世間世俗を觀望しつゝ、隨筆もどきに時代遲れの所感を綴る……

覆面作家・森目漱外氏の青春小説 『繩浦物語』 はカテゴリアーカイブから……

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平成山人

關西生れ關東在住。
元一等空佐。
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自己紹介 [2036年06月10日(Tue)]

從來、左の如き簡略な自己紹介だけで失禮して來ましたが、この度、思ひ立つて新たに自己紹介の一文を掲げました。 御興味あらば御一讀下さい。
なほ、本自己紹介文も折々は更新する積りですが、いつも通りの新しい記事は、次項 「繩浦物語への御招待」 の次に掲示されますので、御面倒ですが畫面をちとスクロールしてお讀み下さい。
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『繩浦物語』 への御招待 [2035年06月10日(Sun)]

覆面作家・森目嗽外先生の青春小説 『繩浦物語』 を、改めて讀み直したいが檢索が面倒だ、何とかせよ、との聲があり、何とかして見ました。 連載の第一囘目へはこゝからお入り下さい。 また第廿一囘目はこゝから、 第卅七囘へはこゝからです。 山人敬白
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洟も引つ掛けない? [2008年05月14日(Wed)]

十四日附け産經新聞の第一面に、我が敬愛する評論家・呉智英さんの 「支那は世界の共通語」 なる寄稿文。

即ち曰く、「支那」 なる呼稱は歐米語の 「チャイナ」 や 「シーナ」 と語原を同じくしてをり、我國として何ら使用を憚るべき理由はない。

にも拘らず、中國の要求するまゝにそれを 「中國」 と呼び換へるのは間違ひであり、諸事混亂の因でもあつて、飽迄も 「支那」 と呼ぶのが正しい、と云々。

その説く處は明快であり、またそれを第一面に掲載するくらゐだから、産經の編輯陣もまた呉さんの主張に深く同意してゐるに違ひない ……。

と思ひきや、同じ第一面の 「四川大地震」 の記事には、相も變らず 「中國」 なる呼稱のみが繰り返し使はれてゐて、「支那」 云々なる記述は皆無だつた。

しかも同日附け同紙の何處を見ても、呉さんの主張に對する反論も無ければ、敢てその主張に反した用語を使用する事への釋明も無い。

それつて、折角の寄稿者たる呉さんを虚假にしてゐる事にはならないか。 その主張を全く無視してゐる譯だから。 洟も引つ掛けてゐない譯だから ……。


因みに私もまた産經と同じく 「中國」 なる呼稱を當用してゐるが、それは 「支那」 の現國名たる 「中華人民共和國」 の略稱として適當だと思ふからである。

それにまた、呉さんも云ふ如く 「支那」 や 「チャイナ」 や 「シーナ」 が 「秦」 に由來するとすれば、事實さうなのだらうが、それなら 「唐」 とか 「漢」 とか 「元」 とか 「明」 とか 「清」 とかはどうなるのか、と云ふ問題も出て來さうな氣がするからである。

まあ、飽迄も 「思ふ」 とか 「氣がする」 とか云ふ段階に過ぎず、呉さんのやうに突き詰めて考へた譯ではないのだが。

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軍事政權がどうした? [2008年05月 9日(Fri)]

ミャンマーはこの處、サイクロンの被害に苦しんでゐるやうだが、その政府當局の言動を論ふに際して、我がマスコミは必ず 「ミャンマーの軍事政權が云々」 なる言ひ方をする。

恰もミャンマーには該政權の他に 「文民政權」 やら何やらも竝存してゐて、だから態々 「軍事政權」 と呼ばなければ區別が附かない、とでも云ふかの如きだ。

いや、さうではない、單にその政權の特性を語つてゐるだけだ、と云ふのなら、他の諸國のそれに就いても、例へば 「アメリカ民主々義政權」 とか、「北鮮世襲政權」 とか、「サウジ王制政權」 とか呼ばねばならぬ道理だが、さう云ふ例は絶えて耳目にしない。

