日課としている読書や日々の生活を通じて感じたことをつづります。

尚友(しょうゆう)とは、孟子に見える句で、読書を通じて昔の賢人を友とすること。
最近古い本はあまり読みませんが、現実に対面する可能性がほぼないという点は、同時代の知識人も過去の文人と同様。本を通じた出会いからは得るものが多くあります。

メインの「書評」は本の批評というより、感銘を受けた本の内容を自分なりに咀嚼するため、備忘のために書いている観があります。
少し長めの日記ですが、気が向いたらおつきあいください。


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生誕百年,六十年 [2009年07月 3日(Fri)]

 今年生誕百年の太宰治が話題である。先月19日の誕生日(玉川上水に死体があがった日でもある)を中心に,各種メディアでも盛り上がった。特に若い人に人気で,よく読まれているらしい。本当かどうか知らないが,本が売れているのは事実のようだ。騒ぐから売れるのか,売れたから騒ぐのか?まあ純粋にどちらか一方,ということはなくって,騒ぐのと売れるのがしばらくの間相互作用をしてきて,それが今ピークを迎えている,という感じなのだろう。ブームというのはそういうものだ。
 今年生誕百年の作家といえば,松本清張もそうだ。彼の誕生日は12月21日なので,今度の冬には清張ブームが起こっているのだろう。太宰と清張が同い年,というのは少し意外だ。清張の方がずっと身近で,より最近の作家,という感じがする。個人的に純文学はあまり読まない,というのもある。が,清張の活躍は太宰が死んだあとに始まったので,大方の印象も同じだろう。清張はとても遅咲きだ。
 清張のデビューは戦後,40歳を過ぎてからだ。彼は戦争中,朝日新聞に勤めていた。以前は嘱託社員だったが,収入が減るにもかかわらず,正社員にしてもらった。案の定,陸軍から赤紙がきて応召し,朝鮮半島で終戦を迎える。その間,留守中の家族には,朝日新聞から給料が支払われた。今も正社員と派遣社員の格差が問題になるが,戦前も同じである。大企業のサラリーマンは安心して戦争に行けた。中小企業の職工,自営業者や農民はそうはいかなかった。
 清張といえば,「点と線」「ゼロの焦点」「砂の器」「黒革の手帖」など推理小説であるが,彼以前の推理小説(探偵小説)とは一風違う。江戸川亂歩を代表とする昔の探偵小説には,超人的な名探偵が出てきて,だれも解けなかった謎をことごとく解決し,皆をあっといわせる。しかしそんなのはどうも不自然だ。現実はそんなものじゃない。いくら小説でも,それはいかがなものか,というので,彼はより現実的な物語を描いている。清張の推理小説は,犯罪の動機を特に重視し,背景となった社会的事情にもしっかり触れることで,説得力を増している。ただ,彼が疑問視した名探偵は,21世紀の今も漫画やドラマの世界では主流のようだ。いつの時代もヒーローは必要とされる。
 子供は皆,ヒーローものが好きだ。うちの子も最近プリキュアにはまっている。善と悪がはっきりしていて,正義のヒーロー(ヒロイン)が活躍して悪をくじく。大変わかりやすい構図で,感情にも訴えかけるし,後味もよい。私自身もサンバルカン・ダイナマン・ギャバン等の戦隊ものをよく観ていた。しかし,そんな子供も成長するにつれ,世の中そんなに単純なものじゃないことを知ってゆく。それでも虚構の世界では,わかりやすい二分法で描かれた物語が支持を集める。それがあくまでエンターテインメントの範囲にとどまっていればよいが,このような思考法は少なからず現実を把握する際にも使われる。二分法やステレオタイプは思考を節約する。実際問題として,ステレオタイプ全くなしでものを考えることなどできないが,極端な二分法を現実に適用するのは危ない。
 純文学というのは,娯楽小説にありがちな,極端な二分法を排する傾向があるらしい。現実はもっと混沌としていて人間も社会も矛盾だらけである。人間の汚い所をさらけ出し,どうしようもない感情の奔流,そういうものをあからさまに描く。概して純文学は,後味があまりよくないのもそのためだろう。
 戦争に敗けた日本では,価値観が激変する。戦争に協力した知識人は競ってそれに追従を唱えた。これに対し,太宰は世の中の欺瞞を絶望的に感じとり,「斜陽」や「人間失格」を執筆したという。そして最後には情死を遂げて自身も破滅する。その後に登場した清張は,そういう戦争直後の激動から立ち直った人々に,より現実味のある虚構を,エンターテインメントとして提供した。純文学のように現実や人間本性を見つめすぎずに,かといって陳腐な空想に陥らない程度に,うまくバランスをとって成功した作家,といえるのではないだろうか。
