家族のこと、知ってる人のこと、人間関係を中心に個人的な感想をつらつら書いてみたくなりました。今まで自分に興味がなかったんですが、いろいろなブログにお邪魔しているうちにブログ内での人格ってどういう風に形成されるのか興味が出てきました。


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引越しのお知らせ [2009年10月27日(Tue)]

 このブログを引越しします。

 私生活を垂れ流すのは、仕事上で誤解を受ける恐れがある、
 このブログでは煩雑に来るスパムコメントを阻止できない、
 
 という理由で閉じてしまおうと思ったのですが、
 基本的に知り合いにしかお知らせしていないブログなので、コメント欄でおしゃべりできなくなるのも残念ですから、ひっそりと引っ越すことにしました。

  HNはnitetisをやめて「まや」です。よろしくお願いします。

 引越し先は以下です。

 http://blog.goo.ne.jp/mayatosally/

猫と孫 [2009年10月22日(Thu)]

 何年も室内飼い猫を観察して、しっかり擬人化してきた後で、人間の孫クンの発達を見るようになって、人間への洞察がすっかり深くなった。
 自分の子供がそばにいた時は、雑用に追われ、子供というのがなんだか「自分の自由の阻害要因」みたいな勝手な刷り込みがあった上、生来の心配性で、あれこれと心が砕かれ、観察という余裕はなかった。観察できたのは、バイリンガリズムの形成と、フランスの教育と、ジェンダー形成くらいだろう。後、自分の中のセクシズムとか。
 これは今も続く。たとえば、長女や次女に関しては、なんとなく、子供を生もうと思えば生めるチャンスに恵まれてもらいたいと思う。しかも、実際、長女に男の子ができた時、これで、長女の将来は安泰だなあ、と思った。将来、私や夫がいなくなった後でも、長女が困窮してり倒れたりしても、彼女の息子がちゃんと面倒見てくれるだろうと安心できたのだ!!!
 この実感は考えるとおかしい。なぜなら、私自身は、自分の長男についてそんな気持ちは全く抱いたこともなく、子供の世話にはなりたくないし、世話もかけられたくない、というのが実感だからだ。私の母ですら、子供の世話にはなりたくないと言っていた。

 結婚については、離婚の多いこのご時世だし、幻想を抱いていないので、娘たちが結婚してくれれば安心、という気はしなくて、ちゃんと職業を持って生活力があるように、と願う。しかし、「幸福」という要素を持ち出すと、何だか、子供を育てることができたらさぞ嬉しかろうとか思ってしまう。同じことは長男には思えない。「長男の老後のためにいい跡取りができますように」なんて、逆立ちしても思わない。好きなように生きれば? と思うだけだ。
 もちろんジェンダーというより、生物学的現実のバイアスがかかっているのだろうけれど。不思議だ。「女の幸せは子供を生んで育てて・・・」なんて教条的なことは思ったことがないのに。

 で、孫クンはちょうどいい距離感があって、観察にはぴったり。

 まず、ミラー・ニューロンというやつだ。
 赤ん坊は一歳くらいからもう、ミラー・ニューロンを駆使する。
 孫クンは何でも真似るのが得意で、かなり演劇的シチュエーションを上手くこなす。
 ここのところ、それに慣れていたので、先日久しぶりに雨が降って、天窓を雨が叩いた時、私はうちの猫ちゃんズに、大げさな身振りで、窓を見上げて、「わあー、すごーい!」と言ってみた。

 彼らは、いっせいに私の顔をじっと見るばかり。

 孫クンなら、確実に、私の見る方向を見て、自分も驚いて見せるんだけど。

 孫クンは、ここ数ヶ月、口に含んだだ水を吐き出すことを覚えた。時には噴水のように噴いてみせる。当然こちらは慌てる。面白がってわざとやる。
 猫と暮らしている私は、こういう時、見ぬふりをする、災いの元であるコップを遠ざける。同じシチュエーションを作らない、などと、私の方で対策を立ててしまう。躾けるというチョイスは猫といるととても限られるのに慣れているからだ。

 先日またそれを孫クンが、べビーチェアの上でやった。
 かなり離れていた婿クンが、断固として怒った顔を向けて「そういうことをしてはいけない」と言った。
 孫クンは、泣きべそをかいている。
 婿クンはティッシュを孫クンに渡して「自分のいたずらは自分できれいにしなさい」と言った。
 孫クンは、半分泣きながら、テーブルの上の水を拭いた。

 一歳半。

 めちゃ可愛い。

 悪いと言われることには全部挑戦して、こちらの反応を確かめる。他者の視線を通して「対他」の自己を形成している。
 すごいなあ。

 私たちは、猫は個人主義の見本だとか、自由のシンボルだというが、人間と猫の間に自我の衝突とか拮抗なんてないなあ。

 たとえば、何かまずいことをしている時、孫クンに見られると、自分の行為を対象化して突然自分も関係性の中に位置づけられてて気まずいが、猫に見られても、気にならない。それは、いい関係、自由な関係だと思っていたが、実は、関係性が成り立っていないからなんだろう。猫は私を見て、次の行動のいろんなパターンを予測するが、それは猫じゃらしの先っぽの行方を予測するのと変わらない。

 まあ、それだけに、感情移入しやすい対象でもあり、すべてこっちよりに解釈することだってできるし、それがまたいかにもそれらしく見える。ブログで猫マンガを毎日見てたら、うちの猫たちからもセリフ入りのの「吹きだし」が出てくるように思える。普遍性があるなあとか思ってしまうのだ。
 実は、大分違う。ってか、全然、違う。
 普遍性があるのは、関係性を求める人間の心の動きの方なのだ。
 

Dupond et Dupont [2009年10月15日(Thu)]

