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プレスリリース

一人遊びのできない大人 [2008年12月 3日(Wed)]

人間死ぬまで学び続けなければならないようだ。
というのもね、学んだつもりになっていることを、ふらっと忘れていることに気づいたから。
読み直したのは斉藤学著「家族依存症」。
このところ私をイライラさせている人がいるが、その人とのことが、この本を読んですっきりした。
「底の抜けたかめに水を注ぐがごとき」と、以前この日記に書いた人のことである。
私自身が、彼女の依存と支配による人間関係に巻き込まれそうになっていたようだ。
私の目には、彼女とお嬢さんがその関係から抜け出していないことが見えていた。
けれど、もちろん言わない。
その人と長時間話していると、私が同じような「場」に取り込まれていく。
もともとそうなりやすい傾向がある私である。
が、何かがそこから離れたいと訴えた。
何かとは私のなかから湧いてくる何か。
不快感と言ってもいいけれど、それは正しかったのではないかと今思う。
不快感とかの「感じ」に従ってもいいのではないか。
どこかで冷たく突き放すことをためらう私がいた。
彼女が私に依存している様子を、夫は微笑ましいと言い、なぜ私が苛立つのかわからなかった。
わからないだろうな。
彼はそういう相手が現れれば、身を乗り出していく人だ。
相手のためというよりは、自分の満足のため。
依存傾向の強い人は世の中に大勢いる。
ほとんどの人については勝手にやってよ、と言うしかない。
しかし依存の対象が子どもになったとき、悲劇が起きる。
寂しいから、退屈だからと、子どもに依存してはならない。
一人遊びのできない大人は、はた迷惑である。



このところ身の回りにちょっとした出来事が起きる。
昨日は夫の中学の同級生の葬儀であった。
古いつきあいというのではないが、この地に流れ着いた同胞といったところで数年おつきあいがあった。
世間から逃れるように人家の少ない土地に家を建て、マイワールドを築こうとした人だ。
男の人が、本人には意味のあることだろうけれど、周囲から孤立した暮らしに妻や子を巻き込むことには、違和感を持つ。
夫も似たような思いを抱いて、岬の突端とかに家を建てたいと言っていた。
私がこれだけは譲れないと申し出たことがある。
人家のない場所は絶対ノー、集落の中の土地ならばいいけれどと。
仙人のような隠遁生活とかいうものに憧れを抱く男性は多い。
それは結構なことです。ただしお一人でどうぞ。
女は本能的に人のいない場所に住むことの危険を察知する。
私の主張は通った。
おかげでややこしい近所づきあいはあるが、社会から孤立することはない。
故人はその人らしい生き方をして、満足だったと思うが、近所に家もない陸の孤島に一人残された妻はどうするのだ。
幸い娘さんが近隣の町に住んでいる。
亡くなった夫のことを妻は生前から「仕切り屋でね」と言っていた。
故人は自分の死後のことまできちっと「仕切って」逝った、と娘さんに聞いた。
人は生きたように死んでいくのだなあ、と微笑ましくも思った。
私ははたしてどんな死に方をするのだろうか。
「私の財布を盗んだのはだれ?」なんて妄言は吐きたくないものだけれど。
CMS

「正義」の衣の下 [2008年11月30日(Sun)]

風が掃き清めた空が澄み渡っている。
だからというわけではないが、
「たかじんのそこまで言って委員会」のスイッチを、バツリと切った。
田母神氏がゲストで「国防」について議論しようという。
顔ぶれを見ても、国防に武力が必要だという人々ばかり。
田母神氏は思いの外ユーモアがあり、自分を戯画化してみせることのできる人であった。
ならばあと一歩…、そんな思いを引きずりつつ、勝谷くんのはりきりモードに嫌気がさした。
彼は民主党の小沢氏に近づいて、与党を引きずり降ろそうとしている。
しかし彼の衣の下には選民主義とでも言おうか、自分が、男が、日本人が一番!と思わないと生きていけない「病」がちらちら見える。
アメリカの台風被害を見て、ぞっとするような言葉で黒人の人たちを表現した。
彼の日記はその後その部分を削除された。
あるいは北朝鮮と韓国の境界線で戦火が!なんて、思いきり勇み足の日記を書いたが、直後これも削除。
見えるでしょ?彼が何ごとかが起きるのを待っている不満分子に過ぎないってことが。
だから、彼の政界裏読み話は時々面白いのではあるけれど、要注意人物と私は警戒している。

