西窓に遠富士を見る書窟から
世間世俗を觀望しつゝ
折々に時代遲れの所感を綴る……

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平成山人

關西生れ關東在住。
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自己紹介 [2036年06月10日(Tue)]

從來、左の如き簡略な自己紹介だけで失禮して來ましたが、この度、思ひ立つて新たに自己紹介の一文を掲げました。 御興味あらば御一讀下さい。
なほ、本自己紹介文も折々は更新する積りですが、いつも通りの新しい記事は、次項 「繩浦物語への御招待」 の次に掲示されますので、御面倒ですが畫面をちとスクロールしてお讀み下さい。
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『繩浦物語』 への御招待 [2035年06月10日(Sun)]

覆面作家・森目嗽外先生の青春小説 『繩浦物語』 を、改めて讀み直したいが檢索が面倒だ、何とかせよ、との聲があり、何とかして見ました。 連載の第一囘目へはこゝからお入り下さい。 また第廿一囘目はこゝから、 第卅七囘へはこゝからです。 山人敬白
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露店の商法 [2009年06月24日(Wed)]


都の水瓶の一つである多摩湖と、境浄水場とを結ぶ 「狭山・境緑道」 を、過日、梅雨の晴れ間に自轉車で散策してゐたら、時々ある事だが、路端に蜜柑箱を置いた程度の細やかな露店が出てゐた。

店番は小柄で人の好さゝうな白髮の小父さんで、その蜜柑箱大の陳列臺の上には、小さな透明ビニール袋入りの梅漬らしい商品が、十個ばかりも竝べられてゐる。

それだけを目に入れて、私は愛輪を止めた。 我が家の自家製の梅干が、恰度品切れになつてゐたからである。 今年のが浸け上がるのは、まだ一月ほど先のやうだし。

と思ひつゝ、その素人臭い商品に改めて目を遣ると、その脇に添へられた、表札ほどの大きさの、これまた素人臭い立札には、「紫蘇づけ、鹿兒島産、一袋二百五十圓」 とある。

先づは訊ねた、「小父さん、鹿兒島の御出身ですか?」
「え? あゝ、さうだよ。 國から送らせたんだ。 こゝまでするのは大變だつた」

「これは甘造りですか、それとも昔ながらに酸つぱいの?」
「あ……、鹽は七パーセントしか入れてないから、しよつぱくはないよ」

「さう……、ぢや一袋だけ貰つてみようか」 と、私は一袋を取上げ、三百圓を渡した。

小父さんは暫く錢笊を探つてゐたが、やがて 「お釣がないから二百圓でいゝや」 と言ひ、百圓を返して寄越した。 「あ、惡いね」 と私。

しかし氣を好くして、暫く行くと、今度は桃の露店に出くはした。 これは本格的なプラスチック・ケースを三列に竝べ、夫々五六段に積上げて、最も大きな桃を竝べたケースには 「七個三百圓」 と表示してある。 篦棒に安い。

私はまたも愛輪を止めた。 店番、と云ふよりは從業員、と云つた方が似合ひさうな風體の男衆が三人ゐて、近くの空き地には小型のトラックも停めてある。

ちよつと引き氣味になりながらも、兎も角、訊ねてみた、「これ、何處産の桃?」
「山梨ですよ」 と、答へて呉れたのは最年長と見ゆる 「從業員」。 しかし、何故か私と顏を合さうとはしない。

「ふうん。 で、本當にこれ、七個で三百圓なの?」
「さうだけど、ちよつと大味なんだよね。 本當に甘いのは、この小型の方でね」

「はう ……。 で、そつちは幾らなの?」
「六個で千圓だけど、口開けだから、何個でもいゝや。 さつきのお客さんは七個持つて行つたかな」 と、これは寧ろ、私に背を向けながら。

それだけ聞いて、私は何も言はずにその場を離れた。 かう云ふ商賣の遣り方が、心の底から嫌ひだから。

それ以上、その露店の 「從業員」 らと同じ空氣を吸つてゐたら、先刻、鹿兒島出身の朴訥な小父さんから貰つた折角の仄々感が、臺無しになりさうだつたから ……。
プレスリリース

郵便不正事件に思ふ [2009年06月22日(Mon)]