これを要するに、軍事政權即ち惡であり、災害救助に當つても當然に無能力ないし非能率である、との先入觀ないし思ひ込みが我がマスコミにはあつて、そんな非難の思ひを明瞭にしたいが爲に、ミャンマー政府を呼ぶに際しては毎囘必ず 「軍事政權」 なる 「蔑稱」 を以てするのではないか。

その語に續いて傳へられるニュースの内容からして、さう思へてならないのだが、一方ではその同じマスコミが、例へば阪神淡路大震災に際しては、自衞隊の出動の速かでなかつた事を非難し、その出動要請を遲らせた 「文民自治體政府」 の非能率や 「平和呆け」 を糾彈したのだつた。

それは即ち、大規模災害の救援に際しては軍隊の出動が不可缺だ、との認識をマスコミ人士らも持つてゐると云ふ事であり、それならば 「文民」 の要請を待つてからしか自衞隊が出動できない我が 「政權」 の仕組みよりも、軍政一體の 「ミャンマー軍事政權」 のそれの方が、實態としては兎も角、理論の上からは、災害救助の爲には優れてゐる事になるのではないか。

にも拘らず、「ミャンマー軍事政權」 のサイクロン被害への對應が、多くのマスコミが傳へる如く非能率だとすれば、それは 「軍事政權」 のゆゑではなく、他の原因に基くものと判斷されて然るべきである。

その 「他の原因」 が何なのか、と云ふ事に、私は大して興味がないし、況はんや 「ミャンマー軍事政權」 の實態を辯護する義理など毛頭無い。

たゞ 「軍事」 なる語を理も非もなく 「蔑稱」 として遣ひたがる、そんな我がマスコミの性癖を、その思考停止を、苦々しく思ふだけである。

まあ、以前にも論じた事ではあるが。
 -ニュースリリース-

獏さんの疏忽再々論 [2008年05月 8日(Thu)]

テレビ朝日の番組 「ワイド! スクランブル」 が八日、「激撮」 して傳へた處によれば、自衞隊基地内に造られてあるゴルフ場は洵に 「立派」 であり、「本格的」 でもあるさうで、そんな施設を僅か數千圓の會費で使へる隊員達が、司會の大和田獏さんには 「羨ましい限り」 なのださうである。

よくもまあ、口から出任せの嘘つ八を!

眞實さう思ふのなら、大和田さんも自衞隊に志願すればいゝではないか!

それが年齡的に無理だと云ふのなら、事實、無理には違ひなからうが、例へば御子息を教導して入隊せしめるとか、親類縁者や友人知己中の若者らに志願を勸めるとか、自衞隊員の持つ 「特權」 を身近なものとし、それへの 「羨望」 を幾分かでも和らげる方法は、他に幾らもあらう。

が、大和田さんはそんな事、金輪際やるまいし、夢にも考へてゐまい。 「羨ましい限り」 云々が、もう一度云ふ、口から出任せの嘘つ八だからである。

百歩讓つて、假りに大和田さんであれ、他のコメンテーターらであれ、隊員身分の 「羨ましい限り」 なる所以を身近な誰かに話し、以て入隊を勸めたにしても、高々十一ホールのゴルフ場を安く使へるからとて、それだけの理由で自衞官を志す若者なんぞ、我が秋津洲瑞穗國には一人もゐまい。

即ち自衞官の身分には、大和田さんらの謂はゆる 「特權」 のみならず、諸々の制約やら不都合なんぞも、寧ろ數へ上げれば限りがない程に附隨してゐるのであつて、それゆゑ、ともすれば自衞隊は質量ともに人材不足に陷りがちなのであり、それを未然に防止する爲、募集廣報官らは血の滲むやうな努力を強ひられてもゐるのである。

それを知らないと云ふのなら、苟くも 「ニュース・ショウ」 の司會を勤める資格は無いし、知つてゐてなほ、「好いとこ取り」 の刹那的なコメントだけを垂れ流してゐるのなら、それは寧ろ犯罪に近からう。

