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<title>海辺暮らし</title>
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<title>人間って、愚かだけれと愛おしい</title>
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<description>昨日は庭のバラの周りをせっせと草取り。夫婦で芝生に座り込んでの作業である。陽気がいい。農家の夫婦みたいね。幸福感がある。夫と妻が、泥にまみれながら黙々と草を抜く。こんな幸せも、あるよね。今日。雨が降る前に、山へ木を伐りに行くことになった。空一面グレイの雲。それなのに、山から見下ろす対岸の景色はクリアだ。黄砂が雨で落ちたかな。静かな山に、ウグイスの鳴き声が響く。海に目をやると、ブルーグレイの海。早咲きの桜が満開であることに気づく。足もとにはタンポポ。焼け焦げた切り株から、にょきっと、名も知らぬ草が伸びていた。生き物が動き始めたんだな。夫はチェンソーで丸太を切る。チェンソーの起動がなかなか思うようにはいかないようだ。夫が切った輪切りの木に斧を入れるのが私の仕事。しばらく待たなければならない。小枝を拾い、集めて、上の道路に上げる。それを車に積む。積み終えて小休止。帽子を取ると、ふわっと心地良い風が額の汗を飛ばす。タオルで汗を拭う。夫はエンジンのかかったチェンソーで、木を切っている。聞こえるのはエンジン音と、時々鳥の声。自然の懐に抱かれている。この言葉のままの感覚。こんなところで汗を流していると、夫の裏切りなんて小さなこと、どうでもよくなってきた。日本人は諦めがいい。日本人は物わかりが良すぎる。今朝のテレビで訳知り顔の男性がそう言っていた。もっと怒るべきだ、と言っていた。私の友人も、夫のことについて「もっと怒っていいよ」と言った。いえいえ、私が１か月も彼を追及し続けたことは知らない友だち。事が起きたときに彼女が私に言った言葉。でもすぐに私は怒るのをやめた。でもすぐに私は怒った。でもすぐに私は怒るのをやめた。でもすぐに私は怒った。この繰り返しの１か月。雨が降り出して作業を中止した私たちは、かなり疲れていた。めずらしいことだが、二人して昼寝をした。ぐっすり眠って起きたのは午後6時。私は夕飯の仕度を始めた。夫は、老人会の会計報告を持って近所に出かけた。レンコンやさつまいもを切りながら、思った。なぜか夫のことを可哀想だと感じた。彼がイノチという言葉を口にした。よく分からない、そう私が言うと、彼は10年もしたらわかるよ、と答えた。彼は老後を共に生きる相手として私を選んだ。それなのに、一人残される私の身になってよ、と、青臭い娘のように「自立」を振りかざした。私を求める彼、振り切ろうとする私。さみしかったのだろう。日常生活では、日に日に女房に頭が上がらなくなる。老いた彼が、自分に残されたわずかな力をたのんだのは容易に想像できる。イノチの甦りを願った。彼は弱い人の相談に乗ることならできる、と無意識に思った。D子が自分に話をしたがっている。彼はそう言う。そう感じたと言う。それは表向きだろうとは思う。しかし人の心の中は、本人にも分からない場合がある。彼が感じた彼女の望みとは、そのまま彼の望みだった。それを夫は彼女の望みだと錯覚したのである。彼女が一度目の電話を私に秘密にしたことを、夫は彼女の「OK」だと了解した。無意識にね。再会した彼女は、思わぬ態度で夫を驚かす。会いにきたのは妻の私ではなく、夫なのだと、彼は感じた。彼女は夫を求めている、そう感じても無理はない。妻ではなく自分を求めている。必要とされることを必要としていた夫が、素直に「Iwant」と彼女を求めた。自然な流れだ。妻に拒まれていると感じていた夫にはね。自ら求めないことを義理や義務感で行うことはあまりない。夫が彼女に電話をして、妻の留守中に会いませんか、と言ったこと。これについて、不幸せな人を助けるためだ、あるいは自分と一体である妻を守るためだ。この言い訳は少し無理がある。だから私は追及した。いったい何が彼の行動の原動力だったのか、と。私に対する多少の意趣返しもあっただろう。日に日に力をつけ、自分への関心も敬意も失ったかに見える妻。彼の妄想もそれに拍車をかけた。夫が彼女に電話をかけたという行動は、私たち二人の関係では、そうそう簡単にできることではないのだ。彼の何がそれをさせたのか。よくわからない、とういうのが正直なところだ。けれど、１か月もかけて夫を追及するうちに、私のなかの怒りは次第に薄れていった。この程度のことでここまで追及されるのか、と、世の殿方は思われるだろうな。「この女、凶暴につき」と張り紙をしているので、どうぞお近づきになりませぬよう。夫は、ありがたいことにつきあってくれたのね。私がかわいそう、と思ったのは、このあたりもある。それ以前に、おいしいご飯を作ってこと足れり、としていた私。私は私で、妻としてよくやっていたつもりだった。でも彼は心にすきま風。夫も妻も、それぞれが自分が生きるために必死だったのだ。昨日の草取りで、バラの根と、芝生の根と、クローバーの根が、凄まじい生存競争をしているのを見た。おまえたちも、私たちも、みんな必死で自分が生きるために頑張ってるんだね。D子も夫も私も、それぞれ自己中心的な人間だけど、それもまたあり。自分が生きるために懸命だっただけ。それが見事にすれ違った。今回のトラブルは、3人の人間のあいだで起きた。みーんな、自分のことばかり考えていたのね。大根をおろしながら思う。神様が夫と私を永遠に別れさせようとしているんじゃないかしら、と。夫がかわいそう、と思った私は、そうではないことに気づく。夫も私もかわいそう。（D子は残念ながら加わらない）夫も私も、バカで、かわいそうだね。でも愛おしい。そう、愛おしいという感情がわいてきた。夫と私の二人に。しだいにそれは広がっていき、人間って愚かだけれと愛おしい、に変わっていった。今日の私は、そんな気持ち。とっても愛おしい。</description>
<pubDate>Sun, 22 Mar 2009 20:54:18 +0900</pubDate>
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<title>あらまほしき自画像</title>
