一人遊びのできない大人 [2008年12月 3日(Wed)]
人間死ぬまで学び続けなければならないようだ。
というのもね、学んだつもりになっていることを、ふらっと忘れていることに気づいたから。
読み直したのは斉藤学著「家族依存症」。
このところ私をイライラさせている人がいるが、その人とのことが、この本を読んですっきりした。
「底の抜けたかめに水を注ぐがごとき」と、以前この日記に書いた人のことである。
私自身が、彼女の依存と支配による人間関係に巻き込まれそうになっていたようだ。
私の目には、彼女とお嬢さんがその関係から抜け出していないことが見えていた。
けれど、もちろん言わない。
その人と長時間話していると、私が同じような「場」に取り込まれていく。
もともとそうなりやすい傾向がある私である。
が、何かがそこから離れたいと訴えた。
何かとは私のなかから湧いてくる何か。
不快感と言ってもいいけれど、それは正しかったのではないかと今思う。
不快感とかの「感じ」に従ってもいいのではないか。
どこかで冷たく突き放すことをためらう私がいた。
彼女が私に依存している様子を、夫は微笑ましいと言い、なぜ私が苛立つのかわからなかった。
わからないだろうな。
彼はそういう相手が現れれば、身を乗り出していく人だ。
相手のためというよりは、自分の満足のため。
依存傾向の強い人は世の中に大勢いる。
ほとんどの人については勝手にやってよ、と言うしかない。
しかし依存の対象が子どもになったとき、悲劇が起きる。
寂しいから、退屈だからと、子どもに依存してはならない。
一人遊びのできない大人は、はた迷惑である。
このところ身の回りにちょっとした出来事が起きる。
昨日は夫の中学の同級生の葬儀であった。
古いつきあいというのではないが、この地に流れ着いた同胞といったところで数年おつきあいがあった。
世間から逃れるように人家の少ない土地に家を建て、マイワールドを築こうとした人だ。
男の人が、本人には意味のあることだろうけれど、周囲から孤立した暮らしに妻や子を巻き込むことには、違和感を持つ。
夫も似たような思いを抱いて、岬の突端とかに家を建てたいと言っていた。
私がこれだけは譲れないと申し出たことがある。
人家のない場所は絶対ノー、集落の中の土地ならばいいけれどと。
仙人のような隠遁生活とかいうものに憧れを抱く男性は多い。
それは結構なことです。ただしお一人でどうぞ。
女は本能的に人のいない場所に住むことの危険を察知する。
私の主張は通った。
おかげでややこしい近所づきあいはあるが、社会から孤立することはない。
故人はその人らしい生き方をして、満足だったと思うが、近所に家もない陸の孤島に一人残された妻はどうするのだ。
幸い娘さんが近隣の町に住んでいる。
亡くなった夫のことを妻は生前から「仕切り屋でね」と言っていた。
故人は自分の死後のことまできちっと「仕切って」逝った、と娘さんに聞いた。
人は生きたように死んでいくのだなあ、と微笑ましくも思った。
私ははたしてどんな死に方をするのだろうか。
「私の財布を盗んだのはだれ?」なんて妄言は吐きたくないものだけれど。
というのもね、学んだつもりになっていることを、ふらっと忘れていることに気づいたから。
読み直したのは斉藤学著「家族依存症」。
このところ私をイライラさせている人がいるが、その人とのことが、この本を読んですっきりした。
「底の抜けたかめに水を注ぐがごとき」と、以前この日記に書いた人のことである。
私自身が、彼女の依存と支配による人間関係に巻き込まれそうになっていたようだ。
私の目には、彼女とお嬢さんがその関係から抜け出していないことが見えていた。
けれど、もちろん言わない。
その人と長時間話していると、私が同じような「場」に取り込まれていく。
もともとそうなりやすい傾向がある私である。
が、何かがそこから離れたいと訴えた。
何かとは私のなかから湧いてくる何か。
不快感と言ってもいいけれど、それは正しかったのではないかと今思う。
不快感とかの「感じ」に従ってもいいのではないか。
どこかで冷たく突き放すことをためらう私がいた。
彼女が私に依存している様子を、夫は微笑ましいと言い、なぜ私が苛立つのかわからなかった。
わからないだろうな。
彼はそういう相手が現れれば、身を乗り出していく人だ。
相手のためというよりは、自分の満足のため。
依存傾向の強い人は世の中に大勢いる。
ほとんどの人については勝手にやってよ、と言うしかない。
しかし依存の対象が子どもになったとき、悲劇が起きる。
寂しいから、退屈だからと、子どもに依存してはならない。
一人遊びのできない大人は、はた迷惑である。
このところ身の回りにちょっとした出来事が起きる。
昨日は夫の中学の同級生の葬儀であった。
古いつきあいというのではないが、この地に流れ着いた同胞といったところで数年おつきあいがあった。
世間から逃れるように人家の少ない土地に家を建て、マイワールドを築こうとした人だ。
男の人が、本人には意味のあることだろうけれど、周囲から孤立した暮らしに妻や子を巻き込むことには、違和感を持つ。
夫も似たような思いを抱いて、岬の突端とかに家を建てたいと言っていた。
私がこれだけは譲れないと申し出たことがある。
人家のない場所は絶対ノー、集落の中の土地ならばいいけれどと。
仙人のような隠遁生活とかいうものに憧れを抱く男性は多い。
それは結構なことです。ただしお一人でどうぞ。
女は本能的に人のいない場所に住むことの危険を察知する。
私の主張は通った。
おかげでややこしい近所づきあいはあるが、社会から孤立することはない。
故人はその人らしい生き方をして、満足だったと思うが、近所に家もない陸の孤島に一人残された妻はどうするのだ。
幸い娘さんが近隣の町に住んでいる。
亡くなった夫のことを妻は生前から「仕切り屋でね」と言っていた。
故人は自分の死後のことまできちっと「仕切って」逝った、と娘さんに聞いた。
人は生きたように死んでいくのだなあ、と微笑ましくも思った。
私ははたしてどんな死に方をするのだろうか。
「私の財布を盗んだのはだれ?」なんて妄言は吐きたくないものだけれど。





