越ししたばかりの長女のうちに寄った。一流ホテルのような前の住居から一転して、クラシックな古い建物だが、42平米から83平米へ広がったので、孫クンの部屋も今度はちゃんとある。

 倒れる2日前に母が孫クンに買ってくれたすごく可愛いスキーウェアを持っていく。おやつを食べながら、喜んでけたけた笑う孫クンを見ていると、命の継承というのをやはり感じる。

 長男が電話してきて、年末のバリ島旅行がとれたと言った。私が年末に母の四十九日と納骨に帰ってきて喪中のお正月を日本でボーっと過ごさずにすむようにとの配慮である。

 ほんとにみんな親切だ。

 フランスに帰って一番驚いたのは、マルチーヌ・オーブリーが社会党の選挙でロワイヤル女史を破ったということだ。
 私は別にロワイヤルがすごく好きではなく、「??」な部分も多々あるのだが、ここにきて、PSのしたたかな男たちがオーブリーを選んだというところに、すごく、不健康なものを感じてしまう。
 まあ、オランドの後に、カップルだったロワイヤルを続けて選ぶのも、あまり健全な感じではないが。
 そこはかとなく、差別感というか、女性的なるものとカリスマとマッチョさと派手さとをどう処理していいか分かんなかったんだろうという感じ。裏でてぐすねひいて待っているのは一体誰なんだろう。

 久しぶりにフランスのキオスク書店に行ったら、はっきり言って、こっちの雑誌の方が充実してる。美術雑誌なんて、横トリ関係でさえ、美術手帖もぱっとしなかったし、『をちこち』を買っただけ。こちらなら、ちょっとした展覧会には数種の美術雑誌に特集が組まれるので選ぶのに大変なんだけど。

 たまった雑誌や本を読むだけでも大仕事だが、3週間ちょっとで日本に戻るのだから、ちょっと仕事をかたづけなくては。

 あすはトリオの仲間と会い、新しい(というか初の)マネージャーとこれからの打ち合わせをする。高齢の親がこれでいなくなったので、ある意味、いろいろプランがたてやすくなった。

 今朝は筋トレ=ストレッチングに行ってきた。今からバロック・バレーのクラスに行く。遅れを取り戻すために週3回は体を動かすプログラムで。

 日本では、私が病気になるとまずいと思って健康に留意して運動もしてたんで、さすがに、体的にはなまってない。なかなか体調はいい。

 
プレスリリース

やっとうちに帰ったことなど [2008年11月30日(Sun)]
 帰仏を2週間延ばしていたが、ようやくうちに帰った。今日は本来は私のトリオのコンサートの日だったんだけど。1月に延期。
 とにかく楽器をさわらなければどうにもならない。
 後は、山のような郵便物その他の整理や処理。

 11月のはじめに母が倒れてから、時間がフリーズしてたので、帰ったらほとんど12月というのは、びっくりだ。
 でも、うちに帰ったら、カレンダーはどれも、私が発った10月のまま。私がいないだけで、フランスのわが家の時間もしっかりフリーズしている。ネコにやる薬も私の指示がなかったので1週間遅れてるし。
 
 カレンダーをみな、2枚ずつめくって12月にした。11月って、失われた月だ。

 ネコちゃん3匹に迎えられるのはいつもながら最高だけど。

 2年ほど前なら、フランスに帰っても、長女はNYに、次女はロンドンにいて、夫と猫だけだったが、今は、娘たちはパリに住み、次女は週末で帰ってたし、長女もすぐ電話くれた。母が倒れる2日前に買ったひ孫へのスキーウェアのプレゼントを、今日長女の新居に届けに行く。16区のコペルニクス通りの83平米で、やっと子供の独立した寝室ができた。

 おととい、葬式で母についてのコメント(この前のブログにのせたもの)を読んだ後で、私は、長男にりんごをウサギ型に切ってやった。子供が小さい時は時々やっていたんだけど、今回はあまりうまくいかなかった。

 すると、長男に、

 「ママンが死んだら、葬式で自慢することが何もないじゃないか」

 と言われてしまった。

 私は、

 「私があなたたちにしてあげた最大のことは、すてきなおじいちゃまとおばあちゃまとパパをあげたことだから」

 と答えた。

 「何か、もっと人前で言えるようなことないの?」

 と言われた。

 「あんた、まさか、おじいちゃまやおばあちゃまがやさしかったのはあんたたちが、自分の孫だったからだと思っていないでしょうね。おじいちゃまとおばあちゃまに可愛がられたのは、あんたたちが『私』の子だったからなのよ」