 清張の活躍した時代は,新聞小説全盛期だった。皆が新聞を読み,そこから国民的作家が続々輩出していく時代だった。今では状況が一変している。今年還暦を迎え,最近しきりに新刊が取り沙汰されている村上春樹が,最後の国民的作家になるのかもしれない。私は嫌いだが。
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中国の歴史 [2009年06月24日(Wed)]

 ギリシャ神話,創世記,記紀…。多くの民族が豊かな神話をもつが,中国には神話が少ない。長い間神話だと思われていた殷王朝の実在は実証されたし,さらにその前の夏王朝も,実在した可能性が高いそうだ。三皇五帝のように純粋な神話もあるにはあるが,あまり面白くもない。面白いのはなんと言っても歴史であり,歴史がそのまま民族の物語になっている。
 近代以前,歴史家は虚構を取り入れることを格別厭わなかった。特に中国においてはそれが顕著である。他者が知ることのできない,当事者二人きりの場でなされたやりとりを,いかにも見てきたように描く。その描き方がみごとであり,歴史上の人物・事件をよく表現していれば,それは文句なしに歴史になってしまう。実際に起こったことが歴史なのではなく,記述されたことこそ歴史なのである。史実かどうかは問題でない。中国人にとって,歴史とは教訓を得るためのものであり,よい教訓が得られるかどうかが重要なのである。だから中国の歴史はおもしろい。
 中国には歴代王朝公認の歴史である正史が24あり,まとめて「二十四史(ニジュウシシ)」と呼ばれる。もちろんこれら正史にも,史実であり得ないエピソードが満載である。この二十四史の一部である17の正史に,宋代の史料を補ってコンパクトにまとめたのが「十八史略」という書物である。歴史の流れがざっとつかめるし,故事,金言がちりばめられていてとても重宝された。日本でも,侍の子はこの「十八史略」で歴史に入門した。少年時代に私が初めて読んだ活字の歴史物は,陳舜臣「小説十八史略」。これは小説なのでとても面白いが,小説にする前から小説の要素は非常に大きいのである。三国志にしてもそうだ。人口に膾炙しているのは小説である三国志演義の内容だが,正史に記述された事実だけでも充分ドラマチックでスリリングだ。何しろ,司馬遷「史記」の評価が高いのは,歴史・人物を初めて「活き活きと」書いてみせたことが大きい。
 もちろん,ちゃんとした史実の部分だけでも,中国史はおもしろい。特におもしろいのが,王朝の命運が尽き,新興勢力にとって替わられる王朝交替である。天命が革まるのでこれを「革命」という。皇帝の姓(中国の皇帝には姓がある)が易わるので,「易姓革命」ともいう。この革命に欠かせない役割を演じるのが盗賊である。この辺の事情を書いた,中国文学者・高島俊男の「中国の大盗賊・完全版」講談社現代文庫 はめっぽう面白いのでおすすめだ。
 一つの王朝が末期を迎えると,決まって無頼の輩が盗賊となって各地を荒らし回り,政権の瓦解を早めることになる。秦末の陳勝呉広の乱に始まって,漢末の黄巾の乱,唐末の黄巣の乱,元末の赤巾の乱など,枚挙にいとまがない。このようなあぶれ者,食い詰め者の盗賊団は,王朝衰退期に限らずいつでもいるのだが,特に皇帝の天命が尽きる頃に猖獗をきわめる。時には,盗賊の親分が天下をのっとって,皇帝になることさえある。こういう事態は驚くほど多く,ほとんどの場合「皇帝を僭称した」と後の歴史家に切り捨てられるが,何百年も続く王朝を始めた盗賊の親玉もいる。その代表選手が,漢をうちたてた劉邦と,明を興した朱元璋である。漢も明も,歴代王朝屈指の長期政権だ。知らない人はいまい。
 「盗」「賊」「匪」などと呼ばれる彼らは,ただの乱暴者ではない。さすがは文の国,中国では盗賊もある程度大きくなってくると,知識人を迎えて箔をつけるのがならわしだ。知識人の中には,科挙に失敗して不平を鳴らしていたり,世の中の不正義を憂えていたりするのがいるわけで,こういうのが賊軍に投じて,参謀として戦いをうまく進めるのはもちろん,大義名分を起案して檄を飛ばしたり,お頭が皇帝を名乗るときには国号を考えたり,元号を定めたり,暦をつくったりして,支配者としてのきちっとした形を整えていく。官軍と賊軍の違いは,そのときの王朝側であるかそうでないかの差でしかない。官軍であっても,兵の質はつねに極めて悪く,人民に対して賊軍よりもひどい仕打ちをする。そんな官軍を賊軍が破って,親分が皇帝になると,賊軍は官軍となる。新王朝が足場を固めると,やがて正史の編纂にとりかかる。
