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<title>平成山人の評論隨筆</title>
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<description>世間世俗を觀望しつゝ、隨筆もどきに時代遲れの所感を綴る……覆面作家・森目漱外氏の青春小説『繩浦物語』はカテゴリアーカイブから……</description>
<dc:creator>bougakurou</dc:creator>
<dc:date>2006-06-13T08:00:59+09:00</dc:date>
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<title>自己紹介</title>
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<description>從來、左の如き簡略な自己紹介だけで失禮して來ましたが、この度、思ひ立つて新たに自己紹介の一文を掲げました。御興味あらば御一讀下さい。なほ、本自己紹介文も折々は更新する積りですが、いつも通りの新しい記事は、次項「繩浦物語への御招待」の次に掲示されますので、御面倒ですが畫面をちとスクロールしてお讀み下さい。と云ふ譯で、改めまして平成山人。男、元一等空佐、雙子座、Ｏ型、妻子・孫有り。生れた場所は瀬戸内海の軍港都市、時は眞珠灣攻撃の半年前。生家は帝國海軍に衣料・文具等を納めたりもする、ちよつとした個人商店。かなり羽振も良かつたやうだが、戰災で綺麗に燒出され、播州のとある港町に流れて來て、その邊りに定著、高校卒業までを過す。「六十年安保」の年、防大に進み、「東京オリンピック」の年に卒業。航空自衞官としての經歴を情報將校として歩み始め、以來、ほゞ一貫してその道に從事、米國の同業者らからは「キャリヤースパイ」と稱される。その間、最も印象に殘つてゐる「實戰經驗」は、昭和五十一年の「ＭＩＧ－２５事件」ないし「ベレンコ中尉亡命事件」當時、未だ若手ではあつたが、寧ろそれゆゑに、「キャリヤースパイ」としての本領を聊か發揮した積り。尤もこの話、詳しくは「墓の中」にて。また「スパイのお仕事」を離れて最も愉しかつたのは、英國エリザベス女王の「シルバージュビリー」即ち在位二十五周年の年に、時の航空幕僚長に隨行して、その英國を含む歐州三ヵ國を公式訪問した事。貴族社會の傳統が色濃く遺る國々の、軍の將校が貴族として遇される文化の一端に觸れて。然り而して平成九年、定年退官の後は、武藏の野邊の、西窓に遠富士を眺める邊りに住ひして、納戸兼用の書齋「望嶽樓」、またの名を「北面窟」に籠りゐて、徒然にブロ愚など書き綴る。その性、臍曲りにして時代遲れ、兎角に屁理窟を好み、道義と傳統に憧れ、及ばずながら自力自主自尊の強者を氣取り、それゆゑ不合理や、不道徳や、闇雲な新しがりや、舶來信仰や、別けても他力本願・無責任の能天氣な言論を蛇蝎の如くに嫌ひ、それと見るや反射的に斬つて掛る。但し、往々我が身の事は棚に上げて。今一つの拘りは日本語の傳統表記。親しい友人らからは、「お前のパソコンは江戸時代製か」とか、「平賀源内が作つたワープロソフトを使つてゐるのか」なんぞと突つ込みも入るが、それでも我がブロ愚、謂はゆる「人氣ブログ」には程遠からうものゝ、我が身には過ぎたる程のアクセスがあるのは、嬉しくも心強い限り。偶々本サイトに立ち寄られた諸兄姉も、折あらば再度の、いや、繰り返しの御來訪あらん事を！山人敬白</description>
<dc:creator>bougakurou</dc:creator>
<dc:date>2036-06-10T00:00:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hamoblo.com/bougakurou/index.php?type=1&amp;entryId=471">
<title> 『繩浦物語』 への御招待</title>
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<description>覆面作家・森目嗽外先生の青春小説『繩浦物語』を、改めて讀み直したいが檢索が面倒だ、何とかせよ、との聲があり、何とかして見ました。連載の第一囘目へはこゝからお入り下さい。また第廿一囘目はこゝから、第卅七囘へはこゝからです。山人敬白</description>