 と詭弁を弄したら、もう言い返されなかった。
 さすがに、コクマルは、よその子でも分け隔てなく可愛がる気がするんで、この詭弁にはまぜなかったのが説得力を増したかも。

 帰りの機内で、映画を7本見た。

 「Sweet Rain 死神の精度」(筧昌也監督)は、ヴァイオレントなヤクザ映画みたいなエピソードが、今ヴァイオレンスを全然受け付けない(大相撲のTVを見ただけで、胸が悪くなったくらい)私には嫌だったが、全体としては、まあ、どうってことない映画。でも最後まで見てしまったのは、主役の金城武が長男に似ているからだ。写真で見てもいつも思ってたけど、映画を見ても、はっとするほど似てる。

 もう1本の、これもとってもヴァイオレントでうんざりする映画

  『ウォンテッド』(ティムール・ベクマンベトフ監督)

 を見たが、これも、主演のジェームズ・マカヴォイが、うちの長男に似てる。じゃあ、金城武とジェームズ・マカヴォイが似てるかといわれたら似てないかもしれないけど、この映画の中のジェ
ジェームズ・マカヴォイの横顔とか鼻の形とか、長男にそっくりだ。長男も今加圧トレーニングとかしてるしね。それで、最後まで見てしまった。

 ヴァイオレントで予定調和で、荒唐無稽だけど、倒すべき敵や克服すべきシチュエーションのハードルが高くて結局楽しめたのは、

 『ダークナイト バットマンリターンズ』

 かなあ。主要人物たちの配し方がうまく、一難去ってまた一難という展開や、まあ、すごく破壊的な悪の権化に対してアメリカ的ヒューマニズムの理想や希望も織り込んでるので救われる。

 夏にミュージカルの舞台を見た『Mamma mia』の映画版も見た。メリル・ストリープでベストチョイスだ。娘役も可愛い。

 フランス映画は2本、

 『La fille de Monaco』 Anne Fontaine
  Fabrice Luchini, Roschdy Zem, Louise Bourgoin,

 これは、予告編を何度も見て、コメディかと思ってたのだけど、なかなか含蓄があって、はっとさせられる終わり方になっている。
 Fabrice Luchini のしゃべりっぷりが、弁護士役ということでますます冴えているし、彼が「アル中」と法廷で発音しただけで、アルコールのグラスが思い浮かぶといって口真似をするヒロインの演技が笑える。ガードマンのモロッコ系Roschdy Zemとのコントラストがすばらしい。「悪女」というものが、いや、女を武器にする女というものの怖さが私でもふるえるくらいよく分かる。こういう女を前にしたら、男には破滅が見えていてさえ、全くガードするすべがない。いつもながら、Fabrice Luchini がいるだけで、典型的なフランス映画になっている。

 もう一つは

 『Mes amis, mes amours』Lorraine Levy で、これも、

Vincent Lindon, Pascal Elbé, Virginie Ledoyen

 と、フランス的キャストだ。ロンドンのフランス人地区が出てくる。

 アメリカ映画もう一つ

 『Then shi found me』 Helen Hunt
Helen Hunt, Colin Firth, Bette Midler, Matthew Broderick...

 これもむしろヨーロッパテイスト。ウッディ・アレン的でもある。
 おもしろい。この3本はみな女性監督だ。なかなかすごい。
 子供がもてない、死産や、養子などをめぐる女性の心理。母と子や、家族とは何かの永遠のテーマ。これについては、往きの飛行機でも考えさせられる映画を見た。それは

 『Baby Mama』Michael MaCullers

 Sigourney Weaver の演ずるキャリアウーマンが代理母出産で子供を得ようという話。環境の格差で笑わせたり、コミックなシチュエーションだが、こういうところに、いつも、生の意味のぎりぎりの模索とかが姿を見せる。

 イギリス映画
 『My name is Hallam Foe』David Mackenzie

 は、男の子と母の関係。母の事故死と父の再婚。ちょっと怖いイニシエーション・ストーリーだった。

 フランス映画の
 『Sagan サガン』Diane Kurys は、Sylvie Testud が相変わらずうまい。これも、母と息子の関係が別の意味でせつない。

 『Meet Dave』 Brian Robbins

 は、Eddie Murphy, Elizabeth Banks。エディ・マーフィのSF コメディで、ハンコックなんかと同系列だな。母子を絡ませるところも類型的だ。