 正史というものは,王朝の交替後,前王朝の遺した公的記録をもとに編まれる。自分の倒した王朝について書かせるのである。すると,今の皇帝に都合の良いように事実が相当ねじ曲げられてしまいそうだが,普通は意外と良心的な仕上がりになっている。正史は,王朝交替からかなりの時間をおいて編まれるのが一つの理由だろう。もちろん,前王朝末期については,執筆時点の王朝のアイデンティティに関わる非常にデリケートなところであり,記述を割引して考える必要はあるようだ。
 良心的な仕上がりのもう一つの理由は,歴史家の心意気だ。中国の歴史家について,必ず触れられる逸話がある。命に替えても事実に反する記載を拒む姿勢を示すエピソードだ。春秋時代,斉の宰相・崔杼が主君を殺し,新しい主君を立てた。歴史を記録する官吏が「崔杼,その君を弑す」と書いたのに怒って,崔杼はその史官を殺してしまう。その弟が史官となるが,弟も「崔杼,その君を弑す」と書く。それを殺しても,さらに下の弟に同じことを書かれ,とうとう諦めたという話である。中国の文人ならば,二千年前から全員が例外なく知っているエピソードであり,歴史を綴る者は,この精神が常に頭の中にあった。そのため,中国の歴史に誇張はあっても,重要な歴史的事実が捏造されることは少ない。正史の編纂が初代皇帝のもとではなく,何代も経てから行なわれるのは,長い間尊重されてきたこの歴史家倫理を通すための防衛策なのかもしれない。創作されるのはささやかな事実で,そうであれば,中国の伝統的歴史観からみて何らの問題もない。日本史でも,信玄謙信一騎打ちのように,その種の創作は絶えない。
 清朝崩潰から間もなく百年になるが,最後の王朝清を描いた正史「清史」はまだできていない。もちろん現代の中国には,正史でなくても国家公認の歴史はある。西洋から近代歴史学が取り入れられ,歴史の見直しも進んだ。しかし20世紀を通じて,中国史の研究は日本の方がはるかに進んでいた。世紀の前半は革命,内戦,抗日戦争と混乱続きだった。後半も,イデオロギーに反する歴史解釈は許されず,御用学者が跋扈した。歴史上の農民叛乱はことごとく「起義」と呼ばれ,庶民が支配者に立ち向かう正義の闘いとして例外なく賞賛された。日本でも教科書で農民一揆の記述が過度に強調されたりしたが,あちらの教科書はもっとずっと熱がこもっている。抗日の歴史についても,冷静な記述は望めない。それでも最近では文化面の交流も進み,改善の動きはあるようだ。しかし,改革開放を経た今でも,共産党批判の言説は依然として封じられている。今年20周年を迎えた天安門事件についても,当局は内に向けては情報を伏せ,外に向けては正当化している。
 そんな中国でも,いつかは自由に歴史を語ることができるようになるだろう。時の流れは傷をいやすし,何より情報の流通をそういつまでも統制し続けることなどできない。マルクスの唯物史観は大いなる誤謬だったが,言論の自由化という方向は歴史の必然という気がする。
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言論統制 [2009年05月26日(Tue)]

佐藤卓己 「言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家」 2004 中公新書

 本書の主人公は,戦前の言論弾圧の代名詞とされ,長らく悪玉と決めつけられてきた情報官・鈴木庫三陸軍少佐だ。本書は,著者が発掘した新史料に基づき,彼の再評価を試みたものである。著者はメディア史が専門。「現代メディア史」,「八月十五日の神話」,「テレビ時代の教養」,「輿論と世論」など,多数の著書がある。最近私が傾倒している著者の一人である。
 出版史の通説によれば,満洲事変以来,出版業界は軍や警察の事前検閲,事後指導によって統制され,言論の自由は封殺されてきた。用紙の配給権を国家が握り,いうことをきかない出版社は潰される。軍部の圧力によって自由主義的言論は影を潜める。国家主義的言説がはびこり,全体主義的雰囲気が醸成され,その世論に後押しされて,ついに無謀な対米開戦に至る。そのような戦時中の言論弾圧の象徴として,戦後,激しい批判のやり玉に挙がったのが,鈴木庫三であった。
 「小ヒムラー」などと,戦後知識人がこぞって指弾した重要人物であるにもかかわらず,意外にもその経歴,思想など,鈴木に関する情報は乏しい。鈴木個人についての研究もない。彼にはいくつかの著書があるものの,それがしっかり読まれた上で批判されてきたともいえない。鈴木庫三とはいかなる人物だったのか?
