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人格障害と「ほんとうのこと」 [2008年10月10日(Fri)]

「ほんとうのこと」を書いたばっかりに脅されているあるサイトがあります。今日は、そのサイトに掲載された最新のようつべ画像について書きます。
そのうちご本人も何か書かれるでしょうが、その前に。
ちなみに、「ある方」が「ある国」でカントクになるという発表が「本人のコメント」として日本公式サイトでなされたのは先月、9月23日のことでした。

さて、ようつべ映像の「封筒」には2003年1月14日との「消印」があります。そこには1月を意味する「JANEIRO」が「JAN」と略号で表記してあります。
一方中身の手紙には2003年6月14日と記されているのですが、それは「14 de junho de 2003」と、省略されることなくはっきり「ろ・く・が・つ」と本人がタイプしているわけです。
「JUN」「JAN」、確かに略すと紛らわしいですね(笑)。
でも、季節はまったく反対ですし、1月に消印が押された手紙の日付を打つのに、「ろ・く・が・つ」と間違えるバカがいるでしょうか。
…というわけで、そのようつべ投稿者は「腹を抱えて笑っている」のです。huahuahuahuah...

あれっ、そういえばこんなオマヌケなミス、どこかよそでも見たような記憶があります。
そうでした、できもしないのに「台風の進路を変えた」だの「大雨や地震が起こせる」だの「私が正しいと思ったら何が何でも正しいのっ!!」だの喚き立てている「インチキ祈祷師」とそっくりですね(笑)。
「嘘つき」はペテン師のはじまりです。あるいは「嘘つき」は人格障害の症状です。
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プレスリリース

ノーベル化学賞と「基礎研究」 [2008年10月 9日(Thu)]

一昨日に続き、昨日はクラゲから緑色蛍光たんぱく質を抽出した功績を認められて下村脩氏がノーベル化学賞を受賞された。
昨日書いた南部氏にしても今回の下村氏にしても、その研究は基礎的な理論研究であり、実際にそれが応用されたり実験によって理論の正しさが証明されたりするようになるまでには、何十年もの歳月がかかっている。
紙と鉛筆だけで、いや、モノを考えるアタマひとつあれば、そのような素晴らしい「発見」は可能である。基礎研究、理論研究とはそういうものだ。
そこにはなんと素晴らしい「夢とロマン」に満ちていることだろう。
「夢」といえば、この2~3日以内だったと思うが、「近所の海岸で、『お盆も過ぎたこの季節だとクラゲがきっといるだろうなー』と思いながら泳いでいると、確かに2~3個のクラゲが周囲を漂っている」という夢を見て、そのまま忘れていたのを今朝突然思い出した。
今回のノーベル化学賞受賞と関係あるのかないのか、ま、あるとしてもかなり「遠い」夢ではあるが(笑)。
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CMS

ノーベル物理学賞と「対象性の破れ」 [2008年10月 8日(Wed)]

ノーベル物理学賞を日本人三人が受賞したというニュースが飛び込んできた。
ただしその「評価」は「均等割り」ではなく、より先駆的な業績を成し遂げた南部陽一郎氏にその賞金の半分を、あとのお二方で残り半分を分けることになるらしい。
それほど「南部陽一郎」という物理学者の業績は「偉大」で、量子論の入門書にさえその名が必ずといっていいほど登場する。1970年に移民されたので、現在は米国籍。
南部氏の主要な業績は「弦理論」「素粒子」分野で、ニュースにも度々出てきた「対称性の自発的な破れ」は「宇宙創成の謎」に迫るものだった↓。

ヒッグス機構では、宇宙の初期の状態においてはすべての素粒子は自由に動きまわることができたが、自発的対称性の破れが生じて真空に相転移が起こり、真空にヒッグス場の真空期待値が生じることによって素粒子がそれにあたって抵抗を受けることになったとする。これが素粒子の動きにくさ、すなわち質量となる。(wikiより)