 義弟夫婦が三日ほどうちに泊まった後で、16区のうちの長女のアパルトマンから遠くない自分たちのアパルトマンに昨日戻っていった。

 私たち夫婦は8月の末に8日間、孫クンをヴァカンス先であずかった。義弟夫婦は、9月はじめに、長女夫婦、長女の友人夫婦プラス孫クンをマドリードの自宅に10日間泊めてくれた。その間二組の若いカップルが観光している間、義弟の奥さんが庭のプールなどで毎日孫クンを遊ばせてくれた。孫クンが最初に義弟を見た時、一瞬驚き、躊躇した後、にっこり笑って「ピアー(うちの夫のこと)!」と叫んで両手を広げて抱っこをせがんだことは前にも書いた。その後で、孫クンはみんなが義弟のことを「Didierディディエ」と呼んでいるのを聞いて、時々「ディジェー」とも呼ぶようになったが、夜寝る時は必ずピアにするようにだっこをせがんでお歌を歌ってもらわないと寝なかったそうだ。

 それからうちに来て本物のピアと再会した時、一度だけ「ディジェー」と呼んだことがある。うちの夫はもちろん憮然としていた。
 
 当然だが孫クンは婿クン側の祖父母を私たちと間違うことはない。夫と義弟を混同するのは明らかに彼らが実際に似ているからである。もちろん良く見ると違うし、うちの子供たちは小さい時からこの義弟夫妻のところで何度もヴァカンスを過ごしたが、一度も「パパ」と「ディディエ」を混同したことはない。まあ、パパは絶対の存在感のある太陽だったし、頻度も違う。でも孫クンにとっては、一世代置いての関係だから「ピア」と「パパ」は違っても、「ピア的な人」は混同しやすいんだろう。

 で、ディディエが、孫クンちに二人で同時に行って孫クンの反応を見てみたいと言い出した。ついにピアとディジェーが同一人物でないことが明らかになるのだ。

 私たちはこのプランにわくわく。

 昨日の夕方7時に、長女のうちの前で待ち合わせた。

 長女にはもちろんOKをとってあるが、平日の夕方、夕食を済ませた頃に突然大人4人がやってきて孫クンを興奮させるなんて、後で寝かしつけるのが大変かもしれず、いい迷惑であり、大人気ない話である。

 夫はまず、自分が先に行って、心の準備をさせるとか言ったが、すぐに却下された。一緒に行って、孫クンのうろたえる顔を見たい、どっちがピアでどっちがディジェーか見分けられるか見たい、と残り3人が思ったからだ。

 7時。私は時間通りに行ったが、長女のアパルトマンのある建物の前で、もう3人はわいわい言ってたむろしている。

 作戦を練る。

 まず、私と義弟の奥さんが入る。その後少しおいてから兄弟が同時に入ってくる。こうすると孫クンの反応を私たちはじっくり観察できるからだ。

 アパルトマンの前に立ちベルを鳴らす。婿クン手作りの夕食の支度のいいにおいがしてくる。

 婿クンがキッチンから出てくる。
 あれ、孫クンは?
 今食べ終わったところで、寝室で遊んでいる。
 私が寝室に入っていくと、「ママン?」と言って振り向いた。
 私だと分かると、
 「ミア」と嬉しそうに言って寄ってきた。
 義弟の奥さんも続いて、マドリードでいつも歌ってやっていたらしい歌を歌って、孫クンの記憶をよびさまそうとしている。
 ここまで、孫クンは、機嫌がいい。

 で、そこに、突然、「Dupond et Dupont」登場。

 Dupond et Dupont というのはフランス語圏の国民的マンガ『タンタン』に出てくる双子みたいなおバカな中年探偵である。夫も義弟も当然、タンタンの読者。だから、Dupond et Dupont のセンで登場しようと思ったらしい。

 二人そろって、首を傾けて、シンクロしながら

 「ボンジュール!!」

 とやった。 なかなかコミックである。アラカンのおじさん二人とは思えない。

 そしたら、孫クンは、

 大ショックを受けて、

 パパの腕の中に飛び込んだ。
 
 顔を隠す。

 舞い上がった大人たちが周りで「ほーら、ピアはどっち?」とか口々に言ってると、孫クンはほとんどべそをかいて
  
 「ママーン」とか小さな声で、この場にいないたった一人を求めている。

 実際、長女に向ける孫クンの崇拝ぶりはすごいもので、私はちょっとうろたえる。うちの子たちは、いつも住み込みでいてくれた日本人の若い女性たちと私の区別をほとんどしてないんじゃない?というくらい「ママン」信仰が希薄で、太陽はとにかくパパだった。
 長女のうちでは、長女は仕事しているし、孫クンの面倒は婿クンの方が明らかによくみている。それなのに・・・長女の方がオーラがありそうなのだ。
 正直に言えば、多分、私の側に、「子供が太陽」という意識がなかったからかもしれないが。私にとっても太陽は、いつも一人で輝いている夫だったからだ。自分で発熱する必要もなかった。

 長女は、エネルギーがいっぱいある。そこの所はうちの夫に似たんだろう。仕事もよくするが、「いい仕事をして、子供に誇りに思ってもらえるような母親になりたい」、なんてブログに書いてあった。私は一度たりともそんなこと思ったことがない。

 で、そこへ、長女が帰ってきた。孫クンは即長女の腕の中に避難。離れない。

 私たちもさすがに、みんなで孫クンを見つめてわいわい言っているのが悪いんじゃない? ほおっておいたら自分で観察に来るよ、ということになって、ソファーに腰掛けたりし始めた。私は孫クンに「ピアノ弾こう」と誘った。孫クンは喜んでピアノの前に座り、二人でピアノ遊びをする。長女がボリュームを下げに来た。

 それから孫クンは普通に遊び始めたが、皆の注目の的である「ピアは実は二人いた」とか「ピアとディジェーは別人だった」とかいう確認をしには来ない。

 私たち4人は近くのレストランで食事することになっているので、ひとりずつ目立たぬように去ることにした。
 まず、義兄が立ち上がって出る。すると、今まで見ていないふりをしていた孫クンが手を伸ばして、「ディジェー!」と言った。
 次に奥さんがさりげなく去る。
 次に夫が出て行くと、孫クンはまた手を伸ばして「ピアー!」と言った。