 このような問題意識をもち,著者は新聞社などを通じて関係者を探していた。そしてついに鈴木の遺族と連絡がつき,彼の遺した厖大な日記類が日の目を見る。これら一級の一次史料をもとに,鈴木庫三という人物を描きなおす。同時に,各出版社の社史などによる戦後の不正確な告発が,引用を繰り返すうちに肥大化し,彼の虚像がつくりだされてしまった経緯にも分析を加える。
 鈴木に代表される軍の情報官のマイナスイメージ。それを,戦後初めて大衆に植えつけたのが,石川達三の小説「風にそよぐ葦」である。映画化もされたこの作品に登場する,泣く子も黙る情報官のモデルが鈴木である。言論や出版のことなど何もわからぬ若い情報将校が,ただ軍の権威を笠に着て,老練な大出版社の幹部連を呼びつけ,国策に沿うよう威嚇する様子が描かれている。当然,小説ということもあり,軍=悪というステレオタイプによる誇張や想像が多い。賄賂を取り,接待を仕向けるような記述もあるが,鈴木日記によると,彼個人はこのような不正を毛嫌いしていた。鈴木は若き情報官でもない。彼が情報官として活躍したのは1940年前後,40代後半のころである。その時点で少佐というのはだいぶ遅く,停年までに彼が将官になる可能性はなかった。貧しい家で育ち,家業の手伝いで受験が遅れた。陸軍士官学校を出て職業軍人となるも,年齢制限で陸軍大学校へは行けなかった。エリートコースには乗れなかったのだ。陸大を出た同僚はどんどん昇進してゆく。このような出身階級間の,決して超えられない壁という矛盾が,彼の思想に大きく影響を与えた。
 小説には誇張がつきものとはいえ,どうしても世間ではそれをもっともらしいこととして受け取ってしまう。さらに悪いことに,この小説に便乗して,戦後を支配したステレオタイプに沿った回想録が,次々と出版され蓄積されてゆく。不確かな伝聞の形で述べられた証言も,いくつも積み重ねられるうちに事実として一人歩きしていく。中には全く事実に反する証言をする者もいた。治安維持法で服役した経験をもつ教育批評家国分一太郎は,出獄後の昭和18年に鈴木中佐に威嚇され殴打までされた事実を書いた。しかし,当時鈴木は情報部を転出し,輜重連隊長として大陸にいたため,これは不可能である。自己正当化のための虚言だが,当座をそれでしのげば,目的は達せられる。時流に乗ったこの種の証言の信憑性が,当時問題にされる心配はなかったろう。旧軍関係者が着せられた濡れ衣は相当数あったに違いない。
 戦後は言論界でも戦犯捜しがなされ,講談社,実業之日本などは戦犯出版社とされた。脛に傷もつ者は皆,自らの罪を少しでも軽くするため,事実を曲げて責任を軍や政府に転嫁した。むしろ戦時中の出版社は言論統制で潤っていた。統制によって返本がないためである。検閲も最初から権力によって押しつけられたのではない。発行後に難癖をつけられたのでは打撃が大きいので,出版社の方から積極的に国家による事前内閲を希望した。そういう相互作用の中から戦時下の各種制度は作られた。鈴木が活躍したころ,情報官詣ではすでに出版社の常識だった。軍への阿諛追従によって出版社は空前の利益を上げており,両者の間には持ちつ持たれつの関係があった。潔癖で,宴会で籠絡できない鈴木は,扱いにくかっただろう。担当者のその鬱屈した心理が,戦後の彼への集中砲火につながったのかも知れない。
 往々にして歴史観はこのように構築される。後世からの厳密な史料批判が,いかに重要かがわかる。敗戦後の情勢におもねった言説や,それのみを引用してただステレオタイプを強化するだけの論説を,頭から信用することはできない。新発見の日記によって,出版社史をはじめとする,戦時下の言論状況について書かれた書物と事実関係をつきあわせ,批判的に読んでいく作業が,本書では展開される。
 日記から見えてくる彼の実像は,誠実で勉強熱心な知識人将校である。庶民の窮状を憂え,上流階級の頽廃を批判し,そういった閉塞した社会を打開するために国民教育の必要を説く,平等主義者であった。初入営のころから,いじめ,員数合わせといった内務班の悪弊に憤りを感じ,これを改革する意見を上官へ具申する。内務班とは,寝食をともにする,平時の兵営生活の基本単位である。そこでは,上官からのシゴキや理不尽な仕打ちが絶えず,紛失した備品を他班から失敬する員数合わせも日常茶飯事だった。そのような旧弊を打破しようとする鈴木の行動は,当然組織の中でさまざまな軋轢を起こす。不利益な処分をされることもあったが,こういう面での彼の潔癖さは,その後も変わることがなかった。苦学の末軍人となった後も,彼は軍務の傍ら日大の夜学に通い,さらに東京帝大派遣学生として,倫理学,教育学を学ぶ。このときの経験と人脈が情報局で活かされることになる。