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<description>昨夜はたいへん失礼いたしました。わずかなお酒で酔っぱらって、いささか乱れましたね。たまには友だちとお酒を飲んで吐き出してしまいたいのに、それができない哀しい60女と、お笑いください。それにしても。かなりの腕力でここまで辿り着きました。夫の言動に、どうしても引っかかるものがあり、取材に取材を重ねてどうにか推理の糸が繋がりました。彼は自分のすべてを、いや違うな、自分の主張を受け入れてほしいのですね。ただそれだけ。他人が何と言おうと、それは他人の誤解である。彼はそう自分に言い聞かせてきました。いろいろと言われてきた人です。策士とかね。でも自分は策略家でもない、謀略もない（つもり）。なぜ他人に誤解されるのかについては、深く考えたくない。他人が何と言おうと自分は自分だ、で通してきたのです。そうやって築いた彼自身。私が鉄の要塞と名付けたものです。これを無理矢理こじあけようとした私も私ですね。まあ、こちらにもこちらの必要があったのですけれど。その鋭さと執拗さは、半端じゃないことは認めます。でもそれをしないと、私自身が危うかった。自分の言うことを信じろ、と言う彼の圧力＝愛＝エネルギーは相当なものです。思わず全面的に信じる気になるのです。そうやって14年間つきあってきました。でも、彼の鉄の要塞は、時々ほころびを見せるのです。あまりの圧力に耐えかねて、弱い部分から破裂するのです。その度に、彼自身が認めたくない心の闇が溢れます。彼を信じている人は、間違いなく面食らうのです。何を信じたらいいの？と。24時間一緒にいる相手にとって、これは辛い。闇の部分について、彼はその存在を認めないのです。「ぼくがそんなことを言うはずがない」と。こちらの頭が狂いそうになります。私に「外」の世界が必要な理由です。彼がかくありたい自画像を私がすっかり信じていると、突然その破綻に見舞われます。以前は暴力。嫉妬妄想。これはどちらも彼が必死で抑え込みました。ところが今度は全く違う方向から、迂回したかたちで表れました。夫は今、かくありたい自画像を必死で支えています。私によって壊されかけた自画像です。必死で自分の要塞を支える彼を見ていると、やはり情が動きます。でも彼の要塞に溜まったマグマは、閉じこめられた無理な圧力に耐えかねて、再び三度、噴出することを考えないわけにはいきません。なるべく、そのマグマを閉じこめないようにするべきなのでしょう。一緒に暮らす相手としては。できるかどうか知りませんが、またそこまでする必要はないとも思いますが、彼の思わぬ方向からの攻撃を未然に防ぐためにも、心していきましょう。彼を受け入れること。彼の妄想も、歪んだ主張も、彼がそうしたいのだと受け入れること。そんなこと、できる？まあ無理でしょうね。でもあと10年ぐらいしか一緒にいないかもしれないのです。なんとかしましょうか。こんな私を、せめて「頑張ってるね」とわかってくれる人がいたらと思います。私の友人たちは、夫のかくありたい自画像の部分しか見ていませんから、私のほうがおかしいと思っているでしょう。それくらい見事に彼は、あらまほしき自画像で通しているのです。正体（そんなものはないと彼は信じている）を見破られることが彼にとって最大の屈辱ですから、こんな私を半ば憎いと思うのは当然です。かくありたい自画像だけを見てくれる人を欲しがるのは、だから自然なのです。今後、そういう展開にだけはしたくないですね。せっかくこんな思いをしながら、一緒に生きているんですから。夫とのがっぷり四つの格闘は、どうやら私の生涯の課題のようです。昇華、これが一番いい解決なんだけど。さあ私の知恵と忍耐が試されます。やり甲斐のある仕事、かな。たかだかあと10年、ですもんね。</description>
<pubDate>Sat, 21 Mar 2009 09:50:07 +0900</pubDate>
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<title>I want you!</title>
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<description>さっきは思わず涙した私だけれど、内田さん、あなただって同じ穴のムジナなんですね。それを正直に告白なさった。そう、麻生と同じ仲間であると。私がいみじくも、出世競争に血道を上げた夫と麻生をだぶらせたのは、正しかった。上昇志向の何たるかも、このブログですっきり言い切った。なんだなんだ、クリアカット、じゃございやせんか。酔っぱらいは絡むでやんす。しかし、私の夫は今部屋に引きこもり中。たぶん僻んでいる。だって彼の大好きなお友達を、引っ張り出したから。これであなたも私の気持ちが少しは分かった？と言いたかったのだけど。わっかんねーだろーな。この人、おそろしく、自己点検が苦手。麻生氏の何倍も、自分を嫌いなんだろう、と内田ブログを読んで思う。だから、自分を受け入れてくれそうな人に「Iwant」と行ったわけだ。かなり低いレベル。目くらましが利く程度のところに向かった。これは当然なのよね、内田先生。厳しい批評精神に満ちたところには、弱っちい人間は向かわない。私が雲の上の人に助けを求めたのも、似ているかな。現実に非ず、だからね。「Iwant　you」に答えてくれるかどうか、心配する必要がない。しかし、人が行動するときの動機とは、やはり「Iwant」なんだろうか。悲しすぎるよ。</description>
<pubDate>Fri, 20 Mar 2009 21:39:26 +0900</pubDate>
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<title>珊瑚の玉。</title>