昨今話題の 「郵便割引不正利用事件」 に關して、基本的に解らない事が一つある。

身體障礙者團體がダイレクトメールを送る場合、本來百二十圓の郵便料金が八圓に割引されると云ふのだが、何ゆゑに半額ではなく、三十圓とか二十圓とかでもなく、況はんや十圓ですらなく、異常に安くて中途半端な八圓と云ふ金額に決められたのか、それが全く解らないのだ。

最も合理的に解釋すれば、實はダイレクトメールの郵送原價は八圓で、身障者團體にはそれだけを負擔して貰ふ事にしたのだ、と云ふ事にでもなりさうだが、その場合、日本郵便は 「健常者團體」 から、原價の十五倍と云ふ途轍もない暴利を貪つてゐる事になる。

いや、さうではない、八圓と云ふのは飽迄も身障者團體の負擔能力を考へて決めた料金であつて、原價は大きく割込んでゐるのだ、と云ふのなら、その原價と料金との差額は、一體、誰がどうやつて負擔してゐるのだらう。

まさか日本郵便の經營者らが自腹を切つて負擔してゐるとも考へられないから、とどの詰りは、やはり 「健常者團體」 ないし一般郵便利用者が負擔してゐる、いや、負擔させられてゐる、と云ふのが事實ではないのか。

だとすれば、その旨の 「お願ひ」 ないし 「お斷り」 が、切手や葉書の餘白やら、それが無理なら郵便局の窓口などに掲示されてゐて然るべきではないか。

それとも、そんな事は株主たる財務省やその他の關係省廳が承知してゐれば良い事、お前たち一般利用者は、どうせ選擇の餘地は無いのだし、たゞ默つて請求されただけの料金を支拂つてゐれば良いのだ、とでも云ふ事なのか。

どうも一聯の報道を見聞きしてゐる限り、さう言はれてゐるやうな氣がしてならないのだが。
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民主・岡田氏の核の傘論 [2009年06月18日(Thu)]

民主黨の岡田克也副代表は雜誌 「世界」 の七月號に、「米國の核の傘から半分はみ出す」 のが日本の取るべき道だとして、次の三項目を吾國の主張とするやう訴へてゐるさうな。

① 米國に核先制不使用を宣言させる
② 非核國への核使用を違法とする合意形成
③ 東北アジア非核地帶構想

呆れ果てた言分である。 これが一體、間もなく政權を取るかも知れない政黨の幹部議員が、眞面目な顏をして 「主張」 してゐる事なのか、本氣で 「訴へてゐる」 事なのか。

先づ第一點に就いてだが、米國に限らず現在の核保有諸國に、軍事戰略上、核を先制使用する積りも、事實上その能力も無い事は、常識論として前囘このブログに論じた通りである。

にも拘らず、現實問題として米國以外の核保有諸國は既にその宣言を爲してをり、米國だけがそれを澁つてゐるのなら、それは核兵器の所在地を一切明かにしないのと同樣、米國の核戰略の一環に他なるまいが、岡田氏はそんな米國の國家戰略を、一體どうやつて變更させようと言ふのか。

抑も 「軍事小國」 たる吾國にそんな力がある譯は無いし、況はんや既にして米國から警戒の目を以て見られてゐると聞く 「民主黨政權」 に、そんな事が出來ると考へるのは、それこそ夜郎自大も極はまれりと云ふものであらう。

次に第二點、「違法」 云々だが、先の大戰中、米國が吾が諸都市を無差別爆撃したのも、遂には原子爆彈まで投下して 「非戰鬪員」 を殺戮したのも、全ては國際法上 「違法」 だつたのであり、さう云ふ 「合意」 もまた、當時の國際社會に於て充分に 「形成」 されてゐた。

にも拘らず米國の 「蠻行」 は止められなかつたし、戰後、米國がそのゆゑを以て糾彈される事も、無論、處罰される事もなかつた。

一體、何ゆゑか? それは成熟した大人なら誰でも知つてゐる筈の事だが、この世には國際法の規定も國家間の合意も、無論、岡田氏が米國に求めてゐる 「宣言」 ないし誓約等の拘束力をも超える最終的な權威が、詰り武力と云ふものが、儼然として存在してゐるからに他ならない。