物質と反物質が遭遇すると「対消滅」するのだが、もし初期宇宙において「対称性の破れ」が生じなければ、「『対消滅』し損ねた物質」が「残る」ことによって星や銀河や生命が誕生することもなかったわけで、「対称性の破れ」というのは「この宇宙のそもそもの成り立ち」に関わる極めて重大な出来事であった。
そのような「対象性の破れ」によって誕生した「われわれ」は、その宇宙生成の謎そのものを「知りたい」と願うまでになった。「知ること」は「愛すること」だった。
「対象性の破れ」という「不完全さ」から生まれたもののひとつである生命も、やはりその根源的な「完全性」を求めつづけるが、不完全であるがゆえに失敗もしてしまう。
「悪」とはそのような「不完全さがもたらす失敗」のことであって、その「失敗」を繰り返したり乗り越えたりしながら、「根源的完全性」に少しでも近づこうとする「『意思』の継続」のことを「歴史」と呼ぶ。
「歴史」はそうやって失敗とその克服を繰り返しながら前に進んでいく。決して後戻りはしない。そのように「始めの時」(宇宙創成期)から法則として定められている。
だからこそわれわれは、「何も変えられはしないし、また変える必要もない」のだ。

ところで南部氏はアメリカにある「フェルミラボ」に関わっているが、ノストラダムスの予言で問題視されているのは「CERN」であり、CERNはその設立に重要な役割を果たしたルビア氏の強引さに「問題」があったわけで、その他の同様の施設が全て「悪」だというわけではないのは言うまでもない(笑)。
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あるがままに… [2008年10月 5日(Sun)]

4月20日に見た夢の一部が、ほぼ5ヶ月後の9月21日に現実のものとなったようなので、当該記事のコメント欄にニュースを貼っておいた。
ちなみに、これは『ほぼ日手帳』を夢日記として使うようになってからわかったことだが、その夢を見た4月20日もまた「満月」である。この手帳は最大の特徴である「1日1ページ」や月齢の他にも旧暦が表示されていたりして、「夢日記」としても非常に使い勝手がいい。もちろん来年も使うために既にロフトで購入済みである。安くはないが…。

ここに書いた「オリンピックセレモニー」の夢は、現実となるまでに「およそ1年半」、それ以外にも、「見た夢が現実となるまでの期間」は当日だったり1週間後だったりまちまちだし、そういえばこないだの「仏像盗難の夢」は現実となるまで(犯人が逮捕されるまで)なら5日だけど、実際に盗難が起きていたのは昨年で、事件が発覚したのが今年の7月28日だっていうんだから、夢自体の内容は「過去にまで遡って見ていた」というなんだかヤヤコシイ話になる…。
もちろん、その「盗ってきた仏像を部屋に並べて眺めて悦に入っている」夢のシーンで「実際に盗られた千手観音とそっくりの仏像」が出てきたからといって、べつに私はその観音様に「呼ばれたり」「選ばれたり」したわけではないことは言うまでもない。
これらはわりと最近のかなり現実との一致率が高かったごく一部の事例を取り上げたものに過ぎないが、「こういう体験」は私がこれまで生きてきた期間(わりと長い)に度々あったわけで、上に挙げたいくつかの例だけでも、「事前に日時等の特定はほぼ不可能であること」や、「べつに私がそれらの出来事の発生を回避すること(つまり未来の変更)を天にましますどなたかから嘱望されていて、それで予知夢を見せられているわけではないこと」ぐらいは誰にでもすぐに推察できるのではないだろうか。その人が何か変なにでも捉われているのでない限りは(笑)。
現実に起きた、「冠水した道路で立ち往生したバスの窓から脱出して助かった出来事」とそっくりな夢を5ヶ月前に見ていたからといって、私がその事件が起きるのを防ぐために、「アナタの運転しているかくかくしかじかのバスは何月何日にどこそこの高架下に差し掛かった時に大雨による増水で立ち往生しますから、その日はそこにいないようにしてください」などと言って防げるはずもない。「いつ、どこで、誰が」その夢とそっくりな未来に遭遇するか、それが現実のものとなるまではまるでわからないのだから。