 情報局では,年二百回の講演をこなし,多くの自署論文を発表し,座談会に出席し,幹部の代筆で雑誌向けの記事も相当数執筆した。まさに能吏であった。彼は,機会の平等を上から実現し,貧しくとも能力があれば大学へ上がれ,貴重な人材となって国に貢献できるような社会を夢見ていた。富裕層や中流の生活水準を下げてでも,社会的弱者へ資本を配分すべしという信念をもち,そのためには国を挙げての教育と統制が肝要であると説いた。正義感,使命感に燃え,思想,言論についての知識も充分で,出版社と議論で渡り合った。恫喝・強要する軍人ではなく,学習し計画する軍人であった。精神主義者でなく合理主義者であった。
 このような鈴木を,著者は造語で「教育将校」と呼ぶ。軍と教育は相反するように感じるが,両者は実はとても親和的なのだ。平時における軍隊の任務とは,教育に他ならない。陸軍は士官学校のほかに,自動車学校,砲工学校,砲兵工科学校など各種の学校をもち,専門的教育を施していた。閉鎖的な農村から徴兵した若者を,兵営に集めて二年間集団生活させることも,国民教育に資するところ大であった。敗戦後,鈴木の思い描いた方法とはまた違った形で,教育の普及が模索されていくことになる。
 戦後鈴木は,東京から熊本へ移り住む。農業で生計を立てるが,講話条約発効により公職追放が解けると,公民館の館長に就任。自ら発行する弘報を通じて住民教育に寄与する。彼の思想の根幹は戦中と何らぶれることがなかった。
 時間が経たなければ,本当に歴史を語ることはできない。事件に関する当事者が多数残っている状況では,史料があってもそれを冷静に分析できない。戦後しばらくは戦争の生々しい記憶が社会を支配した。その雰囲気の中で,鈴木が声をあげることは難しく,その死後に遺族が口を開くこともあり得なかった。人間は政治的動物であり,誰でも周りの状況と自分の置かれた立場に基づき,我が身を処してゆかなければならない。そのような圧力と,時間の経過の中にあって,人間の記憶は簡単に改変をうける。改変された記憶によってステレオタイプは一層強まり,それが次の世代に受け継がれてゆく。一次史料に基づく地道な歴史研究は,それに一石を投じる点で非常に重要である。善悪二分論はわかりやすいが,それに寄りかかってしまうと実情を見失う。過去の過ちも,責めを帰すべきは個々の人間ではなく,社会システムではないだろうか。
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責任という虚構 [2009年05月 5日(Tue)]

小坂井敏晶 「責任という虚構」 2008 東京大学出版会

 最近,毒カレー事件で最高裁は死刑判決を出した。直接の証拠がなく,被告人は一貫して否認していたにもかかわらず,被告人が犯人であることに合理的な疑いを挟む余地はないとされた。結論は当然とする意見が多いが,事件の事実関係をそれほど深く知らない身としては,何ともいえない。確かに言えるのは,彼女の精神力が相当なものであることくらいだろう。警察,検察の取り調べは,無実の者が架空の犯罪事実を認めるほど厳しい。拷問がないとはいえ,長期間身柄を拘束される不自由は,相当に精神をさいなむ。彼女が一度も自白することなく否認を貫いたのは驚嘆に値する。
 以前,死刑廃止の運動に対して,何となく反感をもっていた。死刑制度について,深く考えていたわけではない。素朴な感情としてそう思っていた。マスコミの論調に乗せられていたというのも大きい。しかし,いまはかなり揺れている。欧米で死刑廃止が採用されてきたことには,もっともな理由があるように思えてきた。個人の主体性や,責任という概念は,皆が思っているほど確かなものではなさそうだ。そのことは自分の行動をふりかえってみても,思いあたるふしが多い。
 著者は,パリ第八大学の准教授で,社会心理学を教えている。同じ著者による「民族という虚構」に続いての紹介だが,本書では,タイトルの通り,近代社会に不可欠な概念である責任の虚構性をテーマにしている。
 前著では,民族という虚構を多くの人が信じることによって,現実の国際社会がなりたっていることが示された。そうは言っても,民族紛争のように,虚構を過度に盲信して起こる悲劇は看過できない。虚構性を前提としてよりよい解決を考えていかなくてはならない。本書も,多くの人が信頼を寄せている責任という考え方を,ホロコースト,死刑制度,冤罪などの例を通して分析し,相対化してみせる。非常に刺戟的な本であった。新書を読むことが多いが,もっとずっと部数の出ないこういう本にこそ,いいことが書いてあるものだ。