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<description>小さな缶ビールを2本、飲んだ。そして、酔った。涙が出た。珊瑚の玉を、私の引き出しから引っ張り出した。一昨年亡くなった人からもらった。座布団みたいな絹の布に、無造作に縫いつけられた珊瑚の玉。古いタンスの引き出しから出てきたから、とくれた。銀座の中華料理屋で、1500円くらいのランチをご馳走してくれた。もちろん夫と一緒。夫の知人である。夫が気持ちを込めて展覧会の開催を差配した人。彼は雨の中を特急列車に乗ってはるばる東京からこんな田舎に訪ねてきた。私たちの新居での出発を祝して。大きな珊瑚を手に。変わった人だった。アーティスト、なんだけど、なりきれないでいた。奥さまは実業家。彼は寂しかった。芸大の後輩をバイトに雇い、銀座で100万も月に払いながら、今後を模索していた。夫は、そんな彼を応援していた。アドマンじゃなく、アーティストとして出発するように勧めていた。でも私の目には、彼はやはりアドマンだった。芸術家、ではなかった。おこがましいけど。アドマンとしての彼は、輝いていた。そんな彼を銀座のオフィスに訪ねたとき、彼はチープなランチを奢ってくれた。そして、私に珊瑚の玉をくれた。それほど感激したわけではない。でも今、とても嬉しい。彼は死んだ。新井満の詩のように。彼はわが家を訪れたとき、私の似顔絵を描いてプレゼントしようとした。途中で鉛筆が止まった。私が拒んだのは、彼には分かった。私はそう感じた。これまで、女優さんたちを多く描いていた彼は、喜ばれると思いこそすれ、いやがられるとは思わなかった。しかし私は「きれい」が仕事ではない、と言った。その言葉に彼は従った。すごい人だと思った。感受性の鋭い人だと。当時庭の石を広い集めて、整地していた私。「賽の河原の石積みですよ」と私は彼に言った。彼はすべてを了解した。そう、今、思う。だから彼にもらった珊瑚の玉を、今掌に抱える。そして祈る。あなただけは、私の気持ちを分かってくれますね？天に召された人に、私の気持ちを分かってほしい。誰も分かってはくれないから。わかってますよ。イリュージョンです。あの世に助けを求めなくてはいられないのです。そうして今、内田ブログを見た。泣いた。号泣した。酔っぱらっているのかもしれない。でも、内田先生が卒業生に向けた言葉は、そのまま私に向けられた、と感じた。隣人を愛するより、自分を愛することがどんなに難しいか。嗚咽した。勝手に自分宛だと思い込んで、バカな女ですか。でも、私にはそう思えたのです。ああここにも、あの世ではないにもかかわらず、分かってくれる人がいた。感涙です。捨てる神あれば、拾う神あり。ありがとうございます。</description>
<pubDate>Fri, 20 Mar 2009 20:11:00 +0900</pubDate>
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<title>身勝手な人々。</title>
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<description>藤原紀香と陣内智則の離婚。かなしいくらい、笑えた。男はなんて身勝手な動物なんでしょ。といったステレオタイプの感想。そういう生き物なのでしょうか、男って。「美談にするなら、このことを一生忘れない」という紀香の母のコメント。自分のしたことについて真に反省することなく、きれいな、通り一遍の夫婦喧嘩の話で終わらせようとする陣内への精一杯の抗議であろう。涙も出てくる。男はなぜ、いえ全ての男性ではないと思うが、自分の非を認められないのか。うちの亭主も、見事に自分の不始末を、「放ったらかしにしていた妻のせい」にした。私は何もしていないのに、まるで私の責任。（笑うしかない）フィットネスに行くのを1回減らし、彼のバラ作りの手伝いもする、彼のジェラシーにこたえてファッションにも気をつける、なんてことになった。まるで私の反省ばかりが目立つ。そう思われませんか？　この日記を読んでいてくださる方。それも私が彼の独占欲？によって、なんとかとっかかりを得た仕事も内職程度のものにされてしまった。ある人に小説を書けと言われたときも彼の壮絶な怒りに遭って断念した。その人にとても失礼なことをした。それもこれも、彼のせいにするのを潔しとしない私は、自分の非力ゆえと諦めていた。というわけで今朝は目が覚めるなり、「男はバカだ」が私の頭を支配した。バカでかわいいのが男さ、という太っ腹にはなかなかなれない。明け方みた夢。夫は舟で釣りに出かけた。私はそれを見送る。一人で留守番だ。ふと疑念がよぎる。海に行くって言って、どこに行っているかわかりゃしない。家を出て岸壁にうち寄せる波を見ている私。しばらくして、とぼとぼと家に帰り始めた。すると、ババババババッ！と爆音がする。砂地で歩きにくい道路だ。私の前方に、青いスポーツタイプの車がけたたましい音を立てている。しかも私の方に向かっている。斜めに走ってくるのだ。怖い！逃れようと焦るけれど、足の運びは思うにまかせない。暴走する車が溝に落ちた。ああこれで助かった、と思う間もなく、再び爆音。今度は後ろから追いかけてくる。蛇行しながら。この道は家に帰る道ではない、と気づいた私は、右手の坂道をのぼり始める。家が見える。必死で足を動かす。家に着いた。「助けて」家にはだれもいなかった。後ろから車が追いかけてくる。ここで、目が覚めた。夫が隣で「どうした？」と聞く。そのまま伝えた。伝えたかったのだろう。もう彼を追及するのはやめた。だから？そのまま無言でテレビに見入る。夫はおそるおそる私の背中を撫でる。そして言う。「なんだか、だるいんだよ」白旗が昨日功を奏したからか。ひとしきり沈黙が続き、私は「起きるわ」と立ち上がる。彼は「ぼくも」と追いかける。具合が悪いときは寝ていたら？私はみせかけの愛でそう言った。彼は目の前の「必要」で行動する。今、私を失うのは怖い。だから必死だ。ただそれだけのこと。「愛」という物語を、信じてはいけない。彼は目先の利益のためになら、「愛」を安売りする。目先の利益…。ああ、こんな言葉は使いたくない。甘いんだろうな。まだどこかで、彼の言う「本物の愛」にすがりたいのだろうか。違う。ここしかないから。そういうところまで、彼は見事に仕上げた。ほんとに見事に。仕上げたかに見えたのに、私が元気になっていく。妻の生命力溢れる姿に、彼は不公平感を抱く。人間はどこまで身勝手なんだろう。妻と自分を比べて、負けじと彼がとった行動は。自信のあるところに向かったか。彼の頭の中は以前としてわからない。まじめに、私たち夫婦のためにした行動だと言ったりする。太平洋戦争において日本はアジアのために戦ったのだ、とする人たちと同じ思考。ふしぎだけど、似ている。生きてきた時代、環境が、人の思考回路を決定付けるのだろうか。身勝手な欲望が先行してることに、気づかない。夫も、日本軍も、陣内智則も、そして夫と恋に落ちた当時の私も、おのれの身勝手を美しい物語にしようとした馬鹿者たち。でも私は一抜けた。私の身勝手な行動が、子どもたちの人生を狂わせてしまった。前夫に問題がなかったわけではないが、そんな仕打ちを受けるようなことはしていないと思うだろう。