だが、「夢に見たのとそっくりな現実」は確かに起きた。
そしてその夢を見たのがが5ヶ月前だったり1年半前だったり、あるいはもしかしてノストラダムスが450年前に見ていたりした「未来」だとしたら、その「未来」はいつの時点で確定していたのだろうか…という問いというか謎だけは、そのままごろんと残されているわけで、私にとってはその「問いというか謎」以外の、たとえば「神仏に招かれた」とか「私には未来をよりよい方へと変更する使命がある」とかいう(笑)発想の裏に潜む「醜いヒロイズム願望」の発する臭気がいささか鼻について仕方がない。なによりもまず、そのような「欲望」にとり憑かれてしまえば、「現実をありのままに見る目」が歪められてしまうであろうことが厭わしい。
そういう風に「祈り」だとか、その他オカルト的な手法でもって「現実を変えられる」と思いたがったり言いたがるのは、「そのことによって他者に必要とされる自分に自己の存在理由を見出したい」という「歪んだ欲望」がそうさせているのであって、それは到底「あるがままの現実があるがままに見えている」とは言いがたいからである。
「9月21日の大雨でバスが高架下で立ち往生し、窓から乗客らが脱出して助かった」という「出来事」が、少なくともその五ヶ月前の時点ですでに「決定していた未来」であり、また、それを夢などによって「事前に」見ていたとしても「別にその未来の変更を期待されてのことではない」というあたりが「ありのままの現実」だとしたら、曇りも歪みもない澄んだ目でその現実を見るならば、ただ淡々と「ありのままの現実」を「ありのまま」受け入れて、じたばた「変更」などと騒ぎ立てないほうがよっぽど人として「悟性の高いありよう」なのだと、私なら考える。
たとえば、これまで地球は生物の大量絶滅という危機を何度も乗り越えて、そのたびに新たな進化と発展を遂げてきた。7億年前の全球凍結で滅んだ微生物たちは、あるいは6500万年前に滅んだ恐竜たちは、彼らが「悪」だったからその「罪と罰」で滅びたのだろうか、もちろん「そうではなかった」はずだ。
だから同様にもし「人類」が滅びるとしても、あくまでもそれは地球という惑星の進化の一過程としてそうなるだけのことであって、別に人類の悪や積み重ねてきた罪に対する「罰」として滅びるわけでもなく、その先にまたさらなる進化と発展がやってくるだけなのではないか、そしてそれは遥か遠い昔、ひょっとすると「すべての始まりの時」にすでに決定されていることなのではないか…とそういう風に私は考えている。
もちろん、そこには「地球はおろか宇宙全体までをも支配しようとしている魔王」だとか、「ハチュウルイウチュウジンによる支配」だとか、そんなものが存在しないことは言うまでもない。
そういう風に「外部に『仮想敵』を作って脅威を感じさせ、愚かな信者たちを自分の傘下に置いて支配したがる」のは、「たちの悪いカルトや性格異常の教祖様たちの使う常套手段」ではあるが。
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システム構築

彼のように「語れる」人はいない、ということ。 [2008年10月 4日(Sat)]

少しばかり前のことになるが、車を運転している時に、ふと思いついたある月並みなフレーズを「英語にすると何と言うのだろう?」と考えてみたものの、さっぱり見当がつかなかった。
その「フレーズ」がどんなものであったか、今ではすっかり忘れてしまったものの、その時感じた「もうちょっと英語がんばんなきゃな」という「思い」だけはわりとしっかり残っていたらしく、最近購入したあるテキストを1日2ページづつコンスタントにこなしている。このままのペースでいくと、一巡するまでには約3ヵ月かかることになる。