即ち、謂はゆるユートピアに於てならば知らず、現實世界に於ては、事の正不正、當不當を最終的に決めるのは、とどの詰り、武力なのである。 國際法や諸國間の合意や誓約がどうあらうとも、武力に優る者は何でも出來るし、そのやつた事は何でも正しい事になる、それが現實であり、「大人の常識」 でもあるのだ。

そんな不條理な現實を直に容認する事を憚つた西歐人が、本來が暴力たる武力に、ラテン語を使つて 「ウルティマ・ラティオ」 即ち 「究極の理性」 なる尊稱を奉り、詰りは理想を現實に引寄せる事によつて、己が内なる理性の悶えに折合をつけてゐるのは、これまた全うな大人ならば當然に承知の事であらう。

無論、吾國の先人らも同じ現實を捉へて、但し、もつと實も蓋も無く 「勝てば官軍」 と、かの 「太平記」 の昔から言ひ慣はして來てゐる。 岡田氏に限らず軍事戰略やら安全保障やらを語る者は、せめてもの事、吾が軍記物の古典くらゐは讀んでおくべきであらう。

扨て、最後に第三點だが、それに就いては議論を省略する。 これ以上岡田氏の駄論に附合ふ根氣はもはや盡きたから。

たゞ、以上の三點を纏めて一言に盡せば、岡田氏の言つてゐる事は全て、所詮は日本以外の國々にだけ何かを期待して、自らは何の努力も拂はうとしない、甘つたれ根性丸出しの 「他力本願」 に他ならない。

正しく吾が 「平和憲法」 の前文に言ふ如く、專ら他國の 「公正と信義」 にのみ依存しようとする 「空想的安全保障論」 の惡しき見本に過ぎず、詰りは現實から全く游離してをり、隨つて具體的には何の效用も期待できないものなのだ。

假りにその主張に隨へば、「米國の核の傘」 から 「はみ出」 した吾國の 「半分」 は、西半分か東半分か、或いは太平洋側か日本海側かは知らず、周邊諸國から流れ來る 「核の雨雲」 の下に、ずぶ濡れ覺悟で放置される事とでもなるのが落ちであらう。

岡田議員の選擧區がどの 「半分」 に屬する事になるのかは、恐らく御本人にも解つてはゐまいが。 呵々。
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核抑止の常識論 [2009年06月15日(Mon)]

昨今、次のやうな議論がちらほら耳に入る。

曰く、北朝鮮の核開發を阻止すべく、國聯安保理の制裁決議は成されたものゝ、中國の 「煮え切らぬ姿勢」 やら、それに對する米國の 「妥協的な態度」 によつてあれこれ 「骨」 を拔かれ、所詮は實效性の疑はしいものとなつて仕舞つた。

隨つて今や吾國としては、北朝鮮の核保有を前提として、その攻撃を抑止する方策を眞劍に檢討せねばならぬ、云々、云々 ……。

扨てそこで、私の承知してゐる常識論を云へば、他國からの核攻撃を抑止する爲に最も信頼性ある方策は、自らも核武裝して、しかも核戰略論に謂はゆる 「第二撃能力」 の保持に努める事である。

即ち、假りに何處かの國から核による先制攻撃を受けてもなほ、その國に對して堪へ難い程の報復攻撃を加へ得るだけの核戰力を生き殘らせておけるやう、然るべき手立てを講ずる事が必要なのだ。

その爲、一般的にはICBMを地下の 「硬化サイロ」 に掩蔽配備する他、核ミサイル原潛を世界の海中に散開させ、更に状況に應じては、核爆彈を搭載した爆撃機を空中哨戒させる等の努力が必要とされる。

もしも或る國が、その努力ないし手立てを缺く場合、その國に對して先制攻撃を仕掛ける側の有利は目に見えてゐるから、抑止が效かないのは當然だし、のみならず、國家關係が險惡になつた場合等に於ては、積極的に先制攻撃を誘ふ要因とさへなり得るのである。

一方、それに對して 「第一撃能力」 とは、吾が方からの先制攻撃によつて相手國の 「第二撃能力」 をも粉碎し得るやうな、壓倒的に強力な核攻撃能力の事を云ふ。

それを保持する事は一見、理想的なやうにも見えようが、實はさうではない。 假りに多大の資源を投下して建設し得たにしても、そんな能力は必ずしも抑止力にはならないのみならず、寧ろ相手國からの先制攻撃を誘ふ可能性すら含むのである。