ところで、彼らの主張を想像してみた。
正義のためなら暴力、つまり武力を肯定するという立場。
ざっと言えばそういうこと?
またまた雑ぱくな、と言われるだろうけど、直観というのはこういうものだ。
私はこれにノーなのである。
正義がいの一番にくることにノーである。
人はときとして、
自分は正しい、相手は悪い、と思った瞬間、
自らの暴力性を制御できなくなる。
私の夫は、なかなか立派な人である。しかもこの点に関して、身を挺して、私に「正義」の真実を知らしめてくれた人でもある。
「正義」というのは絶対普遍ではありえない。
その時々の自分の感情を正当化する詭弁として使用可能なものなのである。
妻が間違っているから糺さなければ。
そう思った「正義の人」は、的を外して物を投げた。
それは、自らの嫉妬や妄想が介在した暴力であったことを認めるこはできない。
暴力であったと認めることも不可能なようだ。
これは日本が戦争をしたのは「正義」であったと思わないでは生きていけない人々と同じ根っこ。
どうしてだろうな。
私は私の経験に則して、決してこのような正義を信じることができないのである。
どんな正義も、私は必ず唾をつけて舐めて嗅いで、やすやすと信じることはないだろう。
自らの暴力性の正当化に正義を使われてはたまらないのである。
もっとリアリスティックな話なら別だけどね。
正義の御旗で人を欺くなかれ。
ブログパーツ比較

路地裏の [2008年11月25日(Tue)]

久しぶりのブログ。
それも真っ先に内田ブログを開いた。そして読んだ。
懐かしい声を久々に聞いたような幸福感。
それも内田先生、路地裏の駄菓子屋になろうか、なんておっしゃる。
私がかつてこのブログで、路地裏のアクセサリー売りを名乗っていたことを思い出す。
嬉しくて不思議な一致! こんなことで幸せになるのだから、いいねえブログって。
美しき誤解、というのでしょうか?
どこかで地下水脈が繋がっているの、なんて勝手に脳は暴走する。
迷惑かけない暴走なら許していただきましょうね。

ずっとパソコンから遠ざかっていた。
変なメールがたくさん入ってきたことで、汚物を顔面に浴びせられたような不快感となり、その根源はネット社会にあると連想した私が、しばらく遠ざかりたくなったというわけ。
アドレスを変えたら、ピタリと来なくなった。ほっ。

それから、母の病気である。
ガンと分かって明日の入院となるまでの約ひと月、私はやはり非日常にいたのだろう。
私が推奨した「明るいガン患者」を母は見事に実践している。
お仲間に「明るいねえ」と言われ、「見かけに寄らず気が小さい」ことの例えを、私も知らない熊本弁でまくし立てた。
まったく、こんな言葉どこで知ったの?
明るさって、いいよね。
病気なんて吹き飛ばせそう。
私より病人の看護経験がある妹の直観も、わが夫の見立ても、全く悲観的なものではない。
ここでも不思議な一致。
まあ持病が一つ増えたくらいのつもりでいれば、ということだ。
80歳を過ぎたらガンの一つや二つねえ。
日本人の二人に一人がガンに罹ると言う。
赤ん坊や子どもを勘定に入れれば、年寄りの大半はガン経験者ということになる。
ならば最初からそのつもりで行こう。
私の検査結果も問題なし。
ガン=死、と短絡するのは大間違いだ。
どちらかというと、仲良くつき合うしかないもののよう。

久しぶりにブログを書いた。
また、ぼちぼち書きますわね。
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システム構築

20世紀は終わったの [2008年11月12日(Wed)]

まったく。今度は喉が痛い。珍しく風邪をひいたらしい。
めったに人混みに出ない私が、病人がいっぱい!の場所に長時間いたんだもの。
おまけに急に寒くなったし、検査の1時間が私にかなりのダメージを与えた。
なんてこった。弱っちいのお。
まあ風邪はたいしたことない。
それよりパソコンのメールを開けたくない事態。
どこから漏れたか、私のフルネームとアドレス宛てに山のようなメールが来る。
馬鹿馬鹿しい男たちのお誘いメールのようだけど、触るのもいや。
他のメールとコマンド・オールして削除し続けている。
もはやアドレスを変えるしか手がないようだ。
それにしても、迷惑な話だ。
息子によれば、ソフトを使って多量にメールを送信して、中の一つでもひっかかったらよし、という手合いらしい。
でもどこで漏れたのか、ちょっと怖い、と息子が言うので、私はマジ怖い。
早くアドレス変えなくちゃね。