 私も、最後に、さよならを言わずにそっと出て行った。

 夫は、孫クンに、「パパとシリル(婿クンの兄さん)が兄弟みたいにピアとディディエは兄弟なんだよ」とか言ってたけど、聞いてたのかなあ。

 でもうちの子たちが、夫とディディエを決して混同しなかったように、孫クンは、婿クンとその兄を混同しないし、長女と次女を混同しない。やっぱり距離感の問題かなあ。

 しかし、孫クンって、よく会う祖父母もふた組いるし、パパのにいさんともよく会うし、ママンの妹(うちの次女)も大好きだし、ピアとミアの影武者みたいなのもいるし、12月には従弟も生まれるし、けっこう大家族でラッキーな子だ。

 マドリードからの引越し荷物とか整理していた義弟は、昔の文書がいろいろ出てきたと言っていた。その中には、もしうちの夫が死ねば、義弟が責任を持ってうちの息子を育てるという合意書も出てきたそうだ。 

 まだうちに長男しかいなかった頃のものだ。

 そういえば、夫と義弟は何かというと、一方になにかあれば互い相手の妻子を助けるという文書を交換していた。

 じゃ、今度は、もし夫がいなくなれば、ディディエがピアの代わりになって孫クンに対して祖父の義務を果たすという文書を交わしとけば?

 と私は言った。

 Dupond et Dupont は、言わずもがな、という顔をしてシンクロしながらうなずいてたよ。

 

16区の子守 [2009年10月 8日(Thu)]

 昨日は長女のところで一日子守をさせられた。

 2度寝して9時に起きたら私がいたのを見た孫クンは、一瞬にこりとしたのだが、やはり寝起きで機嫌がいまいちだったのか、「ママン、ママン」と泣きべそをかきはじめてドアのところに駆け寄ってお外に出ようとする。先週初めてベビーシッターと残されてパパとママが出て行ったのを見たトラウマが残ってるらしい。

 でも一応こっちの言っていることが分るようになってるので、「じゃあ、お外に行こう、でもそのためにはオムツも替えてビタミン飲んで着替えないとね」と言うと、お出かけのしたくに協力し始めた。
 窓から外を見ながら赤い車とかバイクとかバスとか、数え上げるのも好きなのでそれも助かる。
 で、午前中は、ヴィクトル・ユゴー大通りで子供服のブチックを5件くらいまわる。長女にこの冬のコートをプレゼントしてくれと言われていたので。こういう時、去年の冬物はうちの母と最後にデパートに行ったとき買ったんだよなあ、母はいつも迷わずに最も高級なものを買ってくれたよなあ、ひ孫にいたるまで・・・と思うと、母の分も足してやらなくちゃ、とか考えてつい甘くなる。こういうリアクションはいつまで続くだろう。

 そういうところのブチックに昼間来ているのは、私のような、孫のためにというおばあさんか、水曜で学校が休みなのですごく可愛い服をきせた女の子を連れてるブルジョワの有閑主婦みたいな人ばかりだ。こういう界隈には日本人の駐在員の奥さんとかも少なくないから、ブチックの店員も非常に愛想がいい。あれこれ見た後、コートとセーターを買った。そのうち孫クンはこの世にパパとママがいるのもすっかり忘れて、私の携帯(先週娘のお古をもらってすぐに、待ち受け画面の孫クンを消して、うちの猫の写真にしてある)でうちの猫ちゃんたちの名前を間違えずに全部言うのを繰り返した。
 夕方パパが帰ってきて、ドアが開いたとたん、「ピア~!(うちの夫のこと)」と嬉しそうに叫んだ。ミア(私のこと)とピアは対になっているという認識がちゃんとあるらしい。このアパルトマンにピアとミアだけが住み着いても何の疑問も抱かなさそうだ。「パパー」と喜んでもらえるだろうと当然期待してた婿クンは、ちょっと憮然としていた。パパに抱っこされたが、私が帰るときにはミア、ミア、と言って泣いてたよ。

 ショッピングではバギーに乗せたままだったんで、午後はちょっと歩かせようと思ってトロカデロに行ってみた。トロカデロの広場は、観光客がいっぱいだけれど、小さい子の散歩コースにもなってるらしく、ベビーカーを押した人もけっこういる。
 ちょっと、驚いた。
 ここは、サウジアラビアですか、って言うくらい、フィリピン人の子守さんが多い。後は、マダガスカル人風。
 子守さんだということはひと目で分る。赤ちゃんが金髪碧眼であるのはもちろん、彼女らの雰囲気やかっこうや、バッグを持ってないことだ。うちの孫クンも髪の色も目の色も薄くて、日本人っぽいとこはあまりないが、私がバッグを持ってブチックをまわっていたら、皆に「マダム」と丁寧に扱われた。プロは、日本人を見抜く目も持ってるし。

 そういえば・・・うちの長女が孫クンをトロカデロの図書館に初めて登録に行った時、身分証明書の呈示を求められて、何も持っていなかったのでできなかったことがある。長女はハーフだが、言ってみればカザフスタン人風、若く見え、産休中の平日午後で化粧気もなく近所なので手ぶらだった。土曜日に婿クンが連れて行ったら、即登録してもらえた。婿クンは青緑色の目で、土曜日に息子を連れてきた若いパパだとひと目で分る。
 
 その話を聞いて、その時はあまりぴんと来なかったのだが、平日の午後、トロカデロに赤ちゃんを連れてくるアジア・アフリカ系の子守さんの多さを見て、納得がいった。
 こっちが赤ちゃん連れでないと、そもそもすれ違うベビーカーの存在なんて目に入ってなかったのだ。

 で、やはりトロカデロに行くまでの歩道で、これもちょっとショックを受けたが、二組ほど、金髪碧眼で背が高く、いかにもブルジョワの若い夫人という人が、上等なベビーカーの中にことさら飾り立てた黒人の赤ちゃんを乗せているのにもすれ違った。これは、明らかに、養子である。ブルジョワがアジア・アフリカ系の子供を養子にするのはめずらしいことではない。

 なんだかなあ。

 うちの娘やそのママ友を見てると、この16区のブルジョワ街に住んで赤ちゃんを育ててる人は、キャリアを持ってる人やビジネスウーマンが多い。で、子供は保育園。それに家政婦さんやベビーシッターや祖父母の動員。
 しかし、完全にブルジョワ有閑マダムも少なくなく、長女は産休で昼間スポーツジムに通っていたとき、そんな人ばかりを見たと言っていた。そんなマダムのためには、屋根裏部屋に住み込ませている女中さんやベビーシッターがいるのだろう。フィリッピン人やパキスタン人が多く、私の知り合いにもそういう人にフルタイムで働いてもらっている人がいる。