何故ならば、相手國にその能力を保有された國は、とゞの詰り、敗北は必至な譯だが、一寸の蟲にも五分の魂、坐して屈するよりは、せめて蜂の一刺をとばかり、未だ無傷の核戰力を以て、必死の先制攻撃に出る可能性が考へられるからだ。

だから現在の五大核保有國は、いづれも 「第一撃能力」 の保有は求めず、專ら 「第二撃能力」 の整備と信頼性向上に勤んでゐる。

そして中國も米國も、無論、ロシアも英佛も、程度の差こそあれ、今や互ひに 「第二撃能力」 を保有し合ひ、相互に核攻撃を抑止し合つてゐる譯だが、その能力は當然ながら、北朝鮮に對しても十二分に有效である。

のみならず、それら五大核保有國は、少くとも當分の間、北朝鮮に對する 「第一撃能力」 をすら保持し續けるであらう。

假りに北朝鮮が自暴自棄の先制攻撃に出ようとしても、そんな前兆は容易に偵知できようし、テポドンの發射に先立つて、その基地を 「外科手術」 的に破壞する事もまた、それら諸國ならば易々と出來る筈だ。

中國が北朝鮮に對して吾國ほど 「強硬」 でなく、米國もまた、そんな中國に對して 「妥協的」 なのは、要するにそのせゐである。 詰り、本來的な核抑止力を保有する中國や米國は、本音の話として北朝鮮の核なんぞ、齒牙にも掛けてゐないのである ……。

と云ふのが、昨今の防衞論議に關して、私が常識論と信ずる所だが、扨てその上で、吾國の安全を具體的にはどうやつて保障して行くのが善いか、と云ふ點に關しては、私は敢て口を噤んでおく事とする。

そんなあれこれに就いては、吾が後輩の現役自衞官らが日夜、眞劍に考へて呉れてゐる筈だし、それに何より、國防方策の具體論なんぞと云ふものは本來、公開の場で語るべき事では斷じてないと思ふからである。
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取調室の眞實 [2009年06月 5日(Fri)]


足利事件の眞犯人とされ、既に十年の餘も服役してゐた菅家さんが、DNA鑑定の遣り直しによつて冤罪だつた可能性が高まり、このほど刑の執行を停止され、釋放された。

それが事實、冤罪だつたとすれば、何ともお氣の毒な限りである。

が、そんな成行を生んだのは、當時のDNA鑑定技術の不備も然る事ながら、警察官らによる 「拷問擬ひ」 の取調べによつて 「虚僞の自白」 が引出された爲でもあるらしい。

そんな 「理不盡極はまる取調室」 の樣子は、菅家さんも記者會見でリアルに訴へてゐたし、また刑事物のテレビドラマなんぞにも、好んで描かれる處でもある。

問題はそれが果して本當に 「リアル」なのか、と云ふ事だ。

それは私には分らない。 取調室は事實上 「密室」 だし、幸か不幸か私には、刑事の經驗も無ければ、容疑者になつた經驗も無いからだ。

但し、論理の問題として言へば、さう云ふ 「警察の非道」 は、或いは事實なのかも知れぬ、と思へる節はある。

それがもしも警察にとつて全くの 「冤罪」 ならば、例へば今囘の菅家さんからの非難など 「被疑者からの告發」 や、況はんやテレビドラマ制作陣らによる取調室の描き方は、どう考へても警察に對する侮辱、ないし名譽毀損にも當る譯で、斷固、抗議が行はれて然るべきだと思ふが、それが行はれた例を、寡聞にして知らないからである。

因みに、マスコミは往々、警察の不祥事は報道しないで濟ますさうで、それは人間、何かの折の 「報復」 が恐いからださうな。

だとすれば、そんな強面のする警察の信用に關はるやうなドラマ作りをして、その制作陣が平氣でゐられるのは、取調室と云ふ 「密室」 での刑事らによる 「非道」 が、もはや抑へやうのない事實であり、寧ろ公然の祕密だからではないのか。