話は変わるが、田母神とかいう人が登場したね。
あれはね、元右翼の鈴木なんとかさんという人が先例だけどさ。
物言う場がほしかった人よね。
認めたもらいたい人々。自分はこんなに正しいのに、それを認めない世の中や政府に物申す!ってことで。
日陰の身に長く置かれていた人たちが、そんな鬱憤をためていたのかと驚いた。
橋本治さんの本を今読んでいるが、彼のように、「自分は正しい」でこり固まった人のことを「20世紀型人間」というんだそうな。
ほに、あの中山元大臣の陳腐さに通ずるでしょ。
陳腐なんて言ったら、この人たちは怒るだろうなあ。
何たって「正しい」と思い込んでいるんだから。
20世紀は「正解」がどこかにあった時代だと橋本さんは書く。
やたらとひらがなの多い、難しい単語のない本だ。
ちんたらちんたら書かれているように、一見すると感じるが、どうしてどうして。
よーく納得できる本なのだ。
そう、「わかる」と「知る」と「納得する」の違いのわかる人。
うーーーん、すごい!と拍手しながら読んでいる。
ちなみに20世紀型の人間は、自分を批評する目を持たない。
自分を見る他者が存在しない、というのかな。
これ、がーーーん!でしたよ。
だって、私が夫と出会ってずっと闘い続けてきた一つがこれだったんだもの。
長い闘争の末、彼はちゃんと、いやほとんど?、20世紀型を卒業した。
自分を批評する目を持てるようになったのだ。
ああ、彼が72歳であることを思えば、20世紀型まっしぐらなのは無理もなかったな。
それでも私と出会い結婚し、しぶしぶながら私の話に耳を傾けているうちに…。
うれしい話である。
田母神氏の文章を読んでこの一点だけ納得いかない、とあの三宅先生が言っていた一節がある。
電機製品なんかは誰でも造れる、という前段から入り、支配・被支配の関係は戦争に勝つことによってしかひっくり返らないと結んでいる。
三宅先生、ここにひっかかるところだけは拍手します。
よくぞ、見届けてくれた。
先日の「たかじんのそこまで言って委員会」では、田母神氏の代理みたいな元自衛官が出てきて、例えば阪神大震災のようなときに、政治のトップの指示を待たずにゴーできる自衛隊が望ましい、みたいなことを言って、三宅先生を怒らせていた。
びっくりでしょ。そんなことを堂々と言えるなんて。子どもじゃないんだから。
自衛隊がいかに日陰に置かれていたかを想像してしまった。
日陰というか、引きこもりというか。
俺たちを認めてくれ、たって、それじゃあね。
何10年も昔にタイムスリップした感じ。
俺たちに主導権をよこせ、と言っているのよ。
こんなことが世の中通ると思っている感覚があわれ。
ああ、もう書く気が失せた。
ますます喉が痛くなるのでおしまい。
プレスリリース

愛しの腸よ [2008年11月11日(Tue)]

お久しぶりです。たぶんね。
大腸内視鏡検査を受けてきました。
先週、母が同じ検査を受け、その結果あやしげなものが見つかり、わが家系には大腸がんの遺伝傾向が強いという話を聞き、即、行動に移したのでした。
というのも、7、8年前から気になっていたのですね。
こんな長いこと変化が著しくないのだから何でもないだろう、と打ち消しながらも、父に始まり妹、祖母と続いてガン死していることは私の深いところで引っかかり続けていたのですね。
ふと何かのときによぎる不吉な予感…。
母の決意に倣って私も覚悟を決めて病院へ行き、検査を受け、長年の気がかりが解消したのは、祝福すべきことでした。
しかし。
あの大腸内視鏡検査というのは、何てしんどいんでしょう。
1時間近くかかりました。
私の場合、腸が“long and winding road”だったのですね。
おそらく、全身の筋力低下と似たプロセスを辿って、わが愛しの腸もかなりへたっていたのでしょう。
「たわんでいるので」と医師は言いました。
そのたわんだ腸をまっすぐに伸ばして、カメラを前進させるわけですが、当然手探りです。
あちこちぶつかる感じ。
ガスを大量に入れられたのが、大変こたえます。
おまけに、へたっている腸を持ち上げる必要からか、看護婦さんに「お腹を押さえて」とか「脇を持ち上げて」とか、医師からの指示。
お腹を押さえられて、ガスを入れられ、カメラを入れられたら、私はどうすればいいの?
次第に呼吸は浅くなります。
ヨガの鼻呼吸でもしてリラックスしようと試みても、無理無理。
いつしか手がしびれてきました。
「手が、手が、しびれてます」
何度か訴えると、看護婦さんがビニール袋を持参し、「ここに息を吐いて」。
ああ、過呼吸になってるんだ。
ビニール袋のおかげで呼吸は楽になり、手のしびれはひいてきました。
しかし、今度は吐き気。
「吐きたいんですけど」と私。
医師は「ゆっくり呼吸して」と答えるのみ。
「はい。でも…」と言う間もなく、
幸い、ビニール袋がありましたので、そこに吐きました。
「あ、もっと吐きたい」
すると看護婦さんがもう一枚ビニール袋が差しだされ、
そこへ今一度吐いて、「すっきりしました」。
でも、お腹の中ではカメラの先頭が苦労しています。
腸だって、イヤだイヤだと言っています。
ずっと左膝の上に乗せていた右膝も、疲れてきました。
「しんどいです」
最初は何も言わないで我慢していた私も、さすがに弱音を吐きました。
「いたい」「いてて」「お腹が張ります」「張ってます」を連発したからか、医師は「レントゲンの用意」と言いました。
なんだなんだ、今度はレントゲン?
腸のカメラとレントゲンの映像と、二つのテレビが登場。
わっ。何? 検査の紐?がくねりと曲がっているじゃないの。
私の腸はこんなふうに曲がっているわけ?
しかし、レントゲン写真を見ながらというのは助かった。
医師も手探りではなく、ちゃんとぶつからないようにカメラを進めています。
「腸をまっすぐにしましたからね、もう痛くないですよ」
まあね。
大腸の曲がり角の4個所くらい、痛いかもしれませんよ、って説明は何だったの?
ずっと曲がりくねっていた感じがするわよ。
「ここが大腸の行き止まりです」と医師。
「進行状況を見ているほうが安心です」と私が言ったので、テレビをこちらに向けてくれました。
だって、そうでしょう。
今いったんどのくらいまで進んでいるのか、何か異常は見つかったのか、不安でいっぱいなんだから。
「心配なものはないですよ」とようやく医師は言いました。
大腸の中は血管が張り巡らされた洞くつでした。
胃カメラのときは、ピンクのきれいなものでしたが、いささか景色が違います。
「血管が見えているのが健康なんです」と医師。
わりと友好的になってくれました。
「ここから先が小腸です。ほらここが虫垂。これから戻りながら見ていきますよ」
ねえ、最初からこんなふうに言ってくれればね。
まあ、医師も私の腸と格闘するのに大変だったのでしょうけど。
帰り道に、二つほど、小さなぽっちんを見つかった。
2ミリくらいだそうで、「5ミリ以下は大きくならないと言われています」と慎重な解説。もっともです。
今日、ポリープを取ると一泊入院の必要があるとのこと。
それはイヤだ、でもまた同じことをしたくない。
その旨を伝えると、また1年くらいして見ればいい、なんておっしゃる。
医師の前でいい子にしたい一心で「また来ます」を連呼したその時の私。
今の私は、もうぜったい行くもんか、なんだけどね。
帰り道は、腸がまっすぐになっていたのか、レントゲンのおかげか、いやガスを注入しなくなったせいだろう、苦しむことなく終了。
そう、あれを「痛み」と称すのはちと違う。
苦しいのだ。だけど「痛い」と言うしかない。
お腹が張って出口がない状態の苦しさ、でしたね。