ところで冒頭の「和文英訳の取っ掛かりのなさ、難しさ」については片岡義男氏の『英語で言うとはこういうこと』という書物において、じつに鮮やかに表現されているように思う。
この片岡氏、私はもうちょっと「評価されてもいい」作家(評論家)ではないかなと考えている。
氏は往年の「書店の文庫棚にずらりと並ぶ真っ赤な背表紙」的な怒涛の勢いはなくなったけれども、今でも時おりスマッシュヒットを放つ不思議な存在だ。
私はといえば、ブームが去った後、ちょうどその頃各地で増えつつあったブック○フに大量に出回った片岡氏の本を、見つけては片っ端から買っていく、ということをしていたし、そうやって集めた文庫および単行本は度重なる引越しに際しても捨てられることなく共に移動し続け、ちゃんと今も手元にある。
実際のところ、私が片岡氏と村上春樹氏とではどちらの影響を強く受けたかということでは、もしかすると片岡氏に軍配が上がるかもしれない。
氏はもともとたいそう「間口の広い」作家で、かつて爆発的ブームの頃に彼の本を手に取った若者たちにとって、その「入り口」は、オートバイだったり、サーフィンだったり、音楽だったり、American way of lifeそのものだったりした。
そういうわけで、十代の後半、私に片岡氏の本を薦めたのもやはり「意外な人物」だった。
「意外な」というのは2つの意味でそうなのだが、まずひとつめは、その人物がおよそ本などとは無縁に思える人間(笑)だったこと、そしてふたつめは彼女の「現在の地位」が当時は想像もつかなかった(笑)、という2点においてである。
当時から本の虫だった私は、その日彼女から借りた、すでにブームとなりつつあった片岡氏の文庫本を、内心ではいささかバカにしながら「あっという間に」読み終えたように思う。
その時はまだ、『10セントの意識革命』という優れた評論を書いた片岡氏と、赤い背表紙の「すぐに読み終えることができる文庫本」を量産している片岡氏が同一人物であるとは気づいていなかった。
その両者が一致した時点で、私はおそらく「片岡義男に首ったけ(笑)」になり、その「世界観」にどっぷりハマっていったのだろう。
「世界観」と書いたが、これはオオゲサに言っているのではなく、それがまさしく「世界観そのもの」だからだ。
たとえば台風の時に海辺に押し寄せる大波について、これほどくっきりとイメージを喚起させる作家は他にいない。
同様に、オートバイでの自由な旅について、サーフィンが地球の大自然と繋がっていることについて、「アメリカという国」について、英語という「言語」について、男と女の「粋(いき)」について、文房具や写真についてetc...彼のように「語れる」作家は他に存在しないのだ。
その意味で「稀有」な作家のひとりであると、私は高く評価している。
SNS

はたして「何か」が変わったのだろうか? [2008年10月 2日(Thu)]

ネットで「私のご祈祷によってこないだの台風の被害だか進路だか規模だかを『変える』ことができた」とぬけぬけとのたまう似非祈祷師を見かけた。
愚の骨頂である。
なによりも台風は台湾で大きな被害(死者も)を出したわけだし、台風がそのような進路をとったことは偏西風の位置などによって、あらかじめ科学的に予想可能なものだった。
これと同様の話が以前のこの記事に書いてある↓。
…もちろん実際にコロンブスがその「偉大なる呪いのチカラ」で月食を引き起こしたわけではないのは言うまでもない。ただコロンブスに天文学的な科学知識があったから、それを利用してさも「禍々しき出来事を引き起こす呪力があるかのように偽ってみせた」だけだ。