<dc:creator>bougakurou</dc:creator>
<dc:date>2035-06-10T00:00:00+09:00</dc:date>
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<title>陛下の御萬歳を</title>
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<description>四日のテレビ朝日「やじうまプラス」韓國の何とか云ふ人氣歌手だかグループだかの演奏活動を、韓國政府が制限したとか、日台合作の何とか云ふ映畫の上映を、中國政府が禁止したとか云ふ話題を採上げて、何とか云ふ司會者だかコメンテーターだかが、如何にも輕蔑し切つたやうな口調で吐き捨てゝゐた。曰く、「さう云ふ文化の問題を差し止めようなんて、前近代的ですよねえ」とか何とか。だが、よく云ふよ、昨日までは慥か、田母神論文を「差し止めよう」として、理も非も忘れて躍起になつてゐた癖に。その「やじうまプラス」、續いて今上陛下の御健康問題に觸れたは好いが、例によつて敬語拔きで、「公務が云々」、「公務を云々」なんぞと云ひ散らす。餘りの聞き苦しさに耐へ難ねて、チャンネルを切り換へたら、折からフジテレビの「とくダネ！」でも同じ話題を採上げてゐて、しかし司會の小倉さんも、アナウンサーや解説者らも、きちんと「御公務」と云つてゐた。成程、田母神發言は「文化の問題」ではないから、テレビ朝日が「差し止めよう」としても、それは「前近代的」ではないのかも知れぬ。けれども、皇室に對する適性な敬語の使用は、正に我國固有の「文化の問題」であつて、それを一テレビ局如きが「差し止めようなんて」、正に言語道斷ではないか。それともテレビ朝日に云はせれば、敬語の使用もまた「前近代的」な蕃風ないし陋習であつて、當然に「差し止め」で然るべきである、とでも云ふ事になるのだらうか。まあ、「やじうま」如きを相手に目に角立てゝも、所詮は徒勞と知らぬ譯でもないのだが。ともあれ臣山人、陛下の御萬歳を祈る心や切。</description>
<dc:creator>bougakurou</dc:creator>
<dc:date>2008-12-04T09:14:36+09:00</dc:date>
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<title>岡本論文は檢證に耐へるか</title>
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<description>外交評論家の岡本行夫さんは三十日附け産經新聞の第一面に「人界觀望樓」なるコラムを寄せ、件の田母神論文は「檢證に耐へられない論據で綴られ」てをり、隨つてその主張には「賛成できない」とした上で、かう述べてゐる。曰く、日本の對中感情は良くない。中國にケチをつけるのが流行になつた。村山談話を修正しろといふ議論も増えた。「私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない」と。過去の過ちを認めた途端に、今の日本に誇りを持てなくなるのか、云々。成程、一應は尤もな言ひ分のやうにも聞える。けれども、岡本さんはどうやら氣附いてゐないやうだが、その言ひ分、我國の過去に「過ち」があつたと云ふ事を、所與の事實と認めた上でなければ成立しない。即ち岡本さんは、先づは謂はゆる「東京裁判」が認定し、やがて「村山談話」や「河野談話」が追認した我國過去の「誤ち」を「檢證に耐へ」る「論據」と認め、その認識に基いて、田母神論文への反論を綴つてゐるのである。ならば是非とも聞かせて欲しい、それらの「論據」が「檢證に耐へられ」る所以を。</description>
<dc:creator>bougakurou</dc:creator>
<dc:date>2008-11-30T09:23:58+09:00</dc:date>
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<title>本氣無き惡口雜言</title>