それにしても、愛しの腸よ、つい言ってしまいましたよ。
毎日毎日こき使われているのに、こんなにきれいなまま頑張っているのね。ありがとうね。
もちろん独り言です。
医師も看護師も無言でしたけど。
自分の身体に、ご苦労さん、なんて言ったことないから。
ほんと、ご苦労さん。
お医者さまも看護師さんも、お疲れでした。
「大騒ぎしてごめんなさい」とぺこり頭を下げて部屋を出ました。
たいした騒ぎじゃなかったと思うけど、お産のときより大騒ぎだったかも。
ああ、ほんと、疲れました。
私って、文字通り「へたれ」なんだわ、なんて感想もちっとも暗くない、明るい気持ちで口走りました。
だって、あの苦痛から解放されたことの喜びのほうが数倍大きいのですもの。
人間って、こういうふうにして、苦しさを乗り越えていくのかしら。
こんなへたれの娘の話を聞いて、母はむしろ元気でした。
手術の覚悟を決め、悪性の可能性も視野に入れて、前向きの様子。
わあ、母親ってすごい、と感心したのでした。
あまりの自分のへたれっぷりをね、書き残しておこうと思って。
システム構築

漫然運転事故のもと [2008年11月 5日(Wed)]

感情というのは納豆のネバネバのように、簡単にスパッとは切れないもんだ。
というわけで引き続き、
コミュニケーション不全に陥らないための処方箋。
もちろん、まずは自分自身に対して。
日々答えは変遷するが、今朝の答えはこれだ。

漫然運転は事故のもと!

これ以外にない。私の場合ね。
運転に慣れてくると、漫然と運転してしまいがちだ。
そうすると、ほら、事故ったりする。
初心者マークを付けているころ、あるいは初めての土地での運転では、殆どこういうことはない。
程よい緊張感を持ちつつ運転するからね。
※「運転」は、人との関係と置き換えて読んでください。
「慣れ」がいけない。
慣れた道を走ると、ハンドルを切るのも無意識なら、ブレーキ、アクセルも習慣化する。
時々、ひゃっ!とすることがないと、危ないですね。

人間関係もドライブも、ここはやや危険だと思えば、丁寧に対応するのである。
先日、夫の姉からの電話に見事に儀礼的な対応をしたわたくしを見よ!
相手との間の距離を縮めることが、危険に繋がると知っていれば、完璧なドライブができる。
なんてったって、用心深いし、運転が上手ではないことを知っているのだから。