だから台風が自分の頭上を「たまたま」通過しなかったからといって、『地域限定の(これがそもそもおかしいのだが…つまり「ヨーロッパで行われた科学実験を失敗させることができる」のなら、台湾で大きな被害や死者を出さないように「ご祈祷」することだってできるはずである。)』ご祈祷とやらが効いたなどととはいえないはずだし、およそマトモな「精神構造」をしている人なら(あるいはマトモな倫理観の持ち主であるなら)、そのような「ウソ」は吐けないしまた吐こうともしないはずだ。
…であるにも関わらず、もしそのような「因果関係の成立しない」前提から「ジブンのご祈祷が効いた」という結果を導き出してくる人物がいるとしたら、その人物は「ウソツキ」であるか「誇大(あるいは関係)妄想狂」であるか、どちらにせよ何らかの「精神病理」を抱えている人物であると、これは論理的に因果関係が成立する推論としてそういえる。
その人物によれば、「台風の進路だか被害だか規模だかがジブンのご祈祷で変えられた→ひとりの人間にはそれだけのチカラがあることを証明した」ことになるらしいのだが、前段の部分が「証明不可能」である以上、後段についてもまた同様に「証明不可能」のままになっている。つまり「自己申告と違って実際には何も証明されていない」。
それにここで何度も書いているように、「もしご祈祷とやらで何かが変更できたとしても、その変更さえ始めの時からあらかじめ『決まっていたこと』なのではないのか?」という問いかけに対する解答にはまるでなっていない。
同様の疑問はこの記事において、「LHC実験の(2度の)失敗」の予言として今から450年前、少なくとも20年前には既に「決まっていた」のではないか、として提示してある。
さて、この実験失敗は「誰かのご祈祷」が効いた結果未来が変更されたものなのか、それとも、少なくとも20年、ひょっとして450年前、もしかして「始まりの時」から既に決まっていたことなのか…。
これらのことは「変えられもしないし、変える必要もまったくない」のだと、これまでもここで言ってきたわけだが、それにも関わらず「変えられる、変えるチカラがある」ことを「証明済み」だと偽ってまで主張しなければならない、その心の裏側に潜んでいるのは、およそ健全とは言いがたい「精神病理そのものなのだと、まだ自分では気がついていないらしい。
システム開発

仏像盗難と後出しの夢 [2008年10月 1日(Wed)]

9月25日の夢=どこかの地方の公民館みたいなところで仏像展をやっていると知り、そこの展示品を盗みに行く。手押し車を使って(?)まんまと盗みに成功する「私」。金の仏像や石の五輪塔などなど。しかし展覧会の終わりが近づき、盗品を返そうと思うが、その方法がわからずアセっている…というところで目が覚めた。

↑この夢を書かなかったのは、その前日にスカパーでやっていた「博物館のエジプト遺物をニセモノとすりかえる」という内容のキャサリンシリーズの2hサスペンス(笑)をたまたま見ていたので、もしかしてそれの影響を受けたのかも…と考えたからだった。
しかし今朝のニュースでやっていた下記事件↓との関連性がそこはかとなく窺えるので、急遽後出し(笑)した次第である。
それにしても「ホンモノとのすり替え」というあたり、件の「2hサスペンス」も、そのシンクロぶりからしてなかなか侮りがたい(笑)。

『静岡・仏像盗難:容疑で古物商を逮捕--県警』
 静岡県内で相次いでいた仏像盗難事件で、県警は30日、藤枝市本町1の古物商、増井延巳容疑者(55)を窃盗容疑で逮捕した。
 調べでは、増井容疑者は、昨年8月7日から盗難が発覚した今年7月28日までの間に、島田市尾川の法蔵寺=石橋晋哉住職(70)=観音堂から、市指定文化財の千手観音像(300万円相当、高さ101センチ、幅27・4センチ)を盗んだ疑い。県警によると、今年に入って県内で計20件30体の仏像盗難が発覚。うち4件4体はすり替えられていた。(毎日新聞 2008年10月1日 東京朝刊)
システム開発

噴煙のビジョンと地球の歴史 [2008年09月29日(Mon)]

あ゛ーーー忙し、忙し。とりあえず、昨夜眠る直前に見えたビジョン↓。
巨大な火山の噴火口から噴煙が上がっている。

スカパーのヒストリーchで『地球大進化〜46億年・人類への旅』(2004年のNHKスペシャル)が始まっている。それに先立って別に『地球の誕生』という2時間ものの科学ドキュメンタリーも放送されていて、そちらも大変面白かった。
…というわけで地球という惑星および生命の誕生と現在までの46億年にわたる歴史を目下のところ大変興味深くオベンキョウ中。そのオハナシの中から。

7億年前の「全球凍結」では地球の平均気温が-50℃になり、千メートルを越す氷に地球全体がびっしりと覆われ、全生物の95%が絶滅したのだという。
だが、分厚い氷の下で始まった大規模な地殻変動と火山活動によって「超氷河期」は終わりを告げ、その直後の時代に「生命」は飛躍的な進化を遂げた…。