と、こゝまで書いて思ひ出したが、大和田獏さんの疏忽な物言ひに就いては、既に一度ならず難じたのだつた。
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NHKの能天氣 [2008年05月 7日(Wed)]

七日のNHKテレビ 「おはやう日本」 にて、アナウンサーの某孃、彈んだ聲にて 「明るいニュースです!」 と前置きし、來日中の中國々家主席がパンダの貸出に同意したとのニュースを、滿面の笑みと共に傳へる。

それが何ゆゑ 「明るいニュース」 なのか、と云ふ次元の議論は一先づ措いて、取敢へずはNHKにも通じる筈のレベルで、一つ苦言を呈しておく。

何が 「明るいニュース」 であり、又は 「暗いニュース」 かなんぞと云ふ事を、高がNHK如きが一々視聽者に教へようなんぞとは、全く以て片腹痛い。

少くとも私には、態々そんな事を教へて貰ふ必要など無いし、抑も 「明るい」 とか 「暗い」 とか云ふ 「色」 をニュースに著けて報道するのは、報道機關としては邪道の筈でもある。

報道機關はたゞ 「ニュース」 を報道すればよい。 それが 「明るい」 か 「暗い」 かを判斷するくらゐの知能と見識とは、兎角NHKが低能者扱ひしたがる我々視聽者と雖も、大抵がそれなりに備へてゐるのだから。



が、それにしても 「パンダ云々」 が 「明るいニュース」 だとは、NHKの何と能天氣なる!

と云ふか、中國贔屓なる!

胡錦濤さんのほくそ笑みが目に浮ぶやうだ。


おつと、この議論はやらないのだつたか ……。
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櫻井ファンの憂鬱 [2008年05月 6日(Tue)]

六日附け朝刊に 「内閣總理大臣・福田康夫樣」 に宛てた 「國家基本問題研究所」 の 意見廣告。 同研究所理事長・櫻井よしこさんの、美しくも凛たる和服姿の寫眞を添へて。

いや、外面的な美しさや淑やかさばかりではない、何よりもその御見識の高さに、私は豫てから魅せられてゐるのだが、この研究所を代表する時の櫻井さんの言ひ分には、曾ても書いた事だが、往々首を傾げたくなる處が目に附く。
例へばこの日の廣告の冒頭にも、福田總理は來たる胡錦濤主席との首腦會談に、「媚びへつら」 ふのではなく、「國益を主張するのが外交」 だと云ふ事を 「肝に銘じて」 臨むべきだと、一見、尤も至極な 「意見」 が述べられてある。

けれども、外交には相手と云ふものがあつて、その相手もまた 「國益を主張」 して來るのである。

だとすれば、成程 「媚びへつら」 ふのは論外だとしても、たゞ 「主張」 するだけでは埒が開かず、それでも雙方が 「主張」 を貫かうとすれば、畢竟する處、クラウゼヴィッツの謂はゆる 「他の手段」、詰り戰爭に訴へる他はなくなる。

が、さうはしないで、飽迄も交渉で埒を開けたい、と云ふのが外交なのだから、その爲には世に謂はゆる 「ギブ・アンド・テイク」、即ち互ひに何らかの妥協や讓歩を仕合ふ事が必須なのだ。

無論、聰明な櫻井さんらなら、そんな事は早晩御承知であらう。 それかあらぬか、該廣告に六項目に亙つて列擧されてゐる 「提言」 中、少くとも第一項は、かうなつてゐる。

① 首相は中國政府がチベット彈壓をやめない限り、「政治的催物」 化されかねない北京五輪開會式出席を見合せるべきです。

詰り、「中國によるチベット彈壓の中止」 と云ふ 「テイク」 が得られるならば、たとへ 「政治的催物」 化されかねない北京五輪開會式にもせよ、敢て 「出席する」 と云ふ 「ギブ」 を與へても構はない、と櫻井さんらは言つてゐる譯である。

その 「ギブ・アンド・テイク」 が眞實、我が國益に適ふのかどうか、また中國が呑める取引であるのかどうかは扨措き、最低限、外交の本質を知つた上での提言にはなつてゐよう。