夫婦間、あるいは家族間でのトラブルが多い理由は、この漫然運転が背景にある、と私は思う。
漫然運転の会話というのは、始まりもなければ終わりもない。
相手に何を求めているかとか、結論はこうだとか、まあヘーゲルの弁証法なんてのとは無縁の世界が繰り広げられる。
おしゃべりとはそういうものだけどね。
緊張感もなく、発せられた言葉にただ反射するような会話が続く。
そう、脳を通らずに、ただ筋肉反射するように会話が進む。
すると…。
コミュニケーション不全、つまり行き違いが生じるのである。
これがいわば「事故」。正面衝突、あるいは一人相撲の物損とか。
大けがや命にかかわるものでなければいいようなものだけれど、
できれば、事故は避けたい。

運転、すなわち、人間関係で不調を感じたら、もしや漫然運転ではなかったか、と自らチェックしてみましょう。
そうすると、以後、事故で怪我をすることも減ると思う、よ。
相手を見て、つまり道路事情や車の状態を確認した上で、ドライブしましょうということ。
相手も見ず、走り慣れた道だとばかりに、鼻歌まじりで運転していると、ほら!

ほんと、相手を知るって大事ね。
それはつまり自分を知ることだから。

ドライバーの皆さん、お互いに気をつけましょうね。

おっと、運転に過剰に緊張する人には、私の処方箋は不適ですからね。念のため。

内田先生のブログに、人を見る目=直観について書かれていたのでちょっと追記。

「こういう状況でこういうことを言っていた人間」が「それとは違う状況」に置かれた場合にどのようにふるまうかについての先行事例の膨大な情報の蓄積がこちらにあれば、数年後のその人の表情や口ぶりくらいは簡単に想像できる。私たちは根拠にもとづいて「推理」しているのである。
ポランニーはこれを「暗黙知」と呼んだ。フッサールは「先験的直観」と呼んだ。
ホームズは、ワトソン君に促されてこう言う。
「ちょっと『ひっかかったこと』とがあってね」
その「ひっかかり」を手がかりにホームズは真相を明かす、動かぬ証拠にたどりつく。
ホームズが「ひっかかる」のは、そこに「あるべきものがない」か「あるはずのないものがある」からである。はじめて立ち寄った現場で、ホームズは「あるべきもの」と「あるはずのないもの」の膨大なリストを瞬間的に走査する。

今、現在の私にまるで援護射撃をしてくれるような文である。
感激! いえ、そう言いたいだけデス。
とはいえ、私にこの種の、いわば原始的な直観があることを、もっと認めてやろう。
なんてことを思った。内田先生の応援を得てね。
私の推理にしても直観にしても、どこか世間から嘲笑されているような感じを持っていた。
でもね、本当は、そういう「感じ」が当たることが多いの、私。
この人、私の前とそうでないところでは、全く違うことを言ってる、って。
それは時系列的に集めた情報を整理すると、ちゃんと出てくるのだ。
ただそれをもって、あなたとつき合いたくないというのは、大人げない。
この「大人げない」部分に、いつも反省するのである。
ここ数日の、コミュニケーション不全などと、自虐的な文を書き連ねたのは、ぶっちゃけて言えば、そのような直観と推理に自信が持てなかったためである。
しかし私が漫然運転事故のもと!と解決策をみつけたら、ねえ、内田先生の応援が待っていた。
こんなうれしい流れはめったにない。
真摯に考えて、一人でね、目途が立つというのは、いいことだわ、ほんと。
ビジネスブログ

上から目線を嫌う人とは [2008年11月 3日(Mon)]

「底の抜けたかめに水を注ぐがごとき虚しさ」について昨日、日記に書いた。
その続きを今日書く。と言っても昨日の分は削除してしまったけれど。

今、テレビで森三中の村上知子さんらが口にしていたワード。
「上から目線」に、私のアンテナがぴぴっと反応した。
三人組のお笑いさんの彼女たちの、誰が上で誰が下か、傍目には分からない。
しかし彼女たちは、お互いに「上から目線」の物言いを拒む。
「あら、そう言うあなたこそ、上から目線じゃないの」といった具合に。

これである。
今、どんな人も「上から目線」の物言いに反発する。
年上の人だろうと、先輩だろうと、上から目線のアドバイス(そう、このアドバイスというのを特に嫌うようだ)をとても嫌がる。
プライドばかりが肥大した人々が増えたのも、たぶん同じ理由からだろう。
多くの人は他人による支配を嫌うのである。
いかに未熟であっても。
例えば相手の弱点を探して(そんなことは簡単だからね)、相手を引きずり降ろして、同じ地平に立とうとする。
自分の経験からよく分かる。
その人が未熟であればあるほど、その未熟なプライドを守ろうとするためか、上から目線のアドバイスを拒否する。
どうも自分のすべてを否定されたと勘違いするところがあるみたいだ。
未熟なプライドとは、そういうことだよね。
現実の自分を受け入れ難い。
あるべき高さに自分がいないことが、逆にプライドを肥大させる。