子どもたちから奪ったものを反芻しながら、私は自分の身勝手な行動を恥じるようになっていった。夫は、二人の子どもたちは立派に育ち、すばらしい伴侶も得た、だからGO！サインを自らに出した、とかつて言った。三番目の子どもは、出来が悪いということからか考慮の外だった。東大からエリートサラリーマンになった長男と、ミス○○にならんとする長女の独立はちゃんと見送った上で、私との関係に入ったのだそうだ。当時も、「そんなバカな！」と思った。私の子どもたちのことは、まったく関心の外だったのだから。自分にとって大事なものについて、彼は熱心なだけの、身勝手男。それだけにメッキが剥がれるのは、辛いらしい。私が夫とのいきさつについて、とりあえずは「身勝手」を禁じたのに、彼はどこ吹く風で、相も変わらず身勝手なまま。不公平、と思ったのか。彼が言う「本物の愛」とは、所詮自分勝手なエゴだったという落胆か。しばらく見守るつもりである。</description>
<pubDate>Fri, 20 Mar 2009 11:29:55 +0900</pubDate>
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<title>しがみつく女</title>
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<description>「愛は惜しみなく奪う」だったかな。有島武郎の小説のタイトル。今朝はこの言葉で、夫に説明をした。奪い合う愛は、健全じゃないんじゃない？と。彼は、しがみつかれる愛を、むしろ喜ばしいと言う。う、ん、それでは私が困る。のべつあなたにしがみついている子猫を演じるわけにはいかないから。しがみつく愛は、相手のエネルギーを奪い尽くしかねないのよ。お互いにしがみついていては、まずいんじゃない？自分たちさえよければいい、そうではないよね。二人が愛し合っているのなら、その幸せのいくらかは、世のため人のためにお裾分けしなきゃ。そうでないと罰が当たる。しかし夫は、私が離れていきそうな不安からか、首を縦に振らない。渋々承知はしたけれど。「虐待されたり、無視されたりすればするほど、子どもは母親にしがみつく」今朝、ぱらりとめくったノートに、私が書いていた言葉。今回の一件は「一人で立てる私」を目指して日々体力作りに励んでいた私に、強烈な一撃を加えた。一気に私は、夫の望む「しがみつく女」に逆もどりした。一人で立てない女に。今回の出来事を、夫が意図的に企んだなどとは思わない。けれど結果として、彼の思いは遂げられた。「必要とされる必要」こそ彼を表している。彼を必要としない、一人で立てる女になろうとした私は、「彼なしでは生きられない女」に、私は連れ戻した。まったく劇的に。彼は喜んだ。しかし私は、なんか違う…と感じていた。それが深夜の語りとなって出てきた。「悪魔が来たりて笛を吹く」と夫は言い、もうやめてくれ、と悲鳴をあげた（のだそうだ）。やめられない、止まらない。私のアディクトは、私がしがみつきをやめない限り、止まらないの。しがみつく愛を歓迎する夫は、しがみつきと執拗な追及はセットなのよ、と言ってもわからない。私はね、今あなたを愛しすぎているの。愛しすぎているから、ほんのわずかの不信の芽も摘み取りたいの。信じたいから、しつこく聞くの。という、彼が怒らない言い方に極力努める。いやになるでしょ、こんなしつこい女。嫌われるよね。でも、そう思ってもやめられないの。「その人の記憶は、その人の現在の必要を示す」記憶は、その日々に変わる必要に沿って、日々に作られる。忘却もまた、その人の必要に沿って生じる。ーフロイトーこれも同じノートにあった。私が彼を執拗に問いつめたくなるのは、彼自身がもはや忘却の彼方に葬り去ろうとしていること、そのことに源がある。彼の話を聞いていると、彼はまるで清廉潔白な聖人君主のようだ。不幸せな女性がいる。その女性に対して妻が冷たい仕打ちをしている。妻の不足を補いたいと思い彼女の話を聞いてやろうと思った。妻が里帰りしている間に会いませんか、というかたちで。もちろん妻に内緒で。この話を聞くと、彼に落ち度はない。彼自身こう言った。「誤解されるような行動はこれから一切しない」誤解されたのである、とあくまで彼は主張する。誤解したのは相手である。その相手がとても不幸なために、私の幸せをぶち壊そうと意図的に話を作って私に告げた。非常によくできたストーリー。さもありなん、と思わせる。なにしろ彼は過剰に親切な人である。人に親切にして喜ばれることで自己確認をする。その傾向がめちゃくちゃ強い人である。たくさんたくさん話をしていくと、去年は私に嫌われていると思った、なんてことを言う。現在の彼の「必要」が、こんなセリフを吐かせる。微笑ましい。彼は電話をかけたいきさつも、その内容もほとんど覚えていないと言う。それはないでしょ。私はリアリティのある返答を求めた。彼女にはあえて聞かない、と念押しをして。それでも覚えていない、と唸る。そういうときの彼に、「記憶にございません」の人々のような図太さは、見えない。ほんとに忘れたいのだろうね。でも私の「必要」は違う。あなたの行為が、まったく善意に行われたもので、誤解した人こそおかしい。彼のこの身の守り方に、私はノーだった。ぼくは悪くない。この柱が悪いんだ。柱がぼくにぶつかってきたんだ。このあたりを私が追及するので、彼はとことん疲れる。だって、彼は必死に防衛しなければならない。エネルギーが相当必要だろう。長年にわたって彼が築いてきた要塞を、私が壊そうとするわけだから、彼は必死である。おそらく、これまで彼はどんな力によっても、その要塞の扉を開けられたことがない。執拗な私の追及に、「もうやめてくれないか。ぼくはもう歳なんだ」と夫は白旗を上げた。すっかり弱り果てた風情で。相手が攻撃してこなければ、私だってむやみに大砲を打ちはしない。私は静かに、「愛は惜しみなく奪う」という言葉で、彼の和平の提案に応えた。これ以上戦争しても互いが失うものが多い大きすぎると判断したのだろう。賢明な判断である。だから私も合意した。愛の条約を、二人の間で締結したわけだ。、愛という幻を介しないでは、私たちの関係は成立しない。そして愛の条約の内容。私はね、今回の一連の出来事を、あなたの「表現」だと考えたりもしたのよ。SOSの表れと。私はそのSOSを察知するほど、あなたに関心を払わなかった。不機嫌という表現で、私の関わりを求めても、私は無視し続けた。