 『Broken English』Zoe R Cassavetes

 これも女性監督。米仏比較文化映画でおもしろかった。
 ここに出てくるフランス人の男って、みんなT シャツにジャケット、ジーンズ、帽子っていうのが多い。これがイメージなのか。
 名前もジュリアン、セバスチャン、ギヨームって、典型的なフランス名。(ギヨームはウィリアムのフランス読みだ。)
 パリのシーンではさすがに黒人が1人出てきたりするけど。カフェで出会う哲学者っぽい「大人の男」のは、ジャン=ポール・クレマンという名。こういう設定がすでに、アメリカ人にとってのフランス人のイメージがよく分かる。
 面白いのは、字幕のつけ方。私はこれをフランス語字幕で見た。
 この中で、フランス男が、
 「I’m hungry.」というのだが、フランス人はHの発音ができないので、ハングリーがアングリー(angry)になってしまう。で、アメリカ女性があわてるシーンがある。

 ここのところのフランス語字幕はこうだった。

 「J'ai la fin.」(ジェ ラ ファン=僕は終わりを持っている)
 で、女性があわててが、いや実は、定冠詞が要らなくて、
 「J'ai faim.」(ジェ ファン=おなかがすいた)だったことになる。

 秀逸である。
 
 こういう比較文化ものって、両方の感じがわかんないとおもしろくないかもしれない。日本人が見たら、どうなのかなあ。

 こうしてみると、親子の関係、男と女の求め合い、そういう生物的なとこが社会的なひねりの中で不全感を得てしまう部分こそがが、永遠の人間ドラマなんだろうな。

 してみると、私と両親の関係は最後まで平凡で波風がなかった。私の同世代人に多い、高齢化したリ認知症になったりした老親の介護という問題も知らずじまいだ。

 両親の子供は兄と私の二人。
 双方の家族は外国人で口を出さないから、全てはとってもシンプルだった。兄の家族や私の家族の夫婦関係や親子関係も、今のところとてもシンプルだ。後は私の親たちのようにシンプルに死にたいものだ。


 



 
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母のこと [2008年11月27日(Thu)]
 今日、母の法要があったので、そのとき私が話したこと。

 コクマルの言葉も読んだ。分かりやすいように少しずつ変更したので、このブログでのヴァージョンも変えている。

「 母のこと

 母は手仕事が好きで、私の小さいころから、服も小物もみな母の手作りでした。箪笥の私用の引き出しにはチューリップの手作りシールが張ってあって、兄用の引き出しには野球のミットのシールが貼ってありました。

 母がつくってくれたすべてのゆで卵はお花の形に切ってあり、にんじんは桜の形に、りんごは耳を立てたウサギの形に切ってあり、おむすびは卵や海苔の着物を着せられて、ようじでつなげた鶉の卵には食紅で顔が描いてありました。

 学校で雑巾をもってこいと言われれば、色とりどりの糸で複雑な模様縫いをしてくれて、座布団をもってこいといわれれば、フランス人形の凝った刺繍をしてくれました。体操服入れにも、道具入れにも、見事な刺繍がしてありました。 
 今のように、手軽にキャラクターグッズが売っていなかった時代です。私の持ち物だけがあまりにも可愛くて目立つので、他の生徒を気にした学校側がついに、全員おそろいのナップザックを導入することになったことさえ、ありました。

 私の長男が生まれた時は、日本から、かかえきれないくらいの赤いバラを送ってくれました。長女が生まれた時は、手作りのアートフラワーの花束をかかえてかけつけてくれました。

 私の子供たちが生まれた時は、もう、世の中にはものがあふれていましたが、子供たちのおやつ袋は、いつも、母が日本から送ってくれる手作りバッグでした。どの子もみな、母が送ってくれるファミリアの洋服を着て育ちました。
 