と、飽迄も論理の問題として、さう云ふ事も言へるのではないか。

それとも警察は自分らの公明正大に對し、磐石の自信を持つてゐて、高がテレビドラマ作者らの 「誹謗中傷」 なんぞ齒牙にも掛けてゐない、と云ふ事なのだらうか。

私としては寧ろ、さうであつて欲しいと思ふのだが。
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時は初夏… [2009年05月27日(Wed)]


時は春 / 日はあした / あしたは七時

片岡に 露みちて / 揚雲雀 なのりいで

蝸牛 枝に這ひ / 神、そらに 知ろしめす

すべて世は 事も無し


御存知、上田敏の譯詩集 『海潮音』 に含まれるロバート・ブラウニングの名作 「春の朝」 である。

數日、はつきりしなかつた天候が、日曜日の夜更けに襲つた大雷雨を最後に囘復に向ひ、漸く朝からすつきりと晴れ上がつた火曜日、愛輪を驅つて武藏野の田園地帶を彷徨つてゐたら、ふと心に、その詩のパロディーが浮んだ。


時は初夏 / 日は午前 / 午前は十時過ぎ

武藏野に 緑みちて / 馬鈴薯の 花は咲き

麥の穗は 黄に稔り / お天道さまは そらに照る

全て世は事も ……


全くの愚作だが、ともあれ、その末尾を濁したのは、今の 「世は」 とてもではないが 「事も無し」 とはゆかないなあ、新型インフルエンザだとか、北鮮の核實驗だとか ……、なんぞと、ふと餘計な賢しらが心を過つたせゐである。

尤もブラウニングの生きた十九世紀の世界と雖も、決して平穩ではなかつた筈だが、折からヴィクトリア朝の大英帝國はパクス・ブリタニカの繁榮を享受してゐた最中だし、況はんやその國の大富豪の息子たるブラウニングにとつては、俗界の諸事件なんぞ所詮は些事、「吾關せず焉」 だつたのかも知れぬ。

それとも、そんな俗界の諸事件とは關はり無く、素直な心で見渡せば、春の野は 「神の恩寵」 に滿ちてゐるではないか、それを感じ取る事こそ大事だと、「心貧しき」 詩人は呼び掛けてゐるのだらうか。

根つからの 「日本教徒」 であり、詰りは 「お天道さま」 の子たる私に、「神の恩寵」 云々は所詮、聞き齧りの賢しらに過ぎぬ。

にも拘らず、明らかにクリスト教徒の 「悟り」 を詠つたブラウニングの詩が心に沁みるのは、上田敏の名飜譯の成せる業であり、その磨きぬかれた日本語の功徳であり、詰りは言靈の力によるのだらう。

近頃、さう云ふ詩を讀む機會が絶えて無い。 退役軍人として世捨人を氣取つてはゐても、所詮は生悟り、未だ俗事に心を奪はれがちなせゐだらうか。
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加地さんの大嘘 [2009年05月25日(Mon)]

立命館大學教授の加地伸行さんは、二十四日附け産經新聞第一面の受持ちコラム 「古典個展」 を、次のやうに書き出してゐる。


「世の中、不景氣、節約、節約。 といふ話のはずなのに、五月の連休中、人出は多かつた。 いつたいどうなつてゐるんだらう。

こちらはカネもヒマもないので、連休中は生け垣の剪定とあひなつた。 幸ひ娘婿が手傳つてくれたので助かつたものの云々」

が、加地さんと云ふ人、どうしてかうも眞つ赤な嘘を書くのだらう。

立命館と云へば紛れもなく一流大學の筈。 それがその教授に支拂ふ俸給が、平均的サラリーマンらの受け取るそれよりも少いなんぞとは、夢にも信じられない。

然るに連休中の行樂地を賑はした主役は、正に平均的サラリーマン諸氏だつた筈なのだ。

加へて加地さんには、小なりとは云へ全國紙に受持ちコラムを書くと云ふ結構な副業もある。 その原稿料を推測する趣味は私には無いが、恐らく平均的サラリーマン諸氏から見れば、溜息の一つも吐きたくなる額と考へて間違ひはあるまい。

つまり連休中の行樂を購ふ 「カネ」 に加地さんが不自由してゐるなんぞと云ふのは、どう考へても眞つ赤な嘘、でなければ、例へば豪華客船によるクルーズの類ひ以外は行樂とは看做さないと云ふが如き、途轍もなく贅澤な言分としか判じられないのである。