私が昨日ここに書いて削除した文章は、今日ここにまとめたことで足りる。

あまりの相手の未熟さについお節介をしてしまった自分への不愉快な気分。
いや、それを相手が受け入れていれば、不愉快な気分にはならなかった。
相手が拒んでいることに気づかぬままお節介をしたことで、おしゃべりはキャッチボールとはならず、一方的な、割れたかめに水を注ぐがごとき事態になったということ。
このあたりが私の不快感の主な原因だろう。
人と話して、コミュニケーション不可に陥ると、とても疲れる。
まあ、私に反省すべきところがあるとすれば、話している間に相手の拒否を察知すべきだったというところくらいだろう。
そのほかは、自分に「ご苦労さま」と言ってやろう。

いずれにしても、その人は今自我構築の途上にあるわけだ。
であればこそ、「上から目線」を嫌うだろう。
反抗期の子どものように。
しかし半世紀をこえて生きてきたことが仇になった。
反発を表に出すのは自分にとって不利益であると学習した結果だろう、さも相手のアドバイスを求めているかのような振る舞いをした。
善意はときに野暮である。
私の中の善意の人が、ここにまんまと乗っかった。
まったくね。
なかなかしたたかな人ですよ。
聞き出すだけ聞き出して、肝心要のところは拒むんだもの。
近ごろ、ハウツーだけを求める人が多いという世間のムードと、似たものを感じる。

いずれにしても、おかげですっきり。

「底の抜けたかめに水を注ぐがごとき虚しさ」とは、反発し拒否する心を表に出さない相手と、上辺だけの会話をした結果、コミュニケーション不全に陥ったことによったのだ。

「上から目線」をきっかけに、ちょっとだけ考えた朝。
これからまたテープ起こしだ。このところ忙しいな。
ブログ比較

娑婆の風 [2008年10月31日(Fri)]

もう10月も終わり。
あっという間の10月だった。
人の出入りがあると、このように私はブログを更新する時間がなくなる。
どうしてもしなくてはいけないことを優先すると、当然だけど。
とはいえ、ずいぶんブログには助けてもらっている。
時間ができたら、またゆっくり書き付けようと思う。

妹夫婦が母を連れてきてくれたおかげで、集中親孝行ができた。つもり。
わが夫さんも、今回は完璧にもてなしてくれたね。
その後、バラの咲きが悪いのでご機嫌がいまひとつ。
相手が私だけとなると、正直に表情に出る。
それでも私は言い続ける。
「なんか、怒ってるの?」
すると彼は見事に、不機嫌を返上し、マナーがよろしくなる。
そう、夫婦間でもマナーは必要なのよ。
彼に問いかける一言が大事なようだ。
おっそうか、自分は今不機嫌な顔をしているのか、と気づかせる役目である。
しょうがないわ、まただ、なんて諦めて放っておいては、問題は先送り。
親切に言ってそしあげるべきなのである。
もちろん、言葉を発するということは、反撃の可能性も予測しなくてはいけない。
ねえ、なかなか緊張感のある暮らしでしょ、老夫婦にしては。
ほどよい緊張と弛緩、これが理想。
そういう意味では、外の世界から、つまり娑婆からの訪問者は大歓迎だ。
娑婆とはやはり若さに価値を置く社会であるらしい、なんてことを改めて知るしし機会だから。
とにもかくにも、今日、明日と、まだ忙しい。
夫のバラの展覧会である。
そりゃう協力しなきゃ。
私の母たちにあれだけやさしく接してくれたんだからね。
なので、ゆっくりブログは、もう少しあとで。
SEO対策

体も脳も柔らかに [2008年10月18日(Sat)]

自己チュー人間は、ボケと鬱へとひた走る!?