 今年の4月に私の孫が生まれた時は、2年前から通っている俳画の教室で描いてくれた兜の絵を贈ってくれました。

 「こうして、命って、続いていくのね」と、ひ孫の誕生を感慨深げに話していました。
 
 もうひとつのエピソードです。

 私は、小さいときから虫が苦手で、小さな蚊ですら、心の中で拡大して怖がっていました。もちろん、虫を見つけて叫べば母がいつも来てくれました。

 ある時から、急に、虫だけでなく、シラスの目が怖くて食べることができなくなったことがあります。クローズアップして見てしまうのです。

 ところが、その頃、私は急性気管支炎で高熱を出しました。母に看病してもらってようやく回復しかけた時、母の作ってくれたおかゆに、小さくて、ご飯と同じくらいまっ白なシラスが入っているのに気がつきました。たくさんあるその小さな魚からは、すべて、ひとつひとつ、頭の部分がていねいに、取り除かれていました。

 それを見た私は感動して胸がつまり、母に、シラスが入っていることを言いましたら、母は、悪いことを見つかってしまったようなあわてた顔をして、

 「ごめんね、気づかれないようにと思ったんだけど。栄養を採らせたかったから」

 と答えました。

 目のないシラスが慎重にそっと、しのばせてあったそのおかゆは、チューリップのゆで卵やうさぎのりんごや、お姫様型のおむすびよりも、さらに心に残る「母の味」となって、ずっと私の中に残っています。

 最後に、母の最期の様子を一言お知らせします。

 母は娘と孫との3人で旅行中、元気の絶頂で倒れましたが、救急ですぐに診ていただいた病院には偶然、従妹の・・さんの姪御さんが夜勤で働いておられて母の手当てをしてくださいました。

 そして、彼女が親しくしている有名な脳外科の先生を呼んでくださいました。

 その先生に手術をしていただいて脳幹を圧迫していた血は吸引できましたが、残念ながら機能は回復しないまま、亡くなりました。

 でも、母は、2週間半も、看護士さん、脳外科の先生、みなが口をそろえて「信じられない」とおっしゃったほどの生命力で、がんばってくれました。そのおかげで、私と兄は、それなりの心の準備ができたように思います。

 母が息を引き取るとき、別の手術中だった先生が、手術室から抜け出してそばに来てくださいました。脳外科の名医であるその先生にとっては、80代の高齢者が脳内出血の末に亡くなるというのは、決してめずらしいケースではなかったはずです。

 それなのに、母が亡くなったとき、その先生が涙ぐんでいたので、私は驚きました。

 「がんばられましたね。本当にがんばられましたね。」

 と言った後、真っ赤な目で私を見て、

 「このような生命力のある、がんばられたお母様をもたれたことを、ご家族は、ほんとうに、どうか誇りに思ってください」

 と言われました。


 母は、私の、私たちの誇りです。

 それを感謝するとともに、
 母からもらったたくさんの愛と、力とを、
 これからも、長く、広く、大きく、深く、つなげていくことを使命としたいと思います。」
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横トリに行ったことなど [2008年11月26日(Wed)]
 ようやく「いつもスタンバイ」的状態から解放されてるのを利用して、昨日は閉幕の迫った横浜トリエンナーレに行った。

 母と11月4日にMOA美術館に行った後で、ランドマークタワーのロイヤルパークホテルのクラブフロアに予約してあって、トリエンナーレを見る予定だったのだ。5月の直島ですっかり現代美術のファンになった母にとっては、まあ、別に惜しむほどの内容じゃないな、と思った。また別の場所に書こう。

 11月4日に横浜のホテルにキャンセルの電話したら、本来はキャンセル料が発生するけれど要りません、と言われた。

 その後、MOA美術館には行ったし、昨日は横トリにも行ったので、母と行くつもりで行けなかったのは、8日の歌舞伎座の顔見世だけだ。私は南北が好きなので楽しみにしていたのだが、あのシチュエーションでは残虐ものを見る気はしなかった。

 帰仏を延ばしてるうちにすっかり秋も深くなり、新港ピアの方に歩いていくと、枯れたイチョウの葉のにおいと港のにおいがまざって、母の最後の地になった熱海の絶景と塩と温泉の香りを思い出した。

 母が倒れてすぐに受け入れてくれた病院が、海際の明るい国際医療福祉大学病院で、偶然、母がいつも健康相談をしていた従妹の姪御さん(看護士)が、夜勤で、母を世話してくれた。