 有色人種の子守さんと白人の赤ちゃん、白人の母親と黒人(多分ハイチ人)の養子、こういう組み合わせが圧倒的である。

 16区。

 それに、トロカデロは高台になってるから気持ちがいいが、そこに行くまでは、シックではあるが大通りを歩くので、ベビーカーの赤ちゃんは車の排気ガスに近い。時々寝ているホームレスの人やその犬とも近い。赤ちゃんの眼にとまるのは、ブチックのショーウインドウではなく、道端の枯葉、車、羽の艶のない鳩、鳩の糞、ホームレスなんかである。

 夕方、庶民の住む郊外のうちの駅を降りたら、黒人女性は黒人の子をベビーカーに乗せ、白人は白人の子を、アラブ人はアラブ人の子を乗せている。普通といえば普通で、何だかほっとした。こっちも昼間は、子守さんが活躍するが、それはママ保育の資格をとって入る近所のおばさん、というのが普通で、個人がずっと雇っているフルタイムの子守とかではない。

 私が朝からいなかったので一日中ほっとかれた3匹の猫たちがわらわらと不満の声を上げて寄ってくる。猫トイレも満杯で・・・汚くて臭いながらも広々とした我が家・・・
 孫クンが来ても、庭に出せるから、排気ガスを吸わせなくてすむし、近所の公園も徒歩1分圏である。プールに行かなくてもうちの日本式露天風呂風の風呂場で充分遊ばせてやれるし。
 うちの夫は、親が子供に与える最大の贈り物は、一にきょうだい、二に庭、三に動物、と言っていたものだ。まあ、孫クンには庭と動物付きの祖父母が二組いるんだからいいんだろうけど。年末には婿クンの兄さんの所に従弟が生まれる予定だし。

 長女は最近ピアノを買った。これでうちの子3人とも、電気ピアノを持っていることになる。うちには3人にそれぞれ渡そうと3台のアップライトが待ってるのに、みんなアパルトマンやマンション暮らしではこうなるのかなあ。

動物占いその2 [2009年10月 6日(Tue)]

 明日は保育園のストとかで、突然、ベビーシッターを頼まれた。隔週水曜は生徒が来ないのでうちをあけられるので、ついOK してしまった。トリオの楽器の調整が上手くいっていないのでスケジュールがいろいろずれ込んで大変なのに。

 昨日はバロック・バレーの新学期の最初のレッスンだった。
 先週はクラシック・バレー再開に浮かれていたが、バロック・バレーは、やはり、自分の体の体積と体重と床の反作用の具合とか、本当に現実認識や世界観に密着するくらいにリアルに充実している。割と狭いスペース内でいかに最大の身体性を表現して踊れるのかという方法論は、からだの内側の感覚と向き合わないと理解できない。やはり、ピアノ奏法とチェンバロ奏法くらいに根本的に違う。クラシック・バレーはやはり「スポーツ系」かも。それはそれで楽しいのだが。両方やれることの贅沢さを喜ばなくっちゃ。
 長女は、日系アメリカ人で日米バイリンガルの女子学生をネットで募集して採用し、毎金曜日の夕方に2時間孫クンをベビーシッティングしてもらって、婿クンと二人でサルサのクラスに行きはじめたそうだ。次女もサルサに通っている。

 長女に例の動物占いをしたら、家族でたった一人、「猿」を最後まで手元においておくと言った。(次女も長男も真っ先に手放す)
 まあ、一歳半の子供をかかえている現役母親なのだから、当然と言えば当然だ。人生のステージによっても変わるのだろう。
 そしたら、長女は御茶ノ水のJ 医大で研修していた頃、その手の動物占いをさんざん聞いた、という。日本って、こういうのが特に好きなのかなあ。

 で、そのJ 医大での動物占いの一つを披露。

 うさ夫とうさ子のカップル。
 うさ夫が隣国に行ってしまう。うさ子はどうしてもうさ夫に会いたい。
 猿が来て、金を払えば隣国に連れて行ってうさ夫と会わしてやるると言った。しかしうさ子には金がないのであきらめた。
 キツネが来て、自分と一夜を過ごせばうさ夫に会わせてやると言う。うさ子は迷ったが、受けいれる。
 うさ子はキツネのおかげで隣国に行き、うさ夫に会った。二人は再会を喜ぶが、うさ夫は、うさ子がキツネと寝たことを知る。うさ夫はうさ子を平手打ちして追い返す。
 国に帰って歎く傷心のうさ子のところには、忠実なタヌキがやってきて毎日慰めてくれた。

 この中で、あなたが一番悪いやつだと思うのはだーれ?

 と言うのである。

 私と夫は、何の迷いもなく即座にこう答えた。

 「うさ夫。うさ子のもとを離れたのが悪い。」

 長女は私たちの一致ぶりに驚いて、困ったようにこう言った。

 「それでは、占いにならない。うさ夫を批判する人は、平手打ちしたというところを問題にするもので、うさ夫が国から出たところは問題にならないのよ。」

 つまり、この「占い」では、

 うさ夫=道徳
 うさ子=愛
 猿=金
 キツネ=セックス
 タヌキ=友情

 がそれぞれシンボルになっていて、どれを批判するかによって、答えた人の人生観のポイントが分かるという話だったのだ。

 私と夫には、うさ子の元を離れたうさ夫という前提がもうペケだったわけである。

 長女は、うさ夫が離れたのは仕事のためで不可抗力だと考えてくれ、と言った。しかしうさ子をそこまで泣かすような仕事ならやめればいいというのが私と夫。
 じゃあ、収容所に入れられたとか、兵役で徴集されたとか、そういう不可抗力と考えてくれ、と長女。

 それなら、この話の中で唯一、状況を利用して利益を得たのはキツネだから、キツネが悪い、と私と夫。

 私たちはいろいろ正反対の性格なのだが、こういうところはなぜか息が合っているのである。

 長女は、日本では前提を批判する人は誰もいなかった、という。
 たとえて言えば、先の動物占いで、「あなたが5種の動物と旅に出たと仮定して・・・」というところに反応して、「自分は絶対にそんな動物と旅しない」と言ってしまうのと同じことらしい。