それはあなたの挑発であり、きっかけを与えれば猛烈な嫌味の攻撃を浴びることなり、やってもいないことをやったと決めつけられるに至ると、私の精神の均衡は確実に崩れる。そんな事態に陥ることが予想されたから、私は自分を守るために「家政婦らんらん」という、かわす手段に出た。彼にとっては、意思表示を無視された。ぶきっちょな意思表示だと、つくづく思う。無視されるばかりか、妻は日に日に元気になっていく。取り残された感じもあったらしい。そこへ登場したのが、夫と同様、心に空虚を抱えるD子だった。私の話に出てくるD子は、彼と同じように、私に厭われていた。彼の無意識が同胞を求めたとしても不思議はない。「妻が失礼なことをしてごめんなさいね」という夫の電話に、彼女は見事に反応した。彼女にも、私に疎んじられている不満がくすぶっていたのだろう。私に、さらに上位者がいると知った彼女は、私に対する態度を変えた。もちろん、彼女の心の内は分からない。複雑な思いが錯綜し、会合に出向く。会いたいのは私ではなく夫、になっていた。だから5時間も話していて、私がおそろしく虚しさを感じたわけだ。彼女がそこで自らの女性性を意識したかどうかは、私の知るところではない。しかし夫は、彼女の接近が周りの人に異様に見えることを気にしている。（このあたりは正直である。彼女の側の問題だからね）他人の目のあるところで少し冷たく突き放したことが、彼には気になっていたのだそうだ。「もっと話がありそうに思った」と彼は言う。彼女が自分に好意を見せたけれど、それは人の目のあるところだから、応えられなかった。自分が必要とされていることを強く感じた彼は、行動に出る。彼は「必要とされる」ことを、最も必要としていたから。「ぼくが必要なら、妻の留守中にでも、会いに行きましょうか」彼は彼女に電話をして、こう持ちかけた。彼女は、あまりに唐突だったので、躊躇した。どういう意味だろう？と困惑したそうだ。彼女は夫を、確実に「男」と意識した。夫はというと、全く異性と感じていなかった、と言う。これはたぶん嘘。今朝のニュース。裁判官が破廉恥な行為をして、DNAという動かぬ証拠が出るまで容疑を認めなかった。これと同じだ。自らの行為を、受け入れがたいのかもしれない。裁判官や聖職者のように、自らに縛りのきつい人＝正義の人ほど、破廉恥なところでポカをやる。夫の鉄の要塞が、この裁判官にもあったのだろう。彼は私に求めて得られないものを、彼女で代償しよう埋め合わせようとしたのである。自らの心を鉄の要塞に閉じこめないでいる人は、ある意味真に知的な人だろう。そんな人は、クールに、あるいはドライに、「性的な不満のはけ口が欲しい」と街に出るかもしれない。しかし私の夫はアディクトされたい人なのである。アディクトしたい人は、相手を見つけるのもうまい。D子は、まさにアディクトなしではいられない人だった。「必要とされる必要」に迫られて、彼は行動に出た。自分の本心は、要塞の中に閉じこめて。行動が、その人の欲しいものを見事に表現する。彼の行動は、そういうように、私には見えた。夫には、「これはあなたのSOSだったのだと思うことにする。私の愛が欲しくて、ただ迂回しただけなのね」と。政治の世界で言うところの、落としどころ。これが彼との和平条約の中身である。この私の読み方に、彼は「いつもあんたの分析には、眉唾だと思うんだけど、今回はなんかすとんと腑に落ちたよ」と言った。そりゃそうでしょう。そうしていただくために提案したのだから。めでたしめでたし。当たらずとも遠からず、だと、じつは思っている。いや、現在の私の「必要」から導き出された結論である。不器用な彼には、もう少しストレートな表現をするよう求め、私はその求めに応えてよく考える。こういう具体的な方法まで盛り込んで、私たちの和平は成立した。その結果、昨日私のエアロビ・パンツがエロチックだと注文をつけられたことに対して、検討します、と素直に答えた。たしかに少し生地が薄いかも、なんて。もちろん60過ぎた女ともなると、いまさらエロだかグロだか、人に何と言われようといいじゃない！と好きなおしゃれをするわ、というのが通り相場だろう。しかし彼は、首をかしげ、とても不機嫌になったのである。嫌味でなく、ストレートに言ってね。そうお願いしたところ、まあ裁判官のような物言いで、ほかの人もそんなのはいてるの？なんて言う。以前の私なら、ああまたヤキモチだわ、とワンパターンの理解で振り切ったところだ。しかし彼は私より12年も前に生まれた人だ。彼の常識では、人の妻が、あるいは60過ぎの女性が、こんなぴったりしたパンツをはくものだろうか、と正直に思っても不思議はない。素直に耳を傾ければ、ああそれもいいかな、と思う。誰になんと言われようと、いいじゃない！なんて闊歩する団塊の女性たちとは、ひと味違う女が、出来上がるかもしれない。それはそれで楽しいことだ。薪割りの技術が日々高まることを喜びとするように、この私がしっとりと上品な女になっていくも、悪くない。無理かなとは正直思うけれど。二度も結婚したのだから、結婚した相手の影響をプラスにしてしまおうじゃない。という、とてもとても逞しい私なのでした。「しがみつく女」にバイバイ。</description>
<pubDate>Thu, 19 Mar 2009 11:24:43 +0900</pubDate>
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<title>権力による</title>
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<description>そろそろ頭の中を占領しているものどもを追い出したい気分。ではあるけれど、書いておく。お墓の草取りに行くまでのわずかな時間だけど。権力による国策捜査で、ねらい打ちされた、例えば佐藤優。とんでもない飛躍で申し訳ないが、その佐藤優になったつもり。で、刑務所にいるわけ。でも例え刑務所の中だろうと、権力に屈しない心を持つことは可能だ。ペンと紙を与えられ、書く自由まで奪われたわけではない。ここで彼は権力批判だろうと何だろうと書くことが許される。たぶんね。力を崇拝して生きてきた人間が、その力を失いつつあるとき、思いもしない行動に出る。現在の自民党のように。わが夫の行動を、今日はそう見る。ああもう草取りの時間。またのちほど。忘れなきゃいいけど。</description>
<pubDate>Wed, 18 Mar 2009 10:17:50 +0900</pubDate>