 もちろん、結局、母は還らぬ人になったのだが、それでも、すべては、まるで絵に描いたように、生前の母が望んでいたのと同じシナリオで進んだ。

 私も、看病したわけでないし、まあ、スタンバイしてただけで、ほんとに不安だったのは、6日の夜、初めて熱海で1人でホテルに泊まった時くらいだ。

 何しろ3日は、母と長男と3人で、超一流旅館に部屋をとっていたのが、4日は、長男と2人で、病院に一番近いという理由であるリゾートホテルのツイン・ルームに移り、5日は一旦帰京したが、6日は、駅近くのビジネスホテルのシングル・ルームに泊まったのだ。

 人数がだんだん減り、豪華ディナーから、長男と二人の食事、そして、6日の夜はついにホテルの隣のコンビニで買ったお惣菜を1人で部屋で食べるということに。

 運命の変遷、激し過ぎ。

 次の日が「立冬」で、ホテルで配られる朝刊に、

 「かくれんぼ三つかぞえて冬となる」

 という寺山修二の俳句が引かれてあった。

 この世は数秒にして激変する、と解説があった。

 ま、この後、冬は冬だが、すべては比較的穏やかに展開したし、もの心ついてからずっとそうだったように母に全面的に信頼されていることを感じたので、信頼関係が回復し、人生が突然前より豊かになった。

 しかも、最初から最後まで、日本やフランスの家族、友人たち、知人たちから、これも絵に描いたように完璧な善意や思いやりをもらい続けたので、人生の中でこんなに甘やかされたというか、やさしい言葉やアクションのシャワーを浴び続けた3週間はなかったくらいだ。何でみんな、こんなにやさしいんだろう。

 その後では東京-熱海往復生活もすっかり慣れたので、それなりにQOLがどんどん上がっていった。特に、東京より3度くらい暖かい熱海の絶景を楽しみつつたっぷりウォーキングできて健康的だった。

 でも、最初に、1人でビジネスホテルに泊まった夜だけは、病院から呼び出されるかもしれないという恐怖があったんで、落ち着かず、誰かと話したかった。

 これがフランスなら家族は別としてトリオの仲間がまず、頭に浮かんだろう。(実際、30日のコンサートをキャンセルしたので、彼らには早くメールを出し、とてもすてきな言葉をもらっていた。帰仏延長で約束をキャンセルした家政婦さんから生徒たちにいたるまで、一冊の本になるくらい感動的な言葉ばかりもらった。こういうとき、フランス語は感情を表明しやすい。すてきな言葉だなあ、と思う。)

 でも、ここは日本。

 夜中に突然電話して、別にどうにもならないのにSOSを発するには、当然相手を吟味しなくてはならない。

 ふたりの男性をチョイス。

 ベスト・チョイスだった。

 ありがと。

 1人は、互いに20代前半からの30年以上の付き合いだ。
 携帯にメールを打った。
 すぐ返事。

 深夜、あれこれ、しゃべる。

 気がすんだので、それから、2週間半、呼び出さなかった。

 母が亡くなってから、その報告と、すべてが最良に進んだ、とメールを送った。

 すぐに携帯メールから返事が来た。

 「よかったね。いつまでも友達だよ」

 と書いてあった。

 この状況で、こういう言葉をかけてくれるなんて、友達って、いいね。

 母が亡くなる2日前には、別の友人のことを思い出した。彼は40年以上の付き合い。

 やはり深夜に長々としゃべった。

 みな基本的に大学の先生なんで、わりと気が楽だ。兄もそうなんで、比較的、時間の融通がついた。
 私なんて、帰仏延長で時間がフリーズしてたから余裕だったし。この晩秋、日本にいるのは、1979年以来である。あの年も、暖かい11月と紅葉を堪能したっけ。

 横トリのテーマは、「Time crevasse」だった。
 このテーマに惹かれたのだ。
 友人がマイムで10月にイべント出演をしたし。

 でも、玉石混交過ぎ。

 パフォーマンスと映像に偏りすぎ、
 インスタレーションの多くは、初日のパフォーマンスの残骸である。パフォーマンスの残骸が作品になってるのはミケランジェロ・ピストレットの鏡の間くらいだ。