ところで、「メタン」は強力な温暖化要因となるが、それがシベリアで「溶け出している」今現在、地球は明らかに「氷河期」ではなく「温暖化」のほうへ向かっており、それが世界各地で台風の巨大化等を招いているわけだな。
システム構築

予言されていた「実験の失敗」とホンモノの持つ「深み」 [2008年09月25日(Thu)]

今日はあちこちに出かける合間に書いているので細切れになってしまったが、LHC実験の失敗を受けてこちらの記事のコメント欄にいくつか追加してある。
↓以下にその一部を引用しておく。

19日に発生したLHC実験失敗のニュースを受けて、「やはり『予言どおりに』実験は失敗したのか」という、ある種「感慨」に近い思いに捉われていたのだった。
ドロレスがこれを公開したのが1980年代後半で、もし本当にノストラダムスの四行詩にまで予知が遡れるとしたら、450年以上前に既にこの実験の失敗が「決まっていた」ことになるからだ。
私自身の現時点での考えでは、もしかするとこれは「一回目の」失敗で、運用が再開される2009年以降にWWIIIの終局の時期と合せて(その頃に大型の戦略核が使われるとも別に予言されている)「二回目の失敗」が起きるのではないか、と予想している。
少なくとも20年前、あるいは450年前、いやもっと以前から、このような未来は「起きるべくして起きること」としてすでに「決まっていた」のであって、誰もその「変更」に成功などしていなかった、という恐るべき真実がそこには顔をのぞかせている。
「起きるべくして起きること」をわざわざ祈りの力とやらで変える必要などないし、またできもしないのだという「恐ろしくも素晴らしい真実」が、そこにはある

Posted by:K(管理人) at 2008年09月25日(Thu) 09:06


ここのところずっと「『いつの時点で未来は決まっているのか』を考えている」と書いてきた。
今回の場合、ノストラダムスまで遡れば、これは既に「450年以上前に」決定済みだったことになるわけで、その間さながらお釈迦様の掌の上の孫悟空のように、自分では未来を変えられたつもりでも、その実やはり「予言されたとおりに事態は展開」してしまったという、「ホンモノの予言」が持つとんでもない「深み」に触れてちょっとぞっとしたというか、もっと正確に言うと「畏敬の念」に打たれてしまったというわけだ。
こういうことはドロレスのノストラダムス解釈ではこれまでも度々あったことだ。しかも「例の伯剌西爾の人」みたいな「マスコミに発表された誤情報がそのまま後出し証拠として捏造される」なんてチンケなハナシではなしに、「この実験の失敗が隠蔽されるせいで、この件はずいぶん後々まで人々によって『自然災害』と考えられる」、とまで書かれている↓。

ある科学研究開発集団がいて、北海付近である実験をするんだけど、その実験が「間違って」「偶発的に」アース・フィールドに裂け目を開けてしまい、その結果隕石の嵐や火山噴火や地震や長雨が発生することになるらしい。なぜ「間違って」「偶発的に」かというと、もともとそのエネルギーのコントロール方法や引き起こされる結果についてよく解らないままに実験が行なわれてしまうから。そしてそれは科学者達によってその裂け目が塞がれるまで続く。
この実験で使われているのは宇宙空間から放出されるエネルギー・ビームみたいなものだそうです。
これは極秘政府プロジェクトとして進められている研究であるため、この事故は後々まで「自然災害」として歴史書なんかにも書かれるらしいけど、でも本当はある科学者集団によって引き起こされた「人為的事故」だよ、というわけです。これが「1回目の」失敗。


未来予想(予知ではない)については「巨大な円錐形のトンネル」を想定してもらうとわかりやすいのだが、だんだん時が近づいてくるにつれて「『未来確定』のトンネル幅」が狭まってくる。
だからLHC実験の詳細がわかり始めた今年の初め頃まではこれはHAARPのことかも知れないと考えていた。だが今となってはノストラダムスが言っていた「二回の実験失敗」についてはこれ以外考えられない。しかも今回きっちり実験は「失敗」したわけだし。
おそらく今回の「実験失敗」は二回のうちの最初のほうだろう。なぜなら二回目の失敗は↓、