同じく 「⑥ 環境問題を安易に取引材料とすることは許されません」 とあるのも、「安易に」 なんぞと云ふ曖昧な修飾語を 「安易に」 遣つてゐる嫌ひはあるものゝ、外交が所詮は 「取引」 だと云ふ認識があればこその 「提言」 とも解されよう。

しかし、敢て一々は引用しないが ② から ⑤ 迄の四項目には、遺憾ながら 「テイク」 の要求のみがあつて、それを勝ち取る爲に如何なる讓歩や 「ギブ」 を以てすべきか、と云ふ面からの提案はない。 詰りは外交上の提言と云ふよりも、言ひたい事の言ひつ放しに墮してゐる。

それとも、櫻井さんらの研究所には錚々たるメンバーが名を連ねてゐるのだから、それら四項目を 「テイク」 する爲に何を 「ギブ」 すべきかの祕策は當然にあつて、しかしどれそれを 「テイク」 する爲にこれこれの 「ギブ」 は已むなしなんぞと、端から手の内を曝すのは下の下策だから、その祕策は文字通り 「祕かに」 總理官邸に傳へてある、とでも云ふのだらうか。

なんぞと、櫻井さんに 「魅せられた」 弱みで、精一杯贔目の想像もして見るのだが、それならば態々大金を投じて意見廣告を打つ必要なんぞ無い道理だし。

扨て、櫻井さんのファンとしては、一體どうやつて己を納得させれば好いのやら ……。
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夢の下町バスの旅 [2008年05月 5日(Mon)]

大型連休の後半が始つた日の、夜來の雨も漸く上つた午後三時半、東京驛から 「夢の下町」 行きのバスに乘つた。
同行は何れも熟年の男ばかり四人、内一人は他ならぬその特別仕樣バスの設計技術者で、その説明やら苦勞話やらを聞きながら、粒粒辛苦の仕上り具合やら乘り心地やらを確かめ、更にはその感想を肴に、「夢の下町」 で一杯やらうと云ふ趣向である。

テレビなどを通じての、都による廣報が行き屆いてか、瀟洒なサロン風デザインの車内は、始發停留所を出た時から立つてゐる人もちらほらある程の込み具合で、それが一層、設計者某さんの自尊心を擽り、滿足を誘ふ。

尤も某さん、さうなる自信は豫てからあつたらしく、その提案に隨つて早めに竝んで待つた我々一行は、最後尾の展望座席を悠々獨占し、折から道路も空いてゐる中、快適なバス・ライドと車窓觀光とを滿喫したのだつた。

やがて終點に近い 「淺草雷門」 に下車し、先づは老鋪 「駒形」 に繰り込んで、名物のどぜうと舛酒で、早めの晩酌を愉しむ。

續いては 「藪」 に河岸を移し、名代の蕎麥を肴に更に呑む。

何れも込み始める直前の時分に入店し、店を出る頃、入口には行列が出來始めてゐると云ふ、洵にグッド・タイミングの通人ぶり ……。

とは、暮れ泥むお江戸の下町に微醺を帶びて、すつかり長谷川平藏氣分に浸つてゐる同行某さんの、無論、一同を代表しての自畫自贊の辯。

然り而して最後は雷門脇のおこし屋に立ち寄り、夫々家人への土産を買ひ込んだ後、お開きとしたのだが、その一夕、取り交はされた諸々の話の中で、かう云ふのが一つ、心に殘つた。

即ち談笑話の成行きに、某さんの云ふには、鐵道車兩やバス車體の改裝やオーバーホールの爲、古い外裝パネルや内裝材などを剥がしてゐると、その裏から屡々、その工作を擔當した職人さん達の 「署名」 やら、諸々の思ひを籠めた 「落書き」 やらが發見されるらしいのである。