年を取ると体が硬くなるのはどなたもご承知のとおり。
しかし硬くなるのは体ばかりではないぞ。
そう、脳ミソも固くなる。
老人性の抑鬱とか、痴呆などは、私に言わせれば固くなった脳の段階の違い。
(相変わらず大ざっぱですみませんが)
老人介護の経験もないまま自らの老いに直面する日々を送っている60歳の私。
その母が80歳で、なかなか元気にしている。
しかし本人の申告によると、どうも最近抑鬱に傾きがちのようだ。
時間を守るとかの事柄がやけに気になる。
悲観的になり、自責傾向が強くなっている。
具体的な話を聞いていると、ははあんと思い当たった。
近々、妹夫婦に伴われて(一人で来るのは不安だと言う)わが家へやってくる。
これはチャンスとばかり、おいでいただいた上で親孝行する予定。
私にできるのは、脳のマッサージだ。
で、先ほど気づいたことを実行に移す。
つまりね、年老いた人は、道を歩いていても、車を運転していても、常ならぬ状況の前にパニックになるでしょ。
思わぬ障害物につまづいて転倒したり、飛び出してきたウサギをよけられず崖下に転落したり。
これはね、やはり不測の事態に対処する柔軟さが失われているということ。
体ももちろんだけど、やっぱり脳。
イレギュラーな事態に対応するのはいつだって簡単ではないけれど、年を取るまま放っておくと深刻な状況が訪れる。
母の抑鬱というのか、気にしすぎというのは本人もやや過ぎていると感じている。
話すことより聞くことのほうが、脳をよく使うと聞いたことがある。
なぜなら、話を聞くためには、いつも自分が使っている脳の範囲を超えることが多いからだ。
つまり脳の行動半径が広がる。
逆に話すことは、自分がいつも使っている脳の部分を何度も叩くようなもので、広範囲に活性化することにはならない。
新規な出来事、不測の事態を適度に生活に織り込むことが、脳の機能低下の予防になるというわけだ。
適度、というのが難しいと反論されそうだな、うちの母親に。
例えば母は自ら老人会の班長を引き受けた。
当時はしゃきっとしてなかなかいい、と言っていた。
ところが抑鬱に傾くと、良いような悪いような、だと言う。
少し負担がかかり過ぎているのかもしれないが、母には期待しよう。
呆けたくない、寝たきりになりたくない。
そう言い募る母に提案をしようと思う。
気ままな独り暮らしの母ではあるが、出かけていく先々で交友はある。
しかしどうもこの手の交友、一定の時間だけ集まってじゃあね、と別れるアソシエーション的な交友は、自分に都合のいい脳を使うことに終始しがちである。
歩き慣れないはじめての道を歩く、ことにはならない。
母の愚痴を聞いているとと、そのあたりがよく見えてくる。
忙しい妹に頼りたいのは分かるけれど、どこまで頼るべきかのさじ加減がわからない。
忙しい妹にはメールを送り、自分が頼みたいことのぎりぎりを依頼して返事を待つ。都合がつかないときはそれなりに対応する。切羽詰まった用事は別。
このくらいのマナーは親子でも持ちたいものだ。
私が妹に対してやっているようにね。
このことを母は「あんたも気を遣ってたいへんだねえ」と言うけれど、全然。
この程度のことで気を遣うというのは、ちょっと違う、いや大いに違う。
生活のリズムも違うのだから、配慮はあって当然なのである。
相手の出方にあわせて柔軟に対応するというのは、やさしいようで難しい。
自分はここまではやるが後はいかようにも、というゆとりが必要だからだ。
お金にはゆとりがないが、時間にゆとりがある私は、時間はいくらでも相手に合わせるとかね。
自分が主体となって周りをコントロールして生きてきた人ほど、このやり方は難しいのだろうか。
聞く能力をむしろ育てたほうが、人間関係うまくいくんじゃないか。
今の人はとにかく表現したがる。話したがる。人のこと言えない。私もしゃべりたがり、自慢したがり。
だけど一歩引いて考えると、しゃべりたがりの人にしゃべらせて、しかもきちんと聞くという作業を続けると、かなり脳は達者になる。
そう考えて、自分のエネルギーを「聞く」役割に少し注ごうかと思った。
母の老いを見ながら自分の老いの準備、ということ。
もちろん、母が来たらそのあたりの話もしてみようと思う。
新規なものに好奇心が強い母である。
きっと抑鬱気分を解消する何かを感じてくれるだろう。
遠く離れて妹に母をまかせっきりだけれど、私にもできることはあるのよ、というお話でした。

不測の事態に対応する能力を身につけるには、自己チュー返上が一番!
おわかりかな?
これって、年寄りだけの話ではありませぬぞ。

追伸。
それにしても、自分で地図を描く能力もたいしたものだと思うけど、それ以前の、荒れ地をかき分け道を作っていったご先祖たちのことを思うと、道なき道を歩く能力というのはそれ以上なのだとつくづく思う。だから簡単ではないのよね。
ブログ比較

闘争心の行方 [2008年10月17日(Fri)]