ある科学研究集団が引き起こす「2回目の」失敗は、WWIIIの終わり頃に起きます。そしてこの失敗によって科学研究集団は崩壊し、戦争も終盤を迎えることになります。結局のところ彼らは、その科学技術をコントロールするノウハウを見つけることができなかったのです。
このカタストロフの原因は、粗雑な調整による不調な機械が、エネルギーの渦を制御不能に陥らせてしまったことによります。 関わっている国は英国と北ヨーロッパです。
このことはまだ先に起こる出来事ですが、その研究の第一段階は(1990年代に)すでに始まっており[※注]、その出来事の幾つかはわれわれが生きている間に起きるらしいのですが、政府はそれを極秘裏に処理してしまい、真相が広く一般に知られることはないそうです。

[※注=CERNの設立は1954年。LHC実験の推進者であるイタリアのノーベル賞物理学者カルロ・ルビアがCERNの要職にあったのは1989年から1993年であるが、初の陽子=反陽子コライダーテストはそれよりも前の1982年にルビアの強力な後押しによって実現した。
実はこのような経緯がこないだちらっと挙げたティモシー・フェリス著『銀河の時代』下巻にわりと詳しく記されている。]
Posted by:K(管理人) at 2008年09月25日(Thu) 07:19


とあるように、WWIIIはその頃終盤にさしかかっており、その終盤の局面で大型核が使用されるとの別の予言があって、それがまだ使用されていないことから今回のは「一回目の失敗」であると推測できるのだ。
蟹座の影響を強く受けた大統領が世界を「戦争」へと駆り立てていき、次のロバ党の大統領が「疲弊した経済の建て直し」に取り組んでいる頃がおそらくその「終盤」で、そこで急速に台頭してくる反キリストが「世界で始めて全アジアを征服した男」となり、その過酷な統治は土星が星座を一巡りする期間よりも少し短い(つまり30年近く!!)とされる…。
はてさて、実験再開は来年以降にまで延期されたらしいが、「二回目の実験失敗」はちょうど「その頃」と重なりそうな気配が、ますます濃厚になってきたようだ。
CMS

「自分の食べるものは自分で作る」ということ [2008年09月24日(Wed)]

今週はずっと忙しい日々が続いている。
「稲刈り」はその中でも最大のイベントで、何よりも肉体的にクタクタになってしまった。そして、まるでマラソン大会にでも出場したかのように、全身の筋肉が悲鳴をあげる日が今後数日間は続くのである。

最近やらたらと喧しい「食の安全」を本当に確保しようと思うのなら、ブラックボックスとなる「中間業者」をなるべく介入させないのがよく、そのために最も有効な介入の排除方法とは、「自分の食べるものは自分で作る」、つまり「自給自足」ということになる。
米作りが如何に大変な重労働であるか、一度ぐらいは「1年かけて」体験されることを、とくに「若い人々」にぜひオススメしたい。地方に農地はいくらでも余っているのだし。
米や野菜作りや、魚や鳥を自分で捌く(豚や牛の屠殺解体は無理だろうから)こと、味噌や豆腐を作る…といった程度の、「自分で食べるものを自分で作る」体験を一度もすることなしに「食の安全」について語るのはそもそも不可能だし、そしてそれが不可能だということは、すなわち「食の安全(あるいは危険)」を自分以外の「見知らぬ誰か(不特定多数)というブラックボックス」に委ねる=「殺生与奪権を譲り渡してしまう」ことに他ならないのだ。
今現在あちこちで噴出している「食の安全性に関する問題」は、「せめて一度ぐらいは『自分が食べるものを自分で作る』」という体験を経た上でないと真っ当な判断は下せないだろうし、人々がそのような「真っ当な判断」を下せるようになるためには抜本的な「改革」も必要となるだろう。
その「改革」でいちばん重要なのは、政治や行政など「上から」決められる「制度」などではなく、「自分の食べるものは極力自分で作ろう」という大多数の人々の「意識改革」のほうなのだ。

何事も人任せにせず、自分でやってみてから言いましょうよ。
アナタはほぼ毎日口にしている「おコメ」を、自分の手で作ったことがありますか?
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