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<description>「官僚は惡、ゴミだ」との大見出しが、二十五日附け産經新聞の第一面トップを飾つてゐた。件の元厚生次官宅連續襲撃犯の言葉ださうである。が、何の事はない、この言葉、テレビのワイドショウなんぞに顏を竝べる「識者」諸公が、常日頃、まるで口癖のやうに、ないしは得意げに、或いは樂しさうに、兎も角、輕々と吐き散らしてゐる決り文句その儘ではないか。それら「識者」諸公と、件の犯人との違ひを敢て擧げるならば、後者が少くとも本氣で官僚を憎んでゐたのに對し、前者の「惡口雜言」は所詮、どう見ても口先だけのものに過ぎない、と云ふ事くらゐのものであらう。無論、件の犯人の「本氣」は甚だしい勘違ひに基いてゐるのであり、聊かも評價の餘地は無い。けれども、その凄じい勘違ひが、本氣ならざる「識者」諸公の輕々しい「惡口雜言」から生れた、少くともその「助産」を受けて生じた事に、先づ間違ひはないのである。その「罪」を意識してか、せずしてか、その「似非助産婦」連中、いやさ「識者」諸公、今日も今日とてお馴染の輕々しい「惡口雜言」を、誰れ彼れ構はずに吐き掛け續けてゐる。世は正に泰平である。呵々。</description>
<dc:creator>bougakurou</dc:creator>
<dc:date>2008-11-25T10:37:41+09:00</dc:date>
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<title>エゴ無き不氣味</title>
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<description>戰後、間も無くの頃、我國では物價高騰を嘆く以前に、商品そのものが缺乏してゐた譯だが、そんな極貧の時代の再來を、ノンフィクション作家の上坂冬子さんは「待望してゐる」さうである。當時は誰も、何かに附け「我慢して耐へるしか」なかつたが、さうして「耐乏精神」を身に附け、「耐へる姿勢」を固めた國民には、「善惡の基本を馬鹿々々しいほど單純に教育して」充分に效果があつた。それが證據に、あの頃の我が社會には、「親が子を殺し、子が親を殺したニュースにさほど驚かない」なんぞと云ふ事は無かつたではないか。だから、もう一度、そんな極貧の時代が是非とも再來して欲しい……。と云ふのが、要するに上坂さんの言ひ分なのだ。成程、そのお氣持、分らぬでもない。上坂さんより少々若い世代の私ですら、最近の我が社會の爲體に苛ついた折などには、ふとそんな思ひに驅られる事が慥かにあるし、そんな氣持をブログに綴つた記憶さへある。それにまた、我々日本人が「ノーブル」に振舞へるのは、所詮は「ポーブル」な時だけだ、詰り「衣食足りて禮節を知る」なんぞと云ふのは、我が國民に關する限り全くの嘘なのだ、と喝破した先人もある。だから上坂さんのお氣持も、全く分らぬではないのだが、そこはそれ、我が曲つた臍の事、さうまで手放しで、ないし何の留保もなく、極貧時代の再來を待望されると、ちよつと待てよ、と云ひたくもなるのである。抑も上坂さんの「待望」する極貧の時代が、假りに再來したとして、その時、御自身の生活は一體どうなつてゐると、上坂さんは想定してをられるのだらうか。少くともこの私は、上坂さんの謂はゆる「戰後の極貧状態」から拔け出すべく、營々と働いて、漸く今の生活を得たのである。さうして一應は何不自由なき「老後」を迎へ、「天から赦された殘躯」を、細やかながらも樂しめてゐるのである。それを何が哀しくて、高が赤の他人の親殺しや子殺しを止めんが爲にとて、元の杢阿彌、戰後の極貧期の生活に逆戻りせねばならぬのか。成程、日本人が再び「ノーブル」になる爲に、他策無きとならば、社會が「ポーブル」になる事を願ふのも、まあ已むを得ぬ事ではあらう。けれども我が生活だけは、今の儘にして置いて欲しいのである。そんな「ポーブル社會」の埒外、と云ふ事にして置いて欲しいのである……。とまで云へば、餘りにもエゴイステイックに響くかも知れぬし、また暴言の譏りを受けるかも知れぬ。けれども、上坂さんの文章の何處を讀んでも、さう云ふエゴイズムの缺片も感ぜられず、唯々昨今の世相を憂へ、その改善の爲にとて、極貧の耐乏生活時代への囘歸だけが願はれてゐるのが、私には寧ろ氣味惡く思はれるのである。人間とは果して、そこまで愛他的になれるものなのだらうかと、我が曲つた臍は、ないし低劣にして利己的なる精神は、疑ひを抱いて已まないのである。</description>