ブログは記録でもあるので、書き留めておきたい。
カラオケで泣いた事件以来、私は久しぶりに夫と腹を割った話をした。
いろんなアドバイスが耳に残っていて、あまりに近すぎる関係はまずいとばかりに、夫と一定の距離をとることにしていた。
つまり何でもかんでもしゃべらないとかね。
一心同体ほど恐いものはない、という話も納得だし。
だからと言って、話せることも話せず疑心暗鬼を内に秘めて暮らしているのは馬鹿馬鹿しい。
まあそんなことを考えて実行に移したというわけではないのだけれど、この数日でずいぶん話をした。
そして分かったことがいくつかある。
夫は私が彼を怖がった一件のディテールを覚えていなかった。
サルサのことは一言も言ったことがないと言いきった。
そんな。サルサのことから蛇か蝎になったような嫌がらせを言ったこと、忘れたの。
そう、忘れているのである。
彼の中では、今後一切私がフィットネスに行くことに関して何も言うまいと決めた、という自分の決意としてのみ残っていた。
それは彼の記憶の隠蔽だから、はっきりそう言ったけど、彼が納得したかどうかは分からない。
ただ私が彼を怖がっていることは分かっているらしい。
そのことが彼と私の生活に暗雲を招く。だから彼は私のフィットネスに関しては「見ない言わない聞かない」に徹しようと決めたのだ。
その態度こそが私に恐怖につながる何かを直感させるというのに。
サルサの件で別人になったことを、夫自身が分析していた。
その数日前、彼はバラの会に突然乱入してきた60歳の男に闘争心をかきたてられていた。
乱入といっても、殴りかかったわけではない。
ただ夫の自尊心を傷つけるやり方で接近してきたのである。
リタイアして間もない男の側にもそうなる理由があった。
海辺で静かに隠遁生活を送っている彼の前に現れた中年男。
退職したばかりで身の置き場に困っていた男は、現実の社会をひっさげて夫の前にやってきた。
夫の闘争心に火がついた。
社会にあって常に闘う人であった夫の闘争心は半端じゃない。
この男は、その後グループから「正当なやり方で」はじき飛ばされてしまった。
正当なやり方で、というところが夫の凄腕である。
そのような闘争モードにあったから、私にとばっちりがいったのだろう。
夫はそのように妥協案を提示した。
私はそれを呑んだ。
そんな感じはしなくもなかったしね。
それに夫は私を怖がらせるようなことはするまい、と努力している。
闘争心に火がついたおかげで、彼は半歩ほど社会に身を乗り出して活動を始めた。
それも私への異様な嫉妬あるいは執着を緩和することになった。
だから私はこの人を見直したのである。
なかなかやるじゃない。
ところが、先日わが家を訪ねた友人は、どうも私の話を信じていない様子である。
私のほうに問題がある、と見ている節もある。
彼女の現在の立ち位置からしてそうだろうなとは思う。
娘にしても、夫がそういう性格と分かっていてサルサをやるなんて言うから、と言い放つ。
私としてはここで「サルサ」が必要だったと言うしかない。
サルサをきっかけに彼の怖さを今一度味わわなければならなかった。
そして再度ノーと言う必要があったのだ。
自分の「爆発」がどれほど人を恐怖に陥れるか、夫は知る必要があった。
先日来の話のなかでは、そのあたりを冷静に見ていた。
彼が一旦「敵」とみなした相手には、たとえ女性だろうと氷のような態度で接する。無視することも厭わない。徹底しているのである。
「そんな年をとった人に、きつく言わないでね。あなたが怒ると怖いんだから」と私が言うと、少し抑えるふうが見えるようになった。
私の言い分(私から見た彼)を少しであれ認め、受け入れているようである。
半年前の事件の収穫である。
その一件のとき、私はくだんの友だちに電話をした。
もう滅多なことでは電話しなくなって久しいが、このときばかりは助けを求めた。
「ウソをつくな、ごまかすな」と詰問され、冷たい拒否にあい、ほとんど殴られ続けたようなダメージを心身に受けた。
この状態を、私は夫の豹変に脅えたと言い、おそらく夫は妻がヒステリーを起こしたと言うだろう。
見方というのはそういうものだ。
しかし「怖い」と感じた私は、現にここにいる。
それが間違っていると言われて、人は生きていけるのだろうか。
かつて夫はそう言い募った。私が病んでいると決めつけた。
同じような見方を、じつは今回友人も娘もしたように思う。
今の私がとても明るく快活だから。
現在の夫がやさしく柔和だから。
あの一件について娘は言う。
「母さんが抜けているからだよ」
友だちは…。
そこここでもらした言葉をまとめると、どうも「何ぜいたく言って」というところだろうか。
この反応は、私自身おぼえがある。
人のことは言えないのであるが。
じつは助けを求めたくせに私は彼女に「その後」の説明をしなかった。
電話で聞いた話の端々から分かってもらえないな、と感じたからだ。
しかしその一件のあった翌日にたまたま会った地元の友人は、私の様子の変化に驚いたと言う。
彼女を証人としなくては、私自身が崩れていく。
周りの誰もが私の感じた恐怖を否定するとしたら。
私は狂うしかない。
だから証人がいる。
そういうことは現に起きたのだから。

一人の人間に寄り添うのは難しい。
知らず、自分の価値観で相手を裁いてしまうのが人の常である。
苦境にある人を目の前にしたとき、評価や裁定の目で見るより、寄り添うのが一番だと実感する。

今回は意外なところで夫が私に寄り添って見せた。
友人はカウンセラーではあるけれど、あえて評価の目で私に刺激を与えた。
そういう意味のある人々との出合いで私は今ここにいる。

夫の自尊心の憤怒、あるいは闘争心の爆発の行く末やいかに、である。
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