その類ひが、古い寺社建築などの解體修理の際、天井裏や床下などの部材から發見され、學術的にも貴重な資料になつてゐる、と云ふ話は豫てから承知してゐた。

が、どつこい、その傳統は現在の工匠達にも承け繼がれてゐた譯で、それがまた、お江戸の下町にあつて美味い酒と料理に醉ひ、頭に丁髷でも乘つけてゐる氣分になつてゐた我々を一入興がらせた、と云ふ次第。

但し、件の 「夢の下町バス」 のパネルの裏側に、設計者某さんの 「署名」 が祕されてあるかどうかは訊き逸れた。

先進の工業デザイナーでありながら、我が傳統文化にも造詣の深い某さんの事、もしかしたら自作の和歌でも書き附けてゐるのではあるまいか ……、とは我が勝手な想像なのだが。

その内、そつと訊いて見ようかな ……。
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新聞小説の文章 [2008年05月 1日(Thu)]

「時代の流れに頑なに背を向けたやうな、ちよつとレトロな雰圍氣の喫茶店で、國本洋司はテーブルの上のぬるくなつたコーヒーを飮み干した」

うゝ ……、儂は森目嗽外ぢやがの、五月一日の新聞を繰つてをつたら、上のやうな、何とも呑み込み難い文章が、ふと目に著いて喃。

しかもそれが何とやら云ふ連載小説の、書き出し部分の一節なのぢや。

と云ふ事になればぢや、儂も文學者の端くれぢやからして、どうしても一言、差し出口せずにはゐられなくなつて喃。

まあ、慧眼の讀者諸賢には、既にお分りの事かも知れぬが、先づはその喫茶店の雰圍氣に關する記述ぢや。

もしもその店が作者女史の宣ふやうに、時代の流れに 「頑なに」 背を向けてゐるのならば、その雰圍氣もまた 「ちよつと」 レトロなくらゐでは收まらぬるのが道理ではないのかの?

詰りぢや、もしも 「頑なに」 と云ふのが本當ならば、その雰圍氣、「ちよつと」 どころではない、「大いに」 レトロでなくてはならぬ筈なのぢや。

さもなくば 「頑なに」 なんぞと云ふ強い言ひ方は止しにしてぢや、代りに 「少々」 とか 「それとなく」 とか、いづれにせよ、「ちよつと」 と云ふ輕やかな形容に釣合つた、もう少し穩やかで妥協的な表現を選ぶべきなのぢや。

續いてはの、國本洋司うぢとやらが、「テーブルの上のぬるくなつたコーヒーを飮み干した」 と云ふ件りを讀んでの、儂は一瞬、もしかして國本うぢは兩手が御不自由か何かで、或いは餘程、お育ちが惡くて、卓上に置かれた儘の珈琲茶碗の上に身を伏せ、口を附けて、左樣、恰も犬のやうな御行儀でコーヒー喫つされたか、と思うて仕舞うたのぢや。

そんな 「誤讀」 が生ずるのは何ゆゑか。 知れた事、「テーブルの上の」 なんぞと云ふ、全く餘分な 「贅肉」 が附いてゐるからなのぢや。 抑も喫茶店のコーヒーが、「レトロ」 であらうが、なからうが、「テーブルの上」 以外の何處かに置かれてある譯などあるまいが。

或いは横著をせずに、正確を期して筆を盡す事。 例へばこんな風に。

「國本洋司はテーブルの上のコーヒー・カップを取り上げ、ぬるくなつてゐたコーヒーを飮み干した」

更に續いては ……、いや、限りがないからもう止めますがの、呉々も分つて貰はねばならぬのは、儂の云ふのが物書きの好みの問題なんぞで斷じてない、さうではなくて、文章が當然、備へるべき論理、即ちロゴスの問題だ、と云ふ事ですぢや。

それへの拘はりを缺けば、物書きは知らずして、とんでもない矛楯やら嘘つぱちやらを書き散らす事にもなる。

偶々目に止つたこの新聞小説は、その生き見本みたいな氣がしましての、斯くは差し出口して仕舞ひましたのぢやが、作者女史さん、どうぞ惡う思うて下さるなや、惡氣はありませんからの。

はい、お喧しう。
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批判は結構だが [2008年04月29日(Tue)]