<dc:creator>bougakurou</dc:creator>
<dc:date>2008-11-23T11:26:43+09:00</dc:date>
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<title>今は辯護の智慧なし</title>
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<description>たまさか警察官が不祥事や非行をやらかすと、例へば警察廳ＯＢの大物政治家なんぞが辯護に乘り出して、敢て途轍もない非論理を振り翳したり、非常識とも思へる程の我田引水をやつたり迄して、強引に後輩を庇つてみせると云ふ事がある。ところが自衞官には、そんな頼もしいＯＢや身方はをらず、それどころか、取敢へず非行を疑はれた自衞官に對しては、現在の上司たる防衞大臣や、最高指揮官たる總理大臣迄が、未だ「有罪」の確定してゐない段階から、率先して非難糾彈に任ずるのが常である。それでは餘りにも不公平だし、理不盡でもあるし、何よりも自衞官らが哀れだから、せめて拙・平成山人、及ばずながら後輩自衞官らの爲に論ずるべきは論じようと、さう思ひ立つたのが、このブログを始める動機の一つでもあつた。けれども、幸か不幸か平成山人、智力も性格も某警察廳ＯＢらとは全く異つてゐるらしく、殊に自ら非論理を振り翳したり、強引に我田引水を押し通したりする程の「膽力」は持ち合せてゐない。そこでせめてもの事、我が後輩らの「不祥事」を指彈するマスコミ言論人らが、恥かしげもなく犯す非論理や、論旨の矛楯や、或いは歿論理の極附けや紋切型等を見附け出し、か細い聲でながら逆指彈して、以て間接的にではあれ、後輩らの掩護に任ずる事に努めて來た。件の田母神事件に就いても、無論その例外ではなかつたのだが、何たる事、それが漸く一段落するかしない間に、今度は某將補によるセクハラ事件ださうである。かう云ふ場合、某警察廳ＯＢならば、一體、如何なる「膽力」を揮つて後輩を辯護するのだらう？取敢へず拙・山人には、少くとも今の段階では、如何なる屁理窟を捏ねる智慧も湧いて來ないのだが……。</description>
<dc:creator>bougakurou</dc:creator>
<dc:date>2008-11-15T10:13:19+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hamoblo.com/bougakurou/index.php?type=1&amp;entryId=685">
<title>所詮やじうま</title>
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<description>十一日のテレビ朝日「やじうまプラス」なる番組にコメンテーターとして出演してゐた某氏、眞面目に觀てゐた譯ではないから、名前も肩書も定かでないし、顏すら憶えてゐないのだが、兎も角、こんな莫迦を晒してゐた。主題は例の田母神論文。その全文が同日附けの産經新聞に、アパグループの意見廣告として掲載された事を取り上げて、大意、こんな事を喋つてゐたのだ。曰く、「それを讀んでみたけれど、要するに聞き齧りの知識を寄せ集めたものに過ぎず、とても論文なんぞと云へるものではなかつた」云々。詰りはこの御仁、今朝迄は田母神論文の全文を讀んではをらず、「要するに聞き齧りの知識を寄せ集めた」だけで批判ないし非難の論陣を張つてゐた、隨つてその發言は「とても論評なんぞと云へるものではな」かつた事を、やんぬるかな、自ら暴露してゐたのである。「語るに落つる」とは正に此の事であらう。尤も、自らを「やじうま」と認めた連中のやつてゐる事、まともな論評なんぞ、端から期待する方が寧ろ「莫迦」なのかも知れないが。呵々。</description>
<dc:creator>bougakurou</dc:creator>
<dc:date>2008-11-11T11:13:31+09:00</dc:date>
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<title>櫻田淳さんの矛楯</title>