 私は、1960年代の「ハプニング」などのパフォーマンスを美術手帖などでずっと追ってきた世代だ。

 40年も経って、これかい。
 これじゃ、タイム・トラヴェルだろ、ってのも多い。

 それなら、1965年のNYのカット・ピースと、2003年のパリのカット・ピースを並べたオノヨーコはすごい。

 本当は三渓園の霧の作品が一番見たかったけど、会場が離れてるんで、見れなくて残念だった。

 キュレーターは、テーマを出してただ連想ゲーム的にやらせるんじゃなくて、もっと求めるものを明確に打ち出して求心力を発揮して欲しかった。

 ショップで本を1冊買った。

 石井達郎
 『身体の臨界点』青弓社

 読み始めた。 久々に科学読み物から解放。
プレスリリース

コクマルガラスから母へ [2008年11月24日(Mon)]
 先日、実家の母が亡くなった。

 今日は、すぐに、母に寄せられたコクマルガラスからのメールを翻訳掲載。コクマル本人の最初の登場である。

 私は別に看病していないので無駄に元気であるが、コクマルは私の2度の帰仏延長に振り回されて大変だったと思う。ご苦労様。


 「おかあさんへ

 死はおかあさんの体を持ち去ってしまいましたが、心と魂は持ち去ったわけではありません。

 家族の幸せを、ひたすら願い、尽くすことが、おかあさんの模範的な生き方にあらわれた定めかのようでした。

 周囲の人々に対するいつも変わらぬ献身と配慮、惜しみなさ、明るさに満ちていたおかあさんの人生は、同時に、家族みんなにとって、どのように生きるべきかを教えてくれるものでした。

 妻として、母として、祖母としてのおかあさんの生き方は、周りの人々の生の喜びを織り成し、常に魂を吹き込むための、当を得た言葉と行いによる、まことの祈りでした。

 他の人なら、本当の意味で生きることなしに、ただそこにいるだけという場面で、おかあさんは、自然で、かつ、まったく独特な存在感を持って、いつも信じられないほどに若々しくおられました。
 そういうあり方においても、おかあさんは、永遠に生き続けています。
 そしてそれは、いかなる時も、決して見返りを求めることなくみずからを捧げるという本物の価値の体現でした。

 おかあさんの揺るぐことのない愛の光と力は生き続けていて、家族や親しかった人々に深くしみ渡っています。

 だからこそ、私たちの思いの中で、おかあさんは、飽きることなく私たちに差し出してくださった愛と平和の波止場として、いつまでも健在です。

 この思いと愛の交わりを通して、おかあさんは、家族の絆でいてくださいます。死を、超えて。」 

 以上、コクマルより。
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自死について [2008年11月24日(Mon)]
 浄土真宗のおぼうさんに、自死についての宗教的見解を聞いた。そのお坊さんの知り合いの僧侶で学者だった人が自殺したエピソードを聞いたからだ。

 子供による親殺しは大罪で、親による子殺しは罪じゃないそうだ。親は子に命を与えたのだから、それを奪う権利がある。与えられたものは、奪われる、生殺与奪の権があるのか。でも、身体髪膚これを親に受く、だから、自殺も罪じゃないのかと思うが、それは儒教的なのか、自死についての仏教の一般的見解はないみたいだ。
 親鸞にとっては、罪あるものこそ往生する、のだから、自死の罪はあまり意味をなさない。縁によっては、誰にでも起き得るアクシデント、というスタンスである。

 イスラムでも、基本的に、親殺しは大罪で、子殺しはOKだそうだ。イスラムは一神教で、万物の創造神がいてアラーの前ではみな平等のはずなのに、アラブの家父長的メンタリティが勝つのかもしれない。要するに、家父長制や社会における長幼の秩序を乱すのが最大の悪=罪ということなのだろう。君臣の秩序も同じだ。

 それなら、まだ、超越的な「神」にだけ被造物の生殺与奪の権があって、大罪は神に対する「冒涜」だけっていう方がましだ。
 
 そして、何を「冒涜」とするのかは、神のみぞ知る、ってことで、人間が人間を裁いてはならない。

 私は、自殺は、自分をこの世に招いてくれた人(流れ)への背信という気もするが、まあ、問題は、自死を選択する時点で、たいてい病気や不幸などの「絶望」をかかえていることだ。人は、「絶望」しているときには、本当の自由な選択はできない。

 怒っている時の判断は絶対に誤りだとセネカが言っている。怒っているときは、誰でも自分が正しいと思っているからで、そして、自分が絶対に正しいということなどあり得ないのだから、その確信に基づいた判断は誤りだという。
 「絶望」した人は、逆に、自分や自分の人生に対して絶対ネガティヴな感情を持つので、そんな時には、自死のようなまさに生死にかかわるような決定をしてはよくない。
 だから、「絶望」した時はもう少し踏ん張って、怒った時もそれがさめるまで待ってから、自分の行動を選択した方がいい。