「昭和の日」 の産經新聞第一面に、「自衞隊基地にゴルフ場」 との大見出し。 報道内容は無論、それを非難するもの。

無料・格安で 「特別訓練」、との副へ見出しも附されてあるが、特別訓練の四文字を態々鉤括弧で括つてゐるのは、自衞隊の 「姑息な言譯」 を揶揄した積りか。

まあ、所詮は 「日陰の存在」 たる自衞隊のあれこれを論ふのだから、精々揶揄するのも良からうし、あの手この手でその 「あくどさ」 を強調して見せるのも、我が言論界の 「全うならざる常識」 には則つてゐるのだらう。

例へば曰く、「周邊住民はゴルフ施設の存在を知らされてをらず、周圍を樹木で圍つて外部から遮斷したり、態々 『特別訓練場』 と呼んでゐる場所もある」 云々。

けれども産經さんよ、周邊住民に 「存在を知らされて」 ゐない基地内施設は、他にも多々あるのではないか。 例へば隊員が趣味で造つてゐる花壇や池とか、仲間同士で購入し設置した陶藝用の窯だとか、はたまた隊舍の屋上に設けたゴルフ練習用のネットとか。

それらをしも、自衞隊は意圖的に匿してゐる、怪しからぬと、産經はさう主張する積りなのか。

いや、さうではない、そんな諸々の施設と 「ゴルフ施設」 とは別物なのだ、と云ふのなら、その所以を、即ち自衞隊基地が周邊住民に 「匿して」 構はぬ事と構ふ事との區分原理を、是非とも明示して欲しい。

或いは、守屋某の不祥事が世間の指彈を浴びてゐる折柄、「ゴルフ施設」 だけは具合が惡いと、そんな指摘も記事中には見えるのだが、それでは守屋事件さへ無ければ、「ゴルフ施設」 にもまた不具合はなく、延いては産經のこの報道も全く無用であつたと、さう云ふ事になるのか。 まさか、そんな譯はあるまい。

また産經の報じてゐる處によれば、その 「ゴルフ場」 たるや精々が十一ホールしかないらしいのだが、それにしてもその 「周邊を樹木で圍」 ふのは、竝大抵の植林努力では追つ附くまい。

そんな大掛かりな植林を、專ら 「隱蔽工作」 の爲に自衞隊はやつたと、少くとも産經の記事によればさうなるのだが、果してそんな事が有り得るか。 さうではなくて、偶々基地外からの視線が立ち木によつて遮られてゐる處もある、と云ふだけの事ではないのか。

産經はまた、「特別訓練場」 なる呼稱は世間の耳目を暈ます爲の言ひ換へであり、詰りは胡麻化しであつて怪しからぬ、とも云ひたいやうなのだが、それなら砲兵を 「特科」、歩兵を 「普通科」、工兵を 「施設科」、いやいや、抑も軍隊を 「自衞隊」 と稱するのさへ、「平和憲法」 を憚つての胡麻化しに他ならぬ。

さう云ふ根本的な姑息や不全の方こそ、産經たるもの、それこそ第一面に大見出しゝて非難攻撃すべきではないのか。

更に産經はこの問題を社會面でも取り上げ、件の 「格安ゴルフ場」 を使へるのは一千五百圓だかの會費を拂つた會員のみであり、會員でない自分は使はせて貰へなかつた、と云ふ 「某空自幹部」 の證言を紹介してゐる。

以て 「基地内ゴルフ場」 を使ふ隊員らの排他性や特權意識を強調して見せた積りなのだらうが、ゴルフはしたいが一千五百圓の負擔は免れたいなんぞと、我が後輩ながら卑しくもみゝつちい輩の 「怨み節」 まで引つぱつて來るなんぞ、それこそ産經の品格に關はらうと云ふものである。

自衞隊の不全や不祥事は、大いに批判すれば良い。 それはメデイアの當然爲すべき任務でもある。

けれども、智的な誠實だけは盡して欲しいのである。 況はんや我が愛讀する産經新聞であるならば ……。
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