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<description>東洋學園大學准教授の櫻田淳さんは、七日附け産經新聞のコラム「正論」に「空幕長論文の正しさ・つたなさ」なる一文を寄せてゐるが、色々と突つ込みたくなる處の多い言擧げである。先づ、同さんは今囘の一件から、「正しい議論」と「賢明な議論」とが「自づから別種のものである事を再確認」したと云ふ。例へば田母神論文が「集團的自衛權行使の許容、武器使用基準の緩和、攻撃的兵器の保持」を「日本の安全保障政策上、必要である」と主張してゐるのは、「正しさ」を「含ん」でゐるとも云へようが、それに附け足して己の歴史認識まで開陳したのは、「航空軍事組織の総帥としての職務とは全く關係のない」行爲であつて、「抑も貴官がそれを語つて何の意味があるのか」と、櫻田さんは「反問せざるを得ない」のださうである。けれども、假りに櫻田さんの云ふ通り、田母神空幕長のやつた事がその「職務と全く關係のないもの」であつたのならば、防衞省がそれを理由に同空幕長を解任したのは、途轍もない非理に當る筈だが、櫻田さんは意識してか、せずしてか、その事には全く觸れてをらず、無論、批判もしてゐない。尤も「職務と關係のない」行爲には、例へば家族と共に朝餉を共にしたり、偶の餘暇にテニスに興じたりする事も含まれる一方、飮酒運轉や萬引や癡漢行爲等もあり得る道理だから、成程、それならば「解任」は愚か、懲戒免職や刑事告訴の對象ともなり得よう。だが今囘、同空幕長がやつたのは、そんな非行の類ひでは斷じてない。一民間組織によるものとは云へ、公然、募集された懸賞に應募して、堂々最優秀賞を獲得したのである。しかも、その行爲を櫻田さんは、空幕長の「職務とは全く關係のないもの」と斷じてゐるのである。であるならば、それを理由に空幕長を解任した防衞省の遣り方は、當然に批判ないし糾彈されて然るべきではないのか。それとも、そんな「反政府」に類するやうな意見を開陳するのは、大學准教授にして全國紙コラムの書き手たる櫻田さんにとつて、「職務とは全く關係のない」事であり、また「それを語つて何の意味」も無く、詰りは「賢明な」行爲ではない、とでも云ふ事になるのだらうか。次いで櫻田さんは、田母神論文が招いた騷動が、「軍事を語る人々＝軍國主義者・右翼」であると云ふ類ひの「ステレオタイプを補強するものになるかも知れない」との懸念も表明してゐるのだが、田母神論文の一體、何處から「軍國主義」や「右翼」の匂ひが嗅ぎ取れると云ふのだらう。少くとも私には、そんな匂ひは全く嗅ぎ取れないのだが、にも拘らず、それを嗅ぎ取る讀者が假りにゐたとすれば、それは取りも直さず、田母神空幕長の謂はゆる「マインドコントロール」された人々に他なるまい。また櫻田さんは、自衞隊が過去十數年、「アジア近隣諸國の疑念の眼差しに晒され」て來たと云ひ、隨つて「國際貢獻」を軸とした海外での活動に際して留意されたのも、「自衛隊は往時の日本の軍隊とは違ふ」といふ事を内外に説明する事であつた、と述べてゐるのだが、その見解にもまた「マインドコントロール」の效果が色濃く滲んで見える。少くとも私が現役時代に、直に觸れ合へた延べ三十數ケ國の軍人らに關する限り、その自衞隊に對する「眼差し」は「訓練精到、規律嚴正、勇猛果敢なる舊日本軍の後裔」に對するそれであり、取別け「アジア近隣諸國」軍人らのそれには、無論、中國を除いてのものだが、明かに尊敬と好感とが交へられてゐた。また私の朧ろな記憶によれば、國際貢獻活動等を通じて自衞隊が勝ち取つた世界からの高い評價にも、「流石は舊日本軍の後裔だ」との「納得」が含まれてゐる旨、慥かカンボジアＰＫＯ等に絡んで、一部のメデイアにより報道された事がある筈だ。と、事程左樣に櫻田さんの今囘の論には、「賢明」かどうかは扨措き、「正し」くないと思はれる點が多い。最後に到つても同さんは、此度の田母神空幕長の振舞ひを「本分を辨へない」ものと難じてゐるのだが、抑も「職務とは全く關係のない」筈の行爲を評するに、「本分」を云々するなんぞと云ふのも矛楯だし、無論、「正し」くもなければ「賢明」でもあるまい。</description>
