件の 「核密約」 問題に關して大阪大學教授の坂元一哉さんは、 政府が國民に 「本當のことを言ふ」 決斷を下した事を評價すると、 十三日附け
産經新聞第一面のコラムに書いた。
が、それへの贊否は一先づ措く。
この問題に關しては政府も坂元さんらも敢て觸れようとしてゐないやうだが、 もつと根源的な 「本當のこと」 があつて、 それをこそ先づは語るべきだと思ふからである。
それは即ち、自國の獨立や安全を守る爲に國民の血を一滴たりとも流さうとせず、代つて他國民の 「公正と信義」 に縋らうなんぞと、
意氣地なくも蟲の好い事しか考へてゐない腑拔けの國が國際社會に生きて行かうとすれば、況はんや世界の超軍事大國たる米國と交際し、その庇護を受けようとすれば、
恥づかしくてとても表沙汰には出來ないやうな屈辱的な約束をさせられたり、或いは支拂ふ筋合ひの無い金を無理矢理貢がされるやうな理不盡に堪へたりせねばならぬのは、
謂はゆる 「ヤーさん」 らの世界に於けると同樣、國際社會に於てもまた 「渡世の常識」 だと云ふ事である。
そして、その 「常識」 に否應なく從はされて來た吾が歴代の總理や外相らが、その恥や屈辱を國民の前に愚癡つたり、苦澁の思ひを表情に出したりもせず、
只管心に祕し、一見泰然自若、恰も何事も無いかの如くに外見を取り繕つて來たとすれば、それは弱小國首腦としてのせめてもの矜持であり、「五分の魂」 の發露であつたと云ふべきであらう。
それを此度、鳩山政權は 「本當のこと」 を言はうとて、前任者らの祕めたる恥を暴き立てゝ見せた。
そしてその事には樣々な意義があると、例へば坂元さんもそのコラムに論じてゐる譯だが、過去の過ちを暴く事に何か意義があるとすれば、その最大のものは、今後同じ過ちを繰り返さぬ爲の糧にする事の筈である。
そこでこゝでもまた、少くとも私の耳には何處からも聞えて來ない類ひの 「本當のこと」 を一つ二つ述べておく。
これは古代ギリシャ史に於けるメロスの滅亡を例に引いて
以前に論じた處だが、強國の弱國に對する振舞ひが基本的に理不盡なのは、そしてその理不盡に弱國が屈伏せざるを得ないのは、古今東西を通じて變らぬ國際關係の常だから、
弱國たる吾國が強國たる米國との間に 「密約」 を結ばざるを得なくなるやうな事態は、今後とも必ずや繰り返されるであらう。
そんな屈辱を完全に免れやうとすれば、曾てのメロスのやうに玉碎戰を戰つて滅亡するしかない譯だし、無論、以て國家と民族の一瞬の榮光を後世に殘さうと云ふのも一つの選擇肢ではある。
が、そこまで行かずとも、せめてものこと、屈辱の可能性を少しでも輕減したいと望むならば、 從來の吾國のやうに民生を優先しながら 「必要最小限の防衞力」 とやらを細々と維持するのではなく、
敢て 「バターよりも大砲」 を選び、或いは 「パンツは穿かずとも原爆」 を作り、要するに國力の限りを盡して 「可能最大限の軍事力」 を建設するしかあるまい。
これもまた、名門のお坊つちやんらは知らず、一廉の 「渡世人」 ならば誰もが頷く 「常識」 の類ひなのである。