 近代社会は,個人を至上とし,個人を中心につくられてきた。中世は宗教という虚構によってまとめられてきたが,近代は法によって秩序が保たれる。いま,たいていどの国においても,憲法は個人の尊厳,人権を至上価値と謳っている。民法の根本原則は私的自治であり,自立した個人同士の契約によって経済活動が営まれる。自由意思に基づく契約だからこそ,その履行には責任が求められる。刑法で人間を裁く根拠も,個人の自律性から導かれる責任という概念である。刑事責任は,他の行動をとれたのに,敢えて罪を犯してしまったという点に対して問われる。人間として未熟な子供や,自由意思に基づく行動のとれない心神喪失者は,自律性をもたないため,その行為を罰することができない。
 しかし,自立した個人という考えはフィクションである。どんな人間も他律的な存在にすぎない。まず,誰もが納得するように,両親からの遺伝,育ってきた環境で人格形成は左右される。注意が必要なのは,環境からの影響というのは思った以上に大きく,しかも本人にとって無自覚のうちにおこるということだ。「好き」とか「嫌い」とった,極めて主観的と思われる感情―嗜好―さえ個人の内部で自律的に形成されるのではない。実証研究の成果によれば,個人が,ある対象について現在いだいている好悪の感情は,それまでに対象と接した時間の長短に大きく影響される。人は,自分が過去に多く触れてきた対象に愛着をもつ。雛鳥のすりこみのように,そうやって無意識に嗜好が形成される。もちろん,人生を重ねるにつれ嗜好は固定してゆき,好きなものを選択する,という常識的な現象が観察される。しかし白紙状態からの嗜好成立においては,逆に接触したものを好きになるのである。どのような対象に多く接触するかは,自分の意思よりも環境に左右される,多分に他律的な事柄である。広告などで嗜好性を操作することは十分可能である。個人の思考様式,行動様式に対する外部からの影響というのは,思いのほか大きい。
 劣悪な環境で育ったことが,犯罪の遠因をなすことは常識とされている。しかし,同じような境遇におかれても,罪を犯さない人もいる。そのことを根拠にして処罰は正当化されるのだが,どうやらこの根拠も怪しい。ふつう我々は,人間がある行動をとるとき,それは自由意思に基づいた行動である,と考えるが,これは誤解である。認知神経科学や大脳生理学の知見によれば,無意識的指令によって身体の運動が起こり,それと並行して対応する意思が生じる。意思の発生は運動より若干早く起こるので,本人は自由意思によって体を動かしていると錯覚するにすぎない。これを実証する実験の一つにこんなものがある。勝手な時点にボタンを押させて表示を変える実験で,次の細工をする。被験者の無意識的指令を電気的に検知し,意思の発生に先立って表示が変わるようにするのだ。すると被験者は,ボタンを押す前どころか押そうする前に表示が変わる違和感を強く覚える。意思と行為の関係がそのようなものだとすれば,現実に犯罪行為に及んだか否かは,自由意志による選択の結果ではなく,無意識的指令が生じたか否かという偶然に左右される。そうだとしたら,いったいどうして人間は人間を裁けるのだろう。
 とどのつまり,人間の自律性は幻想である。人は,ある行動をとったとき,その動機を問われると,後からもっともらしい理由づけをして,それが動機であったと信じることが多い。その行動のきっかけが実際には外部によって作りだされていたとしても,本人は自主的に行動したと信じこんでしまう。人間は常に意味づけをする動物である。特に学歴の高い人,社会的地位の高いエリートほど,自分が自律的であるという信念が強く,その分,自己の他律性に気づかない。彼ら合理主義者は,本当は他律的にふるまう自分を,自律的にふるまっていると錯覚するため,より外部からの操作を受けやすい。人間とは,外部との情報交換が不可欠な,外部に開かれたシステムにすぎない。それにもかかわらず,個人の自律性が信じられているのは,それが近代社会の基礎になっているからである。自律性幻想なしには,自由な個人を前提にした,今の形での社会はなりたたない。
 本書は,幻想の上になりたっている社会を否定しようとするのではない。現在も,歴史という連続体の中に埋めこまれている以上,我々は,近代という虚構の上に生きるしかない。社会の前提にある虚構性を意識し,修正すべきは修正しつつ,当面はだましだましやっていくほかない。中世の軛から解放されたように,将来,この状況が克服されるときはくるのだろうか。人間が人間である以上,それは無理なのかもしれない。
SNS

民族という虚構 [2009年04月22日(Wed)]

小坂井敏晶 「民族という虚構」 2002 東京大学出版会

 誰もが知っている語だが,民族とは,考えてみれば不思議な概念である。例えば,今の日本人と明治の日本人は,ほとんどすっかり構成員が入れ替わっているはずだが,民族として連続しているとみなされる。なぜか?血縁によって日本人という特性が継承されるわけではない。身体的特徴の似通った民族間で,赤子の取り違えが起こることを想定すれば,このことは明らかだ。民族を区別するのは,言語や信仰といった後天的要素であり,先天的な血のつながりは問題にならない。