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<title>ノー天気でタフな妻。</title>
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<description>バラの新芽に、もう、アブラムシ。バラゾウムシも2匹みつけた。夫は、自分の目では見つけられない、と言う。お手伝いできる限りお手伝いいたしますよ。ところでこれは当然公言しないのだけれど。やはり夫との関係について、私はいつかまとめたいと思うだろう。いろんな切り口で、理解しようと試みた。しかしやはり、自分の頭で考えるのがいい。本や専門家の文章から借りてきた言葉を引用するのもいいけれど、どうしてもそれに縛られる。縛られるというのは、案外強い力を持つ。先入観というやつに、私はどうも弱いようだ。私が、今、ここで、納得していること。これをもとに考えるしかないではないか。ところが夫との関係について、となると。相手のあることである。相手は動く。もちろん私も動く。互いの動きに互いが反応する。それほど影響力の強い環境であり、関係なのである。共依存とか嗜癖とかのワードが頭をかすめる。これらの言葉が、ひとつの枠組みをつくる。それはいい。そのような考え方で、解決するものがあるのなら、いい。しかし私たちはどうなのだろう。共依存関係だ。嗜癖だ。それが私に理解できても、夫にそれを理解させることができるだろうか。たとえ出来たとしても、それをすることは、この言葉の論者が主張するところの「支配・被支配関係」あるいは「依存・被依存関係」を繰り返すことにはならないのだろうか。おそらく、私と夫で、ではなく第三者の介入が必要なのだろう。そんなことをする費用も余裕もない。それに、依存症と名付けようと思えば名付けられる人が、田舎には山といる。アルコール依存症はほとんど常識だ。その子どもたち＝もういい年である＝に、確かに影響は出ている。金融機関で不正を働きクビになり、尻拭いをした揚げ句再び勤めた金融機関で同じことを繰り返し、妻子に離縁されて戻ってきた息子を持つ老夫婦がいる。飯と部屋ぐらいなら提供する、と、老母は受け入れた。90にならんとする夫婦が、未だに激しくやり合っている。酒飲みの夫にうんざりの妻である。数え上げればきりがない。涙を流し、支えてきたのは妻たちだろうな。そんなものだろう、と当地の人々は思っている。互いが自立し、互いの存在を尊重しあうなんて、絵に描いた餅。依存症とかの人は、「必要とされる必要」を求めて生きているという。出世競争に必死の人ほど、依存傾向が強いというのは、私にもよく分かる。これが弱肉強食の自由主義的価値観だというところまで、私は理解したつもりである。ときまさに、世界金融危機で、行き過ぎた自由競争社会を疑問視する人が増えてきた。私の夫でさえ、変わってきた。おっと待て。わが亭主の場合は、今、妻に嫌われたくないとかなり無理をして同調している可能性がある。夫が変わってきた、と調子に乗らぬこと。彼は目の前の妻＝母親＝父親に、嫌われたくない人なのである。嫌われたくないから、自分の怒りを抑え込む。抑えに抑えた末、今回出てきた「表現」が、くだんの事件であった。怒りを抑えなくてもいい、と今回感じてくれていればよいのだが。今回、私と結婚して二度目の「暴力沙汰」。私にDVと言われたくなくて、我慢に我慢を重ねていた。しかし私の追及の厳しさにとうとうキレて、椅子を次々に投げ飛ばし、麦茶のポットを割ってそこらじゅう水浸しにし、もちろん食器を割り、私を威嚇した。昼間だったからかどうか。私はスリッパのまま玄関から出た。ドアを開けっ放しにして。隣の家に逃げようとは思わなかった。それほどの怒りではなかったのだ。夫は、高価なツボは投げなかった。彼は狂ってはいない、と私は見た。そのとき明るい白昼の道路に立ち、私は笑っていたそうである。夫はそれを見て安堵した。そんな感想を、のちに述べた。彼の「暴力」にさほど脅えなかった自分を、喜んでいた。彼が最初の暴力沙汰以来、自分の怒りを抑え込んだのは、怒りの破壊力の凄さを知っていたからだろうか。あんたが脅えていたから、と言ったな。彼が瞬間湯沸かし器と呼ばれ、地雷とあだ名された人であることを考えると、この手の爆発は、抑え込むことなどできないで、時々間欠泉のように噴き出すのだろう。それが怖くて、私は彼に対する不信を募らせた。なにしろ、理由が分からないときと場所で、その爆発は起こるから。溜めに溜めているから、とんでもないときに破裂するのである。彼は自分の爆発が、さまざまな関係を壊してきたことを無意識に知っている。だから抑え込む。怒りも不満も出していいの。私はそう伝えたつもりだけれど。またいつ起こるやもしれぬ。そのときのために、書き留めておく。すぐに忘れるからね、私。これって年のせいばかりではない。夫は、それは別人のように穏やかな良い子になるんだもの。私みたいなノー天気は、へえ、変わったんだ、なんて思う。しかし、ノー天気でいられるということは、私はこのヘンチクリンな夫の妻として、なかなかタフだということかもしれない。追記。夫の今回の、怒りではない「表現」は、手の込んだ脅しだったりして。まったくねえ。俺のことを放ったらかしにすると、他の女に行くぞ、って？ふふふ。このあたりは危機一髪だったかも。彼は「新しい関係」にアディクトしていっていたかもしれない、とじつは思っている。そなんバカな。でも、そういうお人なのである。アイサレタイ人なんだから。愛に飢えた人を見つけるのはお手のものなのである。一歩手前でエンストしたのは、三人の関係のダイナミズム。おもしろいですね。おもしろがらなくちゃ、やってられません。</description>
<pubDate>Tue, 17 Mar 2009 15:35:02 +0900</pubDate>
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<title>関係のダイナミズム</title>