 絶望していない時に冷静に考えておくと、自死が、人が人をつなげていくという人生のマナーに反することが分かるし、他の人を不幸にするということも分かるので、「予防」は可能だと思うのだが。

 前に、死刑反対について書いたら、今度は自殺反対について書いてくれといわれた。
 でも、私は「私の自殺」には反対の決定をすでにしているけれど、すでに自死を選んだ人(=絶望していた人)を批判することなど絶対にできない。

 もう少し考えてみよう。
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なぜかなあ [2008年11月19日(Wed)]
 この前から、何度か、今私が陥っている危機的状況について、分析した記事、特に、祈願と祈念についての記事を書いたのだが、そのたびに、送信しようとしたらフリーズして、結局消えてしまう。

 書いちゃいけないってことなんだろうか。

 不思議なことばかり起こっている。

 しょうがないので、今日は、実名ブログの方に、舎利信仰についての記事をUPしてみた。サイトの質問にも返事した。
 興味のある方はどうぞ。
ビジネスブログ

金沢文庫 [2008年11月18日(Tue)]
 金沢文庫に行ってきた。

 11月のはじめに知人と行くつもりが、いろいろな理由で、延ばしたりキャンセルしたりであきらめかけていたのだが、帰仏を延ばしてるうちに紅葉が見ごろになってきたぞ、と気づき、秋晴れだし、ちょっとお出かけ。

 ただし、緊急呼び出しに向けてスタンバイしとかなくちゃいけないんで、誰とも約束せず、一人で行った。

 いやあ、素敵だった。称名寺の赤門から続く桜並木の葉の色づき具合が繊細で、風があるのでそれが陽にあたってきらきらまたたくように舞い落ちるシーンは、久々の日本の秋、のシーンだ。仁王門と浄土庭園、ぴったりのボリュームの山が真後ろにくっきりと青空をくりぬいて秋の色を見せている。イチョウの古木も趣があるし。

 お地蔵様にもほろりとさせられる。

 金沢文庫では、釈迦追慕展。気分的にもぴったりだ。カトリックの聖遺物信仰と仏教の仏舎利信仰の比較をしたかったのだが、すごく勉強になった。このことは別のブログに書くつもり。

 展示を見ながら、解説者や他の見物客の意見も聞いてみた。「これは仏舎利、ありがたいものだから、さ、拝まなきゃ、」と手を合わせた人が一人いた。これは迷信か信仰心か、ほんとに釈迦の遺骨なのか、どうでもいいのか・・・

 ここの釈迦如来立像は、清涼寺式といって、釈迦の存命中にその姿をコピーしたもののコピーと言われてるのだが、なんかのっぺりして、白石加代子みたいで、アーリア人とは思えないなあ。
 10大弟子立像は表現力豊かで見事なものだ。高位の存在のそばにいるときは、右肩を出して、攻撃心のないことを示すのがリスペクトのマナーであり、チベットの僧侶なんかは今もそうだが、この10大弟子も、6人が片肌脱ぎ。
 
 仏舎利ははっきり言って私の視力じゃほとんど見えないよ。ただし、これをつつんでいた紙がいい状態なのが奇跡的だ。

 展示を見た後で図書室に行き、舎利信仰についての資料を出してもらって、コピーしたりして、いろいろなことが、はっきりした。

 本は
 
 景山春樹『舎利信仰』その研究と史料 1986 東京美術

 『仏舎利の荘厳』奈良国立博物館編 昭和58年 同朋社出版 

 の2冊。

 称名寺の庭園も、背後の山も、舞い落ちる秋の葉も鳥の声にもしんみりしたし、弥勒の瑠璃の髪も美しく、立像がみなやや肩が丸く、歩きかけている風情がバロッキーだとうれしくなったし、すでに気分はよかったのだが、このこじんまりした図書室に入って、本棚に囲まれた机と椅子を見た時、久しぶりに、すごくリラックスした。私の居場所はここなんだなあ、とほっとした。

 長男のマンションには彼が日本に来たときにまっさきに私の両親がプレゼントしたピアノがある。楽譜はベートーベンのソナタいくつかとショパンしかないんだけど、まあ、それを弾くのも落ち着くが、そうか、図書室が一番足りなかったらしい。