 しかし、私たちは、うさ夫とうさ子の物語をちゃんと聞いた上で、絶対悪いのはうさ夫だと(まあ、話の最初からひそかに)疑いをいだかなかったわけなんだけど・・・

 これも他の人に試してみようかなあ。
 

 

次女の話 [2009年10月 5日(Mon)]

 次女が希望していた転職先からOKの知らせを受けた。

 4度にわたる面接、ロイヤリティのケースワーク、今の勤め先での成績照会などを経て、狭き門をくぐって手にした「憧れの職場」であるはずなのに、向こうからの契約書が送られてきて、今の勤め先に転職を告げなくてはならない前日に、義妹の所のチベットのお坊さんに、この転職がプラスかどうかについて占ってくれ、とメールが来た。

 って、もし、坊さんがノーと言ったら、あんたはやめるんですか?
 その程度のモチヴェーションだったのか?

 そんなに坊さんを信じているならば、占いを頼むよりも、「転職するので新しい仕事が上手くいくようにお祈りしてください」と頼めばいいのに。

 うちの子たちは、人生の転機に迷うと、このお坊さんに占ってもらう。バカロレアの後の進路である。

 長男は、もともと生物学系のプレパ(グランゼコール予備クラス)に行きたくて、まあこちらの「王道」は数学系プレパなので、両方に願書を出していて、両方受かった。その時に迷っていたのだが、私たちもどうアドヴァイスしていいか分らず、坊さんに相談したら、両方とも「エクセラント」と出た。で、結局、数学系のプレパに行った。長男は、「王道」をはずれて自分の個性を信じるほどの根性がなかったのだ。

 長女は、ビジネススクールのプレパと、医学部の間で迷っていた。本当は美術学校に行きたいと言っていたのだが、彼女も、「自分の好きな道」に進むほどの根性はない。その時に坊さんが、ビジネススクールは向いてない、という「お告げ」を出した。まあ、私たちも本人も、長女は英語が得意なことをのぞいてビジネススクールのタイプでないと思っていたので、それですんなりと「お告げ」に一押しされて医学部に決めたわけだ。

 次女は、とっても数学好きの人だったので、それはフランスの王道にぴったりはまるし、希望していたプレパにも受かったので、誰も心配していなかった。
 こういうとなんだが、やはり最初の子はこっちもおろおろ自信がないし、二番目も最初の女の子なので、やはり心配。そして、子供の進路というのは、やはり「親の査定」みたいな感じが微妙にして、こっちも穏やかではない。
 しかし三番目ともなると、長男はすでに立派に独立していたし、長女も順調にエリートコースにいたために、親としては余裕で、ひとりくらいアーチストだとか個性的なのがいても面白いんじゃない?リスクがあってもひとりくらいなら面倒見れるし・・・などとこちらは思っていた。まあ、何を選んでもさあ、どうぞ、という心境だったのだ。
 すると、次女は、坊さんの意見を聞きたいといった。
 びっくりした。
 まあ、兄さんと姉さんがそろって「占い」をしてもらっていたのを記憶していたのだろう。

 「私だけやってもらえないのはいやだ」

 と言うわけだ。

 それから何年も経った。プレパでもそれなりに危機があり、グランゼコールの3年目にMITか東大かインペリアルを選ぶ時も迷った。そんな時は、誰も、坊さんの意見を聞くなど思いもつかなかった。
 最初のジョブを決める時も。
 上の二人も、最初に進路を決めて以来、路線を変更した時も、転職関係も、一度も坊さんを話題にしたことがない。

 久しぶりに「坊さんのチベット占い」登場である。

 こういう時に、「けっ」と一蹴しないのが、我が家の家風なんで、さっそくメールを転送。次の日、もう後戻りできないという2時間前に次女から電話があって、結果を問い合わせてきた。
 私はあわてて義妹に電話。義妹は今から坊さんに話すところと言っている。「よほどこれは絶対不幸の種」と断言されたらすぐ電話してね、と言っておいた。

 しかし、2001年のテロ騒ぎのNYに行きっぱなしだった長女について、心配なのでお祈りを頼もうと思っていたら、「自分も心配だけど心配してもどうしようもないから心配しないことに決めた」と晴れやかに答えた坊さんである。

 「絶対だめ」なんて言うはずないだろう。

 もし、何かが絶対「だめ」ならばそれは運命の領域であって、転職先がどうのこうのということではなかろうと、私でさえ思う。

 採用が決まるまでは、「この夢の職場がだめなら私はもう働く気はしない」とまで言っていたくせに、いざOK となると、今の職場はつぶしがきくし、高給だし、経済危機に関わらず例外的に順調な昇進を重ねているのでやめるのはもったいない、と言い出す次女。

 「まあ、次のところが意外によくなかったら、また別なとこを探せばいいんだから」というしかない。

 次女は独身だし、両親である私たちも今のところ健康の面でも財政的にも困っていないので、それほど深刻ではないというのが実感なのだけれど。まあ、私も自由業、夫も役人で、転職する勤め人の迷いや不安をちゃんと分ってやれないのかもしれない。

 それをいうなら、坊さんなんてもっと分んないだろうという気もちょっとするんだけれど・・・

クラッシック・バレーを始めた [2009年10月 3日(Sat)]

 昨日ははじめてクラシック・バレーのクラスに出た。
 感動ものだった。
 嬉しくて嬉しくて。

 こんなことしてたら、バロック・バレーにクラシックの癖が出てきてまずいかもしれない。バロック・バレーも、復活してから歴史が浅いから、今のプロのバロック・ダンサーはほぼみんな、過去にクラシック・ダンサーだった人の転向組だけど。古楽の人がほぼクラシック楽器から転向しているのと同じ事情だ。