 民族とは,共通の文化的基盤をもつとされる人間の集団である。出自・言語・宗教・生活様式・居住地などの文化的背景を共通にしていることが,同じ民族であることの一つの目安となる。これらの中でも特に言語が重要な基準とされるが,決定的な基準はない。母語を共通にしていても,信じる宗教が異なることで別の民族とみなされる場合は多いし,言語・宗教が似通っていても,たどってきた歴史が異なるために別の民族と考えられることもある。一つの民族は一定の地域に集まって住んでいることが多いが,ユダヤ人やアルメニア人のように,世界中にちらばっている民族も少なくない。文化的な伝統に加え,身体的特徴,政治的・経済的つながりなど,民族を分ける基準には様々なものがあるが,どの基準がどの程度異なれば別の民族,というふうに機械的には分けられない。
 それでは民族の核心は何かといえば,帰属意識,仲間意識に他ならない。この点で民族は,他の「われわれ」意識をもつ集団,すなわち家族や親族,あるいは地域社会,会社の同僚,といった共同体と異なるところはない。民族はこれらの共同体のうち,もっとも大規模なまとまりといえる。特に面識がなくても,同郷の人とか,同じ会社で働いている人に対しては,ある程度の親近感がわくものである。そのような親近感が民族という同胞意識に決定的な役割を果たしている。であるから,人間の集団同士が同じ民族か異なる民族かという問題は,きわめて主観的な感情の問題である。このような主観性が,民族を複雑にしている。
 実は民族に限らず,何かを分類する,分ける,というときには,必ず人間の主観が混じってしまう。例えば生物の分類のひとつに「種」がある。この「種」という範疇は,交雑可能性の有無で定義される。集団Aに属する個体と集団Bに属する個体が交雑不可能な場合,AとBは別種の生物とされる。しかし,条件によっては,別種とされている生物同士が交雑する場合もあるし,無性生物においては,この考え方がそもそも適用できない。自然はきれいに分類できるものではなく,連続的なのだ。交雑可能性という原則どおりの分類は現実的に不可能であり,実際には個体をよく調べ,外形的特徴や生態の差異に着目して個々の生物の分類はなされてきた。複数ある特徴のなかには,それが異なる場合に別の生物とされる特徴もあれば,異なっていてもそれは個体差であり,同じ生物とみなされる重要度の低い特徴もある。どの特徴が重要であるかは,論理的に決まることではなく,人間が恣意的に決めるほかない。科学的な分類といってもこれほど人の主観が入る。自然は正しく分類されるのを待ってなどいない。世の中に客観的な分類などないのだ。
 筆者は,人間の分類としてより単純な概念である人種をまず例に挙げ,そこでの議論を敷衍して民族の虚構性を鋭く指摘する。人種とは,人間を身体的特徴によって分類する考えである。コーカソイド,モンゴロイド,ネグロイドという三分法が18~20世紀にはかなり普及していた。この三分法は,肌の色によって人間を分けるものであるが,身体的特徴は肌の色だけではない。身長,目の色,体毛の色や濃さ,鼻や頭部の形など,様々な切り口が可能である。身体的特徴のうちなぜ肌の色が大きく取りあげられたのか。それは西洋文明を優れたものとするイデオロギーを正当化するために便利だったからという。他の基準では,西洋人の一部がアジア・アフリカの人たちと同じ分類にカテゴライズされてしまったりして不都合だったのである。人種は虚構である。文化という,より抽象的な指標に基づいて人間を分類する民族も,虚構であるほかない。
 民族は社会的に構成された虚構であり,そこには歴史的経緯や政治的思惑の関与が避けられない。「われわれ」意識が民族成立の必要十分条件であり,その「われわれ」意識が正当な根拠のあるものかどうかはどうでもよい。構成員間に存在するとされる血縁関係が単なる神話であっても,構成員が共有するとされる伝統や歴史が,意図的に捏造されたものであっても,多くの人がそれに対する帰属意識をもつのなら,民族は成立し,そのことによってのみ民族は成立する。民族は近代化の産物である。近代国家は,国民をまとめるために,共通語としての国語をつくりあげ,教育を通じて民族の歴史を教えこんだ。ドイツ人であれ,日本人であれ,19世紀の近代化によって確立してきたもので,中世にはそのようなカテゴリは存在しなかった。しかし,これを上から無理矢理押しつけられた一面的なものと考えてはならない。統合されるべき人々も,世界が拡がるなかにあって,自己のアイデンティティ確立を求め,民族の神話にとびついた。近代化の過程で,両者の利害は一致したのである。