 仏舎利と法舎利の違いとか、数の問題とか、信仰の広がりとか、いろいろチェックしてるうちにそれが刺激的で、気分が高揚してきた。長年の疑問にすっきり整理がついてきた。すごく幸せ。

  
 
プレスリリース

『ハッピーフライト』 [2008年11月17日(Mon)]
 帰仏を一週間延ばしたんで、完璧なモラトリアム状態で、時間がフリーズしてしまった。

 しかし、そこは、動的平衡ということで、心身の免疫力を高めるために、美容院、ストレスケア・マッサージ、とか、絶景のロケーションでのウォーキングとか、無駄にぴかぴかで元気になっている。

 猫もいないし、雑用もないし、日常と切り離されてるからね。

 近場の新宿ピカデリーにまた映画を観にいく。

 今度はコメディがいいと思い、国際線飛行機の裏話という話で、いつも長距離空の旅を余儀なくされている私には興味あるかも、と思って矢口史晴監督の『ハッピー・フライト』を観た。

 そしたら、やはり事故があって緊急事態だ。そうじゃないと映画にならないのかなあ。パニック映画だと知ってたら、精神衛生に悪いから釣り馬鹿日記にでもしたのに。

 まあ、誰も犠牲者なしのハッピーエンドで、助かった。

 コックピット、キャビン、管制塔、地上スタッフ、オペレーションコントロールセンター、整備士、いろんな視点が上手にコラージュしてあって、なかなかの手際である。たいしたものだ。

 「客」が一番存在感がない。私はいつも客の側なんで、変に感情移入できない構成でよかった。

 国際線によく乗る人には、絶対面白いと思う。
 飛行機に乗ったことのない人、とかならどう感じるか分からない。

 まあ、元客室乗務員のブログだとか、某マンガ誌の連載シリーズだとかで、乗務員の舞台裏とか地上勤務のエピソードなんかは、なじみといえばなじみなんだけど。

 田辺誠一と時任三郎のコンビは好感度大だった。
 人の命を預かるスリリングなメチエを目指す人がいつの時代もいるのはありがたいことだ。

 少しは仕事しようと思うのだが、落ち着かないので、大体「科学読み物」ばかり読んでいる。男性ホルモンは免疫系を弱めるっていうのが頭に残った。私は少なそうだからよかったなあ、って。
ビジネスブログ

セカンド・ネーチャー展 [2008年11月13日(Thu)]
 昨日、予定通り、東京ミッドタウンのデザイン・サイトに、吉岡徳仁のインスタレーション・アートを見に行った。

 六本木ヒルズはバブリーで疲れる空間だと思ったけど、この東京ミッドタウンはわりとすっきりしてて、緑もふんだんに配してるし、Design Sight 21_21 は安藤忠雄設計なんで、直島に戻ったような懐かしい感じ。

 東信(あずままこと)というアーティストの、植物は無限造詣で、環境の規制と無限の間に生まれた摩擦がアートになるというコンセプトを語っているのが非常に興味深かった。

 現在、相変わらず、私の周りはスリリングな「非常時」が続いているのだが、それが、ますます命とアートと、クリエーションについて考えさせてくれる。

 生命というものが、どれだけエントロピーを凝縮させているのか、そして生命が失われる時は環境の規制がとれてエントロピーが増大して無限に戻るのかというイメージが強かったけれど、むしろ、いろいろ規制が強まってきて、それに押しつぶされてブラックホールみたいに消えていくような気もする。

 たとえば、トイレを我慢してるとか、歯が痛いだけで、私の生はメカニズムに還元されて、精神の自由は縮小する。

 体内時計についての本を読んだので、生物の時間はそれぞれの遺伝子を背負った分節する相対時間だということに感心し、なんだか、今は、何を見ても読んでも、永遠とか歴史とか変遷とか受け継いだものとか、壮大なスパンで考えてしまう。生命の秘密を探るために細胞を創ろうとする生物学者の熱意も、無限との摩擦の境界で生命を輝かそうとするアーティストの情熱も、街行く人の平和な様子や、病気や事故にあった人たちの絶望も、みな、ひとつの根に収斂していく気がする。

 で、やさしい気分になる。

 自分に残された時間の密度も高めたい。

 この有限の世界に招かれたことの幸運に感謝したいくらいだ。
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