 私はまる40年以上もクラシック・バレーのレッスンを受けていない。友人にクラッシックの先生がいたのでそのレッスンを見学したり、娘たちのレッスンを延べ10年くらい近くで見てきたけれど。
 マルチーヌとの筋トレクラスは、バレーのバーにつかまってやるエクサイズも少しあるのでそれがちょっと楽しみだった。
 今回は、晴れて「クラシック・バレー」のクラスなんで、ちゃんと最初からバーのエクササイズで始まって、レッスン場を斜めに横切るジャンプの練習とか、ピルエットとかもちゃんとある。
 出席者は私を入れて5人。
 もちろん私が最年長。
 一人は筋トレでもいっしょだった女性で40代くらい。やる気満々でレオタードなんかも凝っているが、ダンスの経験は全くない。あとの3人の女性は若く、一人は英語の先生、一人は工学系の大学院生で初心者である。一人だけが、子供時代からマルチーヌのクラスの生徒で、この「大人のクラス」が上級クラスだと思って勘違いして入ってきた。でも、基礎をちゃんと説明してもらえるのは役に立つと言って続けている。
 もとより、大人の趣味のクラスなので、テクニックのハードルは低いのだが、運動量はけっこうあって、汗をかく量は筋トレの比ではない。筋トレでは、「早く床でやるマット運動にならないかなあ、横になれるから・・・」とか思っていたが、純然たるバレーのクラスでは、一瞬も緩む時がない。でも楽しくて時間を経つのを忘れる。筋トレの時は、無理に体のあちこちに負荷を加えて、「ああ、私は何でこんな苦しいこと金払ってまでやっているんだろう、マゾヒストでなきゃできないなあ」と、ひたすら終わる時間を待って時計を見続けていたのとは大違いだ。まあ、それでも、終わるとそれなりに気持ちがいいんで、いかにも健康によさそうな気もして続けていたのだが。

 それにしても、クラシック・バレーがこんなに「好き」なのは、分ってはいたけれど、復活して実感したので、ちょっとショックなくらいだった。
 バロック・バレーは、私にとって、もっと形而上的な基盤もあり、弾き手としての立場からも複眼的に見れるし、毎回が発見の連続であり、教師のクリスチーヌも何よりも研究者である。頭で理解できないと踊れないというのがバロック・バレーの一つの特徴であり、それを分らない人は、クラシックのプロの人でも、まったくバロック・バレーにならない。バッハをブラームス風に弾くようなものである。
 
 しかし、そんな「バロックの歓び」を無化するかごとき、プリミティヴな歓びがクラシックにはある。
 それをいうなら、今日、室内楽の初日で、クライスラーのトリオだとかホフマイスターのカルテットなんかを始めたのだが、そのウィーン風味とかも、心と体にあまりにもしっくりくる。
 
 これは一体なんだろう。

 理屈よりも、子供の時に刷り込まれたものの力が大きいということなんだろうか。

 けっこう深刻な問題だ。

 例えば、フランス語。

 私はフランス語を習おうと思ったのは、中学の時のTVのフランス語教室だったので、当然、ネイティヴのヒトのような聞き取り能力も発音能力もない。そういう聴覚上の生理的限界ははっきりある。.
 しかし、今、コミュニケーションの手段として、フランス語と日本語に差はないと言い切れるし、フランス語の方が表現しやすいことだって多く、全くハンディはない。あるとしたら、考えの内容のことで、それは言語の問題ではない。

 私は子供の時に犬しか知らなかった。
 猫を始めて手元におき、喉を鳴らすというのがどういうことかを知ったのは、30歳の時である。でも、それからの猫付き合いの中で、他の「ネイティヴ猫好き」人間に引けをとらない猫人間になったと思うし、猫語も理解できると思う。(犬を飼ったことのないうちの娘が「犬が怖い」と言っているのを聞いて驚いたことがある。)

 だから、子供の時から接していなくても真性のバイカルチャーになることはあり得ると、信じているのだけれど。
 
 また、音楽の教師として、子供だけでなく、大人の初心者にもたくさん教えてきた。中にはかなり上手くなった人もいる。

 才能の差というのははっきりある。

 私はギターを10代の終わりに始め、ヴィオラは40代のはじめに始めた。バロック・バレーも始めたのは40代半ばである。これといった才能はなく、でも全体に手先が器用ということと、芸事が「好き」という強みがあった。途中から始めた楽器やバレーにすごくハンディを感じなかったのは、幼稚園の時から始めていたバレーやピアノのおかげなのだろうか。

 もちろん、大人になってから始めた人には、外国語の発音と同じでどうしても乗り越えられない生理的壁というのは厳然としてあるのだが、それをいうなら、実は、子供の方が「壁」はたくさんある。
 努力の壁、モチヴェーションの壁、才能の壁、多くの壁の前で、退散してしまう子供の方が多いのだ。
 大人で芸事を始めた人は、努力もし、モチヴェーションもあり、
「好き」を貫くのに必要な最低限の能力もある。

 しかし・・・40年以上ぶりにクラシック・バレーのレッスンを受けている私は、明らかに、バレーをやったことのない20代の初心者より、体が動く。すっかり文法など忘れた外国語でも、小さい時に使っていた言葉なら、大人になって習いなおしても、なまらずにネイティヴのように発音できるのと同じだ。もちろんだからと言って、話す内容がより高級なわけではない。

 「元気な高齢者」がいろいろなお稽古事に初チャレンジするのは、日本でも良くある光景である。それが一体どんな意味があるのか、どんな限界があり、どんな成果が期待できるのか、どんな願望を反映しているのか、考えてしまう。

 教える側としても、習う側としても。

健康管理 [2009年09月30日(Wed)]

 日本から出した荷物も着いて、ようやく整理が終わったというところ。明日からバレー、明後日から室内楽とヴィオラのレッスンも始まり、新学期が本格的に開始という感じである。

