民主黨の岡田克也副代表は雜誌 「世界」 の七月號に、「米國の核の傘から半分はみ出す」 のが日本の取るべき道だとして、次の三項目を吾國の主張とするやう訴へてゐるさうな。
① 米國に核先制不使用を宣言させる
② 非核國への核使用を違法とする合意形成
③ 東北アジア非核地帶構想
呆れ果てた言分である。 これが一體、間もなく政權を取るかも知れない政黨の幹部議員が、眞面目な顏をして 「主張」 してゐる事なのか、本氣で 「訴へてゐる」 事なのか。
先づ第一點に就いてだが、米國に限らず現在の核保有諸國に、軍事戰略上、核を先制使用する積りも、事實上その能力も無い事は、常識論として前囘このブログに論じた通りである。
にも拘らず、現實問題として米國以外の核保有諸國は既にその宣言を爲してをり、米國だけがそれを澁つてゐるのなら、それは核兵器の所在地を一切明かにしないのと同樣、米國の核戰略の一環に他なるまいが、岡田氏はそんな米國の國家戰略を、一體どうやつて變更させようと言ふのか。
抑も 「軍事小國」 たる吾國にそんな力がある譯は無いし、況はんや既にして米國から警戒の目を以て見られてゐると聞く 「民主黨政權」 に、そんな事が出來ると考へるのは、それこそ夜郎自大も極はまれりと云ふものであらう。
次に第二點、「違法」 云々だが、先の大戰中、米國が吾が諸都市を無差別爆撃したのも、遂には原子爆彈まで投下して 「非戰鬪員」 を殺戮したのも、全ては國際法上 「違法」 だつたのであり、さう云ふ 「合意」 もまた、當時の國際社會に於て充分に 「形成」 されてゐた。
にも拘らず米國の 「蠻行」 は止められなかつたし、戰後、米國がそのゆゑを以て糾彈される事も、無論、處罰される事もなかつた。
一體、何ゆゑか? それは成熟した大人なら誰でも知つてゐる筈の事だが、この世には國際法の規定も國家間の合意も、無論、岡田氏が米國に求めてゐる 「宣言」 ないし誓約等の拘束力をも超える最終的な權威が、詰り武力と云ふものが、儼然として存在してゐるからに他ならない。
即ち、謂はゆるユートピアに於てならば知らず、現實世界に於ては、事の正不正、當不當を最終的に決めるのは、とどの詰り、武力なのである。 國際法や諸國間の合意や誓約がどうあらうとも、武力に優る者は何でも出來るし、そのやつた事は何でも正しい事になる、それが現實であり、「大人の常識」 でもあるのだ。
そんな不條理な現實を直に容認する事を憚つた西歐人が、本來が暴力たる武力に、ラテン語を使つて 「ウルティマ・ラティオ」 即ち 「究極の理性」 なる尊稱を奉り、詰りは理想を現實に引寄せる事によつて、己が内なる理性の悶えに折合をつけてゐるのは、これまた全うな大人ならば當然に承知の事であらう。
無論、吾國の先人らも同じ現實を捉へて、但し、もつと實も蓋も無く 「勝てば官軍」 と、かの 「太平記」 の昔から言ひ慣はして來てゐる。 岡田氏に限らず軍事戰略やら安全保障やらを語る者は、せめてもの事、吾が軍記物の古典くらゐは讀んでおくべきであらう。
扨て、最後に第三點だが、それに就いては議論を省略する。 これ以上岡田氏の駄論に附合ふ根氣はもはや盡きたから。
たゞ、以上の三點を纏めて一言に盡せば、岡田氏の言つてゐる事は全て、所詮は日本以外の國々にだけ何かを期待して、自らは何の努力も拂はうとしない、甘つたれ根性丸出しの 「他力本願」 に他ならない。
正しく吾が 「平和憲法」 の前文に言ふ如く、專ら他國の 「公正と信義」 にのみ依存しようとする 「空想的安全保障論」 の惡しき見本に過ぎず、詰りは現實から全く游離してをり、隨つて具體的には何の效用も期待できないものなのだ。
假りにその主張に隨へば、「米國の核の傘」 から 「はみ出」 した吾國の 「半分」 は、西半分か東半分か、或いは太平洋側か日本海側かは知らず、周邊諸國から流れ來る 「核の雨雲」 の下に、ずぶ濡れ覺悟で放置される事とでもなるのが落ちであらう。
岡田議員の選擧區がどの 「半分」 に屬する事になるのかは、恐らく御本人にも解つてはゐまいが。 呵々。