 民族は,内部の同一化によってできるように思えるが,この理解は正しくない。民族意識は,むしろ外部との差別化・差異化によって成立し,維持される。外部がなければ内部はないのだ。顕著な例が,ヒトラーによるユダヤ人虐殺である。当時,ドイツのユダヤ人は,言語,宗教,居住地等の面で,ドイツ社会への同化が相当程度進んでいた。ユダヤ教の戒律を守り,ゲットーに押し込められていた,東欧のユダヤ人とは対照的である。ナチスがユダヤ人に目印の着用を強制したのは,同化の努力によってユダヤ人とドイツ人の見分けがつかなくなっていたためである。異民族であるべきユダヤ人が,社会に溶けこんで見えなくなることに,ドイツ人は危機感を抱いた。ヒトラーはその不安を煽り,問題の「最終解決」を図った。そして逆説的だが,この兇行こそが,シオニズム運動を強力に後押しする。もし滞りなく同化が進んでいれば,ユダヤ人という民族の範疇自体が消え去ったはずである。ホロコーストがなければ,イスラエル建国はなかった。同化が完遂される一歩手前で,差異化という反動が生じ,民族の境界が否応なくつきつけられた。本当のところは差異がなくても,何らかのきっかけで差異化・差別化が始まれば,そのこと自体によって差異は生まれ,増幅してゆく。差異化の運動によって民族は形成され,維持されるのだ。世界にはさまざまな民族があるが,各民族が自立した範疇として存在するのではない。民族は,差異の体系としてある。
 民族に限らず,近代の生み出した多くの概念は,本質ではなく虚構である。中世の社会は,宗教という虚構が支配していたが,近代が生み出した社会システムも厖大な虚構の産物である。虚構といっても,それは無意味で無用のものではない。その虚構を多くの人が信じることによって,現実の人間社会はなりたっている。そして,このような虚構の上にしか,現実の社会というものは存在しえない。虚構をどう考え,いかに扱ってゆくか,それこそ将来人類が生き残っていく上で重要なことなのだろう。
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同訓異字と同訓類義語 [2009年04月 8日(Wed)]

 日本語の同音異義語の多くは漢語であるが,和語にも同音異義語とされる語がある。もっとも発音も表記も同じ語のことは同音異義語とはいわない。その場合は同じ語が複数の語義をもつと考えるのが普通である。例えば,「この部屋は明るい」「彼は明るい性格だ」「彼女はこの分野に明るい」の三つの文において,「明るい」というコトバはそれぞれ異なる意味をもっている。しかしだからといって,これら三つの「明るい」が同音異義語だとはいわない。「明るい」という一つの語に,いくつもの意味があり,文脈によって,そのうちどの意味であるかが決まるのだ,と考える。日常的,基本的な単語ほど,応用範囲が広く,このような多義性をもつ。とすれば,同音異義語とは,発音は同じだが,表記の異なる語のことであり,そうだとすれば,和語の同音異義語とは,すなわち同訓異字のこと,といえそうだ。
 もっとも,発音と表記が同じで,しかも別のコトバというのもないではない。語源が全く別であることがはっきりしているような場合は,表記が同じ同音異義語がありうる。特に外来語は,輸入経路が比較的はっきりしているため,この種の同音異義語が珍しくない。例えば,「ライン川」の「ライン」と「エアライン」の「ライン」は別語である。原語ではそれぞれ「Rhein」「line」だが,日本に入ってくると本来あった発音の差,表記の差がなくなってしまう。「駅のホーム」の「ホーム」と「マイホーム」の「ホーム」も,全く別の語である。二つの「ホーム」はそれぞれ英語では「platform」「home」であったが,前者が「プラットフォーム」になり,つづめて「フォーム」になったうえ「ホーム」に単純化して,後者との区別がなくなった。他にも,「ポテトチップ」と「チップをはずむ」,「送風ファン」と「熱心なファン」など枚挙にいとまない。しかし,和語や漢語ではなかなかそういう例は見あたらない。同音異義の和語=同訓異字語と考えてほぼ問題ないだろう。
 漢語について前回考察したが,現代日本語で,同音異義の和語が安定して存在しているのも漢字表記が異なるためである。表記の違いに支えられ,同じ読みでも一方の語が他方を駆逐する同音衝突の心配は少ない。もっとも,過去に目を向けると事情はやや異なる。和語は,近世まで漢字表記されることがあまり標準的でなかった。であるならば,「あたらし」のように同音衝突が顕在化し,語形変化や廃語化によって,和語の同音異義状態は近世までに解消していてもおかしくなかった。しかし現実には同音異義の和語は,長いこと別語として並立している。これはどういうことであろうか。
 おそらくアクセントのおかげではないだろうか。かな表記が同じでも,アクセントを加味した発音が異なれば,「同音」ではないのだろう。確かに,同音異義の和語には,表記だけでなく,アクセントによって発音で区別できるものが多い。「雨」と「