 マルチーヌがこの新学期から、大人の初心者のためのクラシック・バレーのクラスを開講したので、筋トレを辞めてそちらだけにするかもしれない。今やっている(リトミックという名の実は)筋トレは、週一回の無酸素運動で基礎代謝アップという意味では健康対策に適っているのだが、私のもともとやりたいのは踊ることである。有酸素運動の方はバロック・バレーを今年も続けるが、筋トレの方は、腹筋などにはいいと思うけれど、いわゆる白人女性ばかりで、彼女らは下半身に脂肪がつきやすいのでお尻と太腿に負荷をかける運動が多い。私には向いてないと思っていた。で、クラシック・バレーのクラスに転向することに。明日から。クラシック・バレーは40年ぶりだ。でも、子供の頃の習慣というのは身についている。年数だけでいうと、クラッシック・バレーをやっていた8年間より、バロック・バレーをはじめてからの13年間の方が長いのだけれど、今でも一人でバレーシューズをはくと、クラシック・バレーのステップの方が自然に出てくる。
 その間にエアロビクスから、即興ダンスやプリミティヴダンス、いろいろやったけど、心はいつもクラシックのクラスの松脂の匂いに残っていた。
 もともと特に踊りが上手だったわけでもなく、今やなおさら体も硬いし、外から見ると全然美しくないのだが、踊るのはとにかく好きだ。娘たちにももちろんクラシック・バレーを習わせて、舞台、化粧、照明、衣装、トウシューズの織り成す魔法を味わわせたつもりだったが、彼女たちはどちらも6年くらいでやめた。今はスポーツクラブでサルサなんかを踊っているようだが、私のような「中毒」体験はないらしい。
 どんなもっさりしたおばさんクラスであろうとも、クラシックのクラスにいけるなんて、筋トレクラスとは音楽も違うし、楽しみだ。マルチーヌは、娘たち二人のバレーの先生でもあった。
 これで無酸素運動は不足するかも。うちで自分でストレッチとかすればいいんだけど、多分続かないだろう。

 8月末に孫クンと休暇村に行った時は、精神的に全然休まらなかったので、楽しみにしていたスパやマッサージもすべてやめた。一つだけ「カリフォルニア・アロマオイル・マッサージ」というのをしてもらったが、やや優雅な気分になっただけで、終わるとすぐに孫クンを遊ばせている夫の所にあわててかけつけた。
 日本では毎回いろいろ試すのだが、今回はやはり夫連れだし暇がなくて、京都の宿で一度だけ眼精疲労の整体マッサージというのをしてもらっただけだ。これは気のせいか、翌日視力がちょっとよくなった気がした。高山ではリラックス・スパがあったのだが、ジャクジーとイオンバスという30平米の専用スパ付きのスイートに泊っていたのでそれで満足した。
 贅沢が好きだった母がいれば喜んだだろうなあと思う。夫と息子との旅では、贅沢でも質素でも、反応にあまり差がない。母は、贅沢だと喜び、質素だと文句を言っていたし、食事がまずいとほとんど手をつけなかった。母と最後に泊った宿は超高級で食事もおいしく満足していたので、まあ、後悔はないのだけれど。

 60代半ばになるフランスの国民的ロックスターが初期大腸がんの手術をしてすっかり治ったが、ある種の動きが難しく、コンサートの演出を変えたり短くしているそうだ。こういう人は健康管理の検診が緻密で、初期ガン発見、即手術というのが、最善策だったのだろうが、もしまだ発見されていなかったら、元気でステージで飛び回っていたと思う。これくらいパワーのある人だったら進行も遅く、自然治癒だってしたかもしれないし、知らなかった方が自他共によかったのかもしれないなあとも思う。

 フランスの30年来の知人が最近50代でガンで亡くなった。
 70代後半で手術しても元気で生還している人もいる。運命もあるし、気持ちの持ち方もあるのだろう。
 うちは父も母も急死に近かったので、なんとなく「不治の病で長く病んだ末に死ぬ」という未来が思い描けないが、確率的に言うと、年齢的にも、私も「死病を宣告される」という状況が不思議ではなさそうなので、どんな話を聞いても他人事とは思えない。

 やるべき仕事をコツコツ仕上げるだけの健康を維持するために、心と体を適度に動かすこと。無理するのでなく、心も体も踊らせ、躍らせたい。

帰仏 [2009年09月22日(Tue)]

 20日に帰仏。

 婿クンが空港に迎えに来てくれていた。
 彼が一人だ。
 長女は週末リヨンでの学会か何かに出張に行っていて、夕方、直接、うちに寄るという。孫クンは婿クンの実家にあずけられていて、向こうのおじいちゃまとおばあちゃまがうちにつれてくることになっているそうだ。午後出かけた次女は夕方戻ってくるそうだ。

 って、うちに総勢、8人になるわけだ。
 向こうの親が来るとなると、時差で疲れきった寝ぼけ顔をさらすのも気が引けるので、車の中で思わず、コンパクトを取り出して、ミニマム化粧をしてしまった。

 孫クンに会えるのは嬉しい。
 いつもなら、猫ちゃんズ3匹に会えるのが楽しみなんだが、この前一緒にヴァカンスに行ったばかりでいろいろ教え込んだ孫クンがちゃんと私たちのことを覚えているかをチェックしたい。
 人間って、強いなあ。
 
 実際、うちに着いたら、長女と次女がそれぞれ先に着いていた。
 次女は、私と夫と婿クンを見て、「ここ数日家ではずっと猫しか見てなかったから人間を見ることができて嬉しい」と言っていた。
 
 少しして、ベルがなり、向こうの両親と孫クンの到着。
 孫クンは両手を伸ばして抱き取られに来る。

 さあ、テスト。

 娘は、孫クンが「ばっちい」と日本語で言うたびにフランス人は「Bêtise(べチーズ=いたずら)」だと思って繰り返すので、孫クンは混同してしまったと言っていたが、私を見るとちゃんと正確に発音。

 バレリーナというと、脚を後ろに高く上げるとか、マイケルジャクソンというとムーンウォークするとか、全部覚えているばかりか完成度が上がっていた。胸をそらせる難易度も加わっていた。

 ついこの前まで、この子には四足歩行でもいいんじゃないか、と思うほど運動神経がだめっぽかったのに、すごい進歩で、その辺が、身体能力優れている割に展開の少ない猫ちゃんを凌駕している。
 「スペインに行く時に飛行機に乗ったんだって?」
 と質問すると、ゴーっと、飛行音を再生しながら翼を広げて走る。義弟のうちの庭のプールで毎日遊んだらしい。

 お土産や写真などを分配。

 婿クンの両親が車で出発。婿クンと長女が孫クンと車で出発。
 軽く食事して、次女が久しぶりにモンパルナスの自分のうちに帰る。

 やっと、二人と3匹になった。
 
 猫ちゃんたちには、高山の朝市で買った枝で編んだボール(またたびの木片入り)がおみやげ。スピヌーはごろごろやるが、よだれたらしまくりで床がべとべとになる。マヤはすりすり、サリーはがりがり、みな個性がある。

 この2週間は夫連れだったので自由が制限された。
 はじめて会う私の友人たちにはおおむね人気。

 「ブログの印象通りのかたでした。私の持っていたフランス人の印象が変わりました。」

 というメールもいただいた。

 このブログのコメントにも、「想像通り」という方々が。

 これって・・・・

 私の描写が本質を捉えてる?