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<dc:date>2008-11-07T13:42:52+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hamoblo.com/bougakurou/index.php?type=1&amp;entryId=683">
<title>難・田母神論文非難論</title>
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<description>田母神空幕長の論文「日本は侵掠國家であつたのか」を批判、いやさ、非難して、幾つかのテレビ番組から我が耳に聞えて來た浮薄極はまる聲々の中に、こんなのがあつた。尤も、抑もが我が習慣たる「切れ切れ視聽」の果てに耳に殘つたものに過ぎないから、どの批判をどの番組の誰が云つたのかは、端から氣にも留めてゐなかつたし、當然ながら記憶にも殘つてゐない。ともあれ、そんな風にして我が耳に殘つた田母神非難論の幾つかを、その折、我が胸中に浮んだ反論と共に以下に記す。その一、「田母神空幕長の言ひ分は科學的でない」云々。けれども、我が耳が捉へた限り、この非難を述べた論者は、その根據を全く示してゐないのである。即ち、謂ふなれば己の個人的なドグマを、たゞ一方的に言ひ放したのみなのであつて、それこそ全く「科學的でない」のだ。それに引替へ、田母神論文中の諸主張は夫々然るべき文獻を裏附けに引き、それを論據にしつゝなされてゐるのであつて、その遣り方は充分に「科學的」なのである。それに何より、田母神空幕長が「檢證の必要あり」と主張してゐる「村山總理大臣談話」や「河野官房長官談話」の、どこが一體「科學的」だつたのか、との反問には、上の「非科學的」非難者は固より、他の誰にも答へられはしまい。その二、「戰爭を反省する事が、どうして自虐的なのか？」成程、戰爭をやつた當人が、それを自ら反省するのであれば、そしてその反省が「自虐的」だと、戰爭をやらなかつた他人から批判されたのであれば、上のやうに反問しても一向に不思議はあるまい。けれども、我が「文化人」やマスコミ論者らの殆どが、近時、やつて見せてゐるのは、ないし、やつてゐる積りなのは、「自分らのやつた戰爭」に對する反省では斷じてない。さうではなくて、彼らは意識的にも無意識的にも、「自分らの父祖のやつた戰爭」を「反省」して見せてゐるのである。と云ふ事は、成程、多くのマスコミ論者らの謂ふ「反省」は「自虐」なんぞでは全くない。謂ふなれば、それは「他虐」なのである。しかも、彼らの「虐待」する「他」とは、繰り返して云ふが、自分らの父や祖父なのだ。即ち彼らは只管「父祖を斷つ」行爲に耽つてゐるのである。然るがゆゑに悍ましいのである。斷乎、否定さるべきなのである。その三、「過去六十年以上に亙つて全く戰爭をやらなかつた事を、田母神空幕長らは何ゆゑ誇りに思へないのか？」これこそ正に、田母神空幕長の謂はゆる「マインドコントロール」された果ての言ひ分であらう。抑も、我が固有の領土たる北方四島をロシアに不法占據されてゐるのみならず、竹島をすら韓國如きに軍事占領され、また總數で百名とも二百名とも云はれる同胞を、高が北鮮如きにみすみす拉致されてゐながら、何十年にも亙つて、宣戰布告は愚か、碌な文句一つ云へずに泣き寢入りを續けて來た、それの何處が一體、誇るべき事なのか。また、近隣諸國によつて折々領空や領海を侵犯されながら、彈の一發も撃てずに手を拱いてゐる、或いは、偶に多國籍軍等による平和維持活動や對テロ行動に協力出動するにせよ、友軍の軍人らが少なからぬ犧牲を出す中、專ら「後の方の安全な場所」にゐて、土建業や輸送業の類ひに勤むのみで、無論、血の一滴も流さないでゐる、そんな腑拔けた爲體の何處を一體、どの面下げて自ら誇れると云ふのか。世界の前に誇れと云ふのか。尤も、そんな事を幾ら言ひ募つた處で、所詮は徒勞なのかも知れぬ。何しろ相手は進駐軍の強權によつて「マインドコントロール」されてゐるのだから。そんな手合ひの迷妄を醒ます爲に、所詮、言論は無益であつて、必要なのは寧ろ別の「強權」による「逆マインドコントロール」なのかも知れぬ。その「強權」を揮ふのが今度は中國軍なのか、はたまた韓國軍、北鮮軍なのかは、神のみぞ知る處ながら。呵々。</description>
<dc:creator>bougakurou</dc:creator>
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