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<description>ほんとうに、春。雑草たちの勢いが日に日に強い。斧で割ったクヌギの木から、なにやら知らぬ虫の大きなサナギ。今まさに成虫になろうとしたところだったのね。草むらからヘビが出てくる前に、薪の調達を終えなければならない。あと1本、クヌギの木が、われわれを待って山腹に横たわっている。ほぼひと月、かかった。私の大騒動。行きずりにたまたまこの日記を読んだ方には、ご不快な思いをさせたことだろう。ふだん、人が表には出さないドロドロのヘドロをお見せしてしまったのだから。心に負った傷を、静かに抱えて生きている人もいる。傷を傷と受け入れることさえできずに、苦しんでいる人もいる。そんな人たちから見れば、なんて恵まれた人！と思われるだろうか。自らの傷を癒すために、なりふり構わず全力を傾けることのできた私。そのためには他人に傷を負わせることも厭わない私のエゴ。私自身がよりよく生きるために、私は私の傷に、メスを入れた。ゆっくりと時間をかけて癒していく、という選択をしなかった。メスは、私の傷以外のところに、及んだ。これもみな、私のエゴ。ごめんなさいね。夫をアイスル余り、彼女を性悪女だと決めつけたがっていた私。そんなことはない。彼女もまたエゴイストだっただけ。自分に心地良い場所だけを選んで歩いていく人がいても、いいじゃない。私に彼女を責める資格なんて、ない。エゴイストといえば、夫もそう。私たち、この事件の当事者3人は、みなエゴイストだという点は共通しているのかな。夫は私にアイサレテイナイと不満を持ち、彼女も仲間だと感じた。彼女の私に対する不満を聞いてあげる、というかたちで、彼は自分の不満を解消したかったのかもしれない。私が彼女を、こちらの都合で（夫の不在）時間が空いたときのみ、呼び出しては相談に乗っている、と夫は見た。彼はそんな私のやり方を、ほぼ踏襲した。そして彼を行動に駆ったのは、私に対する異議申し立て。妻は、可哀想なあなたと距離をとりたがっているけど、ぼくは妻とは違う。ちゃんと相談に乗りますよ。彼は、妻の厳しさ、冷たさに不満を抱いた。独り立ちせよ、と突き放されることに不満だった。その気持ちを、彼女に代弁してほしかったのだろう。しかし彼女は、きょとん。私が彼女から離れようとしていることを、彼女は全く知らなかった。それくらい、私は彼女に対して本当の気持ちを抑えてつき合っていた。カウンセリングマインド。なんてものを、私も彼女も少しかじっていたからね。普通に言いたいことを言える~友人~ではなかった。このブログでも~~つきの友人だったはずだ。娘さんのことで苦しんでいる彼女の、相談に乗る。このかたち以外、彼女と会う必要を感じなかった。いや、少し嘘があるな。夫への不信をぬぐい去れないでいた私は、夫婦関係の外に誰かが必要だと思っていた。自分の身を守るために。相手を選べるほどの交友関係はない。夫との密着しすぎの生活はよくない、と信じて外に誰かを求めた。このあたりに私の「必要」はあった。それに、悩んでいる人の相談に乗る、という役割は、すべての社会的役割を失った私には、悪くない感じだった。当初はね。しかし一方で、彼女の問題はここにあると感じてもいた。アドバイスをする人と、受ける人。この関係が固定してしまっては、彼女自身の問題から抜け出せない。だからもう私とは会わないほうがいいのよ、と言ったこともあるはずだ。ところが彼女には彼女の「必要」があった。自分を受け入れてくれる相手を、彼女は求めていた。私は限定的にだが、その役を務めていた。不覚にも、その役割に夫を巻き込んで、バラの苗を植えてあげたりしていた。「彼女、ご両親をいちどきになくした上に、娘さんが大変で、気の毒なのよ。バラの苗をあげてくれる？　植物を育てることは彼女を癒すことになるような気がするから」というふうに。私自身、夫とほぼ一体であったのだ。他人のことは言えない。しかし彼女の保護者としてはあくまで「限定的」。のべつあなたを元気付けるお姉さんではいられない。彼女は、相手の立場や気持ちを忖度することが不得手な人である。年老いた母の自己チューに似ているところがある。本人に相手を怒らせようという意図がないという意味で。社会性をもう少し身につけたほうがいいな、という人である。彼女の娘さんが元気になっていき、それと同時に彼女も元気になっていった。ものの見事に、母と娘は同時進行で回復していった。これは娘さんをカウンセリングしていた人の力に負うところが大きいのかもしれない。あるいは娘さんの力。あるいは彼女の努力。ご家族の強力。そして少しは私のサポートも力になったかもしれない。娘さんをただ抱きしめてあげて。そして○○。この二つだけであとは要らない。こんなアドバイスもしたっけ。それなりに一生懸命、彼女の娘さんのために考えた。しかし元気になってくると、彼女と私の関係が微妙に変化していく。もう相談に乗ってもらう必要はないのである。徐々に会う間隔が遠くなっていった。何かがあったら、いつでも連絡してくれてOKよ。そう伝えた私の真意は、それ以外に私はあなたを必要としていないということだった。一緒におしゃべりして、打てば響く、といった相手ではなかった。弾けて笑い合う楽しい関係でもなかった。相談を持ち込む~悩める友人~以外の彼女を、私は求めていなかったのだ。にもかかわらず、彼女は彼女の都合で、自分をやさしく受け入れ、ときに知恵を貸してくれる人、として接触をやめなかった。私の愚痴は夫に向けられていた。夫は、可哀想な人をそんなに突き放さなくてもいいだろう、と思った。突き放されたと感じていた彼自身の、正直な気持ちだろう。私は、エゴイストで乱暴者である。自分の都合で、いきなり突き放すのである。突き放されていた夫が、彼女に電話をした背景にあるのは、このような景色だろうか。もちろん人は完全にクリアカットな動機で行動するものではない。もうちょっと微妙な心の動きがあったのだろう。しかし、そこは現在の夫の「ありかた」に免じて、不問に付すことにした。そう、現在の夫と私。この時点から眺めたら、今回の事件はこうなるということである。夫婦の危機だった。そしてちょうど1年前、私は私自身の危機と認識していた。骨粗鬆症。まさか！このまま夫の希望に添って、彼のそばにじっとしていたら、私はどうなるのだろう。いけない、自らを元気にするために、動かなくては。そんな決意が、私はフィットネスに向かわせ、夫の感情など無視するかたちで、どんどん自分だけ元気になっていった。私自身の危機は、回避できた。そして夫婦の危機が訪れた。私の不手際、とあえて言う。あるいは私たち夫婦のエゴにより、巻き込まれたかたちの彼女。申し訳ないという気持ちもある。こんなかたちの激震は、彼女の人生になかったのではないか、と想像する。わけがわからない、だろうと思う。けれど楽観に過ぎるかもしれないが、彼女は夫のもとに戻っていったのではないか。私や夫という、青い鳥的な居場所を失うことで、本来戻るべきところに戻ったのではないか。そうあってほしいと願う。</description>