 美化してないで「カラス扱い」だから、微妙だ。
 ま、万人向けなんで使い勝手はいいんだけど。

 料亭に行っても、旅館でも、仲居さんとかに丁寧なんで、仲居さんがしゃべりだしてそばを離れなくなったり、私がトイレに立つと、廊下で、「すてきなだんなさまですね」と声をかけられたり・・・というプライヴァシーなさすぎなシーンがあった。

 お友だち数名と会った時、動物占いというのをしてもらった。

 「ある人が5種類(猿、牛、羊、虎、馬)の動物を連れて旅に出ました。道行く途上で、最初に手放すのはどの動物でしょう?
   そして、最後まで手元に残しておくのはどれでしょう?」

 というもので、手放す理由は、食糧がないなど、面倒見切れないため。各動物との関係など細かいことは考えずに直感的に答えなくてはならない。

 私と夫は真っ先に手放すのは「猿」と躊躇なく決めた。他の人が「猿はヒトに近いから」と最後まで残す傾向なのには驚いた。
 最後に残すのは迷ったが、夫は馬、私は虎。

 解説は、人生での優先順位で、猿が子孫、牛が伴侶、羊が財産、虎が名誉(虚栄)、馬が仕事、だそうだ。

 私たちは、猿が一番ヒトに近くて、自分で生きていけそうだからと思って最初に手放したんで、全く同じ理由だった。それは私たちにおける子供たちを自立させるという親子の意味と目的に合致している。説明を聞いても、意見は変わらない。

 私の「虎」というのは、猫族だからで、いつもうちの猫がもっと大きかったらかっこいいなあと思っているからだ。
 名誉とか見栄とかいうのは、私は真っ先に捨ててしまいそうなどうでもいいもので、そう解説されると、ちょっと意外だ。

 でも考えてみると、子孫と伴侶と財産と仕事をすでに手放しているのだから、子孫、伴侶、財産、仕事を伴わない名誉とか見栄なんて成立しないか意味がないかなので、「最後に残った虎」は、所詮猫に過ぎないのである。

 ちなみに、その後京都で合流した長男にこの「占い」をしたら、やはり真っ先に捨てるのは「猿」で、両親と全く同じ。
 最後まで残すのは「牛」だそうだ。

 伴侶。

 って、独身だけど。

 そういえば、集まりにいた若い神父さんも「牛」を残すと言っていた。神父なのでもちろん独身。

 神父さんも息子も、「ミルクを確保できそうだから」という理由。

 何となく、それらしい、「占い」だなあ。

お知らせ2 [2009年09月13日(Sun)]

 旅行から帰ってきました。

 うちに電話したら、マドリードから帰ったばかりの長女たちが出ました(車を撃ちに置いていったので)。孫クンは昼寝中でした。うちの図書室の一つ(そこなら非猫ゾーンで、泣いたら長女たちの部屋からも私たちの部屋からも聞こえる)にベビーベッドを置いているのですが、そこで寝かしつけるのはいつも夫なので、ピア(夫のこと)、ピア、とせがんだそうです。マドリードでは義弟の所にいたのですが、ついて義弟を見て一瞬躊躇した後、両手を挙げて「ピア!」と抱っこをせがんだそうです。夫と義弟はそっくりなんです(義弟の方が6センチほど背が高いですが)。で、毎晩、義弟が抱っこして歌を歌わないと寝ないんだそうです。パパもママもいっしょなのに・・・ 一週間のバカンスで夫のつけた癖の威力はすごい。うちの子たちも昔みな、同じで、私と母が必死にあやしても泣き止まず、夫が抱き上げるとぴたりと泣き止んだものです。

 この話を聞いて、夫は、うれしいようながっかりしたような(孫クンは本物と「偽者」との区別がつかないって・・・

 今回の旅行では、このブログを通してコクマルガラス(夫)のファンだった方たちとも複数お会いしました。いかがでしたか?
 コメント再開しましたので感想をお寄せください。

 今回、ある本に関した対談の仕事があったのですが、夫にも読ませたら、何しろ新幹線とホテルでの読みたてなので、新鮮な分、私よりもよく把握してました。それだけではなく、そのときいただいた別の本(フランス語)も読め始め、もうそれからは、観光してるのに、ずーっと、聖霊についての比較宗教的な話ばかり熱心にしまして、知的興奮が続いてます。でも、正直言って会話になんないです。こっちはすでにそういう話ばかり何十年も読んだり書いたりしてるんですから、新鮮味に欠けて・・・

 よく考えたら、夫、私、長男と3人だけの旅行というのは超久しぶりでした。私と長男、私と長男と夫と母、私と長男と母、という組み合わせがほとんどだったので。こうなると、どこの旅館でも、こちらが何も言わなくても、お父様、お母様、息子さんとか、ご主人様、奥様、おにいちゃん(!)とか呼ばれます。食事の配膳も、夫‐長男‐私の儒教順ですよ。始めは、和室なら床の間側の席に長男が座るので、つまり私たちはその向かいに隣に並んで座るので、長男が「上席」だと言うことで、最初にサービスされてたんですが、さすがに、下座の二人がパパとママと分って、パパが一番になりました。「ありがとうございました」「大変おいしいです」「大好きです」「おいしいです」などという少ない語彙を必ず仲居さんにかけるので、すごく喜ばれて、ずっと離れない仲居さんもおりました。
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