それにまた、「ヒマ」 が無いから 「生け垣の剪定」 をやつたと云ふのも、全く矛楯した言ひ方である。

いやいや、「生け垣の剪定」 をやらねばならないから、行樂に出掛ける 「ヒマ」 が取れなかつた、と云ふのなら分る。

が、加地さんの言ひ方だと、「生け垣の剪定」 でもやる他に 「ヒマ」 の潰しようが無かつた、詰り 「ヒマ」 を持て餘してゐた、と云ふ事にしかならないのである。 少くとも全うな日本語讀解力を持つ者ならば、文脈上、必ずさう解する。

しかも、さう云ふ眞つ赤な嘘の類ひを枕にふつて、加地さんがそのコラムでやつてゐるのが、「大阪の學者・研究者先生たち」 から送られて來たパンフレットに含まれる 「大嘘」 を暴く事だと云ふのだから、正に目糞が鼻糞を嗤ふ類ひ、これはもう漫畫としか言へまい。
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NHKのカメラワーク [2009年05月17日(Sun)]

NHKテレビの紀行番組や自然紹介番組なんぞを觀てゐて、そのカメラワークの見事に、私は感心させられる事が多い。

何氣ない風景を何氣なく映してゐるやうに見えて、實はそのカメラアングルや枠取りや、近景遠景の取入れ方や配合などに、同局カメラマンらの竝々ならぬ技量や美的センスや經驗や工夫が鏤められてゐる事に、屡々氣附かされるのである。

まあそれも當然、それでこそプロの仕事と云ふものだらうが、一方そのカメラワークの見事は、私の見る處、ニュース番組などの畫面から自衞隊の姿を隱したり消し去つたりする爲には、もつと屡々、もつと遺憾なく發揮されてゐる。

例へば災害救助や被災地の復舊作業などに、自衞隊と消防と警察が出動してゐるとして、そのニュース畫面に映るのは專ら消防隊員や警察官らであつて、人員規模から言つても作業能力から見ても主力の筈の自衞隊の姿は、實に見事にカメラのフレーム外に押しやられてゐるのである。

政府專用機の絡むニュース畫面でもまた然り。 先づは遙かな遠景にその機影を捕へた後は、いきなり登乘口の大寫しに切り替はる。

周知の如く政府專用機を運航してゐるのは航空自衞隊であり、地上にあるその機體の近傍には、當然ながら航空自衞官らの姿がある筈だし、機首の邊りを大寫しにすれば、パイロットらの姿も垣間見える筈だ。

が、自分らの最高指揮官たる總理大臣や、その上位者たる兩陛下の御外遊なんぞに奉仕する彼等の晴れの姿が、NHKテレビの映像を通じて國民の目に觸れる事は先づ無いのである。

なんぞと、今更ながらにそんな愚癡を言ひたくなつたのは、他でもない、今月二十四日(土)の大相撲千秋樂の表彰式に、航空自衞隊の音樂隊が演奏を頼まれ、その指揮を我が縁者の二等空尉殿が遣る事になつた、と云ふ話を耳にしたからである。

私はこの數年、テレビの大相撲中繼を觀た事が無い。 いつの頃からか全く興味が持てなくなつたからだが、この表彰式の中繼だけは是非とも觀よう ……。

と一瞬、考へて、直後、NHKのカメラマンらが 「自衞隊隱しの常習犯」 であり、その爲の 「超絶技巧」 をこれまでに何度も驅使して來た事を思ひ出したのである。

そんな 「前科」 のあるNHKの遣る事、我が親愛なる二等空尉殿の指揮棒を振る雄姿や、その率ゐる音樂隊員らの演奏姿が、テレビの畫面に映される事は萬に一つもあるまい。

とは思ひながらも、やはり私はその表彰式中繼を觀る積りでゐる。 假りに萬に一つの例外、ないし 「NHKの手拔かり」 は無くとも、「十萬に一つ」 と云ふ事はあるかも知れないからだ。

それに何より、自衞隊員らの姿は隱せても、その演奏する樂音までは隱せまいから、せめてそれを聽いてやる事が、彼等の活動豫定を知つた自衞官OBの心意氣でもあらうと思ふからである。
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