<pubDate>Tue, 17 Mar 2009 10:56:42 +0900</pubDate>
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<title>「一人遊びのできない大人」にはなりたくない。</title>
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<description>「一人遊びのできない大人」と題して、日記に書いている。以下はそのコピー。人間死ぬまで学び続けなければならないようだ。というのもね、学んだつもりになっていることを、ふらっと忘れていることに気づいたから。読み直したのは斉藤学著「家族依存症」。このところ私をイライラさせている人がいるが、その人とのことが、この本を読んですっきりした。「底の抜けたかめに水を注ぐがごとき」と、以前この日記に書いた人のことである。私自身が、彼女の依存と支配による人間関係に巻き込まれそうになっていたようだ。私の目には、彼女とお嬢さんがその関係から抜け出していないことが見えていた。けれど、もちろん言わない。その人と長時間話していると、私が同じような「場」に取り込まれていく。もともとそうなりやすい傾向がある私である。が、何かがそこから離れたいと訴えた。何かとは私のなかから湧いてくる何か。不快感と言ってもいいけれど、それは正しかったのではないかと今思う。不快感とかの「感じ」に従ってもいいのではないか。どこかで冷たく突き放すことをためらう私がいた。彼女が私に依存している様子を、夫は微笑ましいと言い、なぜ私が苛立つのかわからなかった。わからないだろうな。彼はそういう相手が現れれば、身を乗り出していく人だ。相手のためというよりは、自分の満足のため。依存傾向の強い人は世の中に大勢いる。ほとんどの人については勝手にやってよ、と言うしかない。しかし依存の対象が子どもになったとき、悲劇が起きる。寂しいから、退屈だからと、子どもに依存してはならない。一人遊びのできない大人は、はた迷惑である。なんだ。とっくにわかっていたのだわ。この１か月、ぐにゃぐにゃと曲がりくねった道を行ったり来たりしていたけれど。この日記を書いたちょうど同じころ、夫は彼女に電話をしている。私は見事に彼のやりそうなことを予測しているではないか。まるで私が方向を暗示したようなかたちである。彼の過剰な親切心＝彼の飢餓感からくるのだろうが＝を、男の誘惑というストーリーに仕立てて、彼女は私に電話をかけてきた。夫が愚かな電話をして2カ月も経っていた。耳を疑いました。困惑しました。まるでメロドラマのヒロインのような「作文」である。そのような受け取り方しかできないステレオタイプの女性なのだろう。まあね、夫の「過剰」は誤解を招きやすいし、このようなきっかけから情事へと発展することは多い。なにしろ彼の「過剰」は、飢餓感が発生源だから。私とのこともそのようなところから生まれたものだと思う。今回はその一歩手前で、わけがわからなくなった女の暴露で、ストップがかかったのかもしれない。彼はそういうことにはならない、と言うけれど、彼女がその気になったら、どうでしょう？このような未来予想図に私は嫉妬したのだったけれど。彼女が、2カ月間、いやあるいは半年間、ああでもないこうでもない、と考え、おそらくは友人らしき人に相談もし、結論は「主人に嘘をつかれている妻が可哀想だ。電話で誘ってきたことを言ってあげなくては」という親切心（もちろん建て前）で、意味深なメールをよこし、私からの電話を期待した。私はそれでも彼女に電話をしなかった。彼女の「あおり」に乗りたくなかった。この手のものは、たいてい愉快な話なわけがないから。彼女が誰かと不倫したどのの話かもしれない、とは感じた。そんな話、聞いても不愉快なだけだから、無視した。そうしたら辛抱できなくて、電話をかけてきたのである。無視していては悪いと思い直した私が「数週間後なら会えるわよ」というメールを出したにもかかわらず。彼女は、「夫の悪事を暴く正義の人」として私の平穏な生活に爆弾を落としたのだ。しかもそのイケナイ夫から、内々に誘いを受けた、と決めつけて。これで友だちとは言えないわね。自分の宙ぶらりんの状態に耐えられず、私を傷つけ、家庭を破壊するような行為に及んだのだから。そう、彼女は宙ぶらりんだった。夫からの誘いを、哀れにも色事だと誤解した彼女は、おそらくは再度の電話があるかも、と甘い期待を抱いて日々を過ごしたかもしれない。困惑、なんて体の良い言い回し。その手の困惑があまやかな陶酔に人を導くことを、残念ながら私は知っている。あなたはね、そうやって自分の不安や苦しみを、身近な誰かに押しつけて、気がつかない人。娘さんが気の毒だ。苦しむ娘さんの母として、とても辛いと訴え、悲劇のヒロインとなる。代理ミュンヒハウゼンとかいう病理があるそうだけど、それに近いものを私は感じていた。そんな彼女は、自分の困惑を全部私にぶちまけることで救われる。悪いのは私の夫。そしてその夫の信じられない行動により、友だちを失った可哀想な女。彼女の現在はそんなところだろう。深入りするな、と最初に直観した私が、ずるずると引っ張られたのには、やはりわけがある。ひとつは、地元に全く友人と呼べる人がいなかったこと。もうひとつは、夫の不機嫌と爆発の理由がわからなかったこと。わからないことは不安である。怖いのである。だから助けを求める人を必要とした。しかし今回の事件のおかげで、私は夫と何度も会話をくり返し、なんとか彼の爆発に至るプロセスが何とかつかめた。私の不在が彼に耐えられないことを、彼は「よくわからない」と言うに至った。よく分からない事態が彼の脳味噌で起きるらしいことは、想像できる。いつもべったりはできないけれど、彼が極度の不安に陥らないような手立てを試みることは可能だ。彼女が私に暴露電話をしてくれたことを、私は彼女からの贈り物だと思うことにした。彼女に対して、あるいは彼女の娘さんの問題（繰り返すリストカット）に対して誠実に対応したことのお返しだと理解する。私の彼女への「贈答」がなかったら、このような展開にはならなかっただろう。まだまだ地下に潜っていたかもしれない。人のために働くのは、やはり良いことだと思うよ。恩を仇で返された、と一時は思ったけれど。</description>
<pubDate>Sun, 15 Mar 2009 11:23:10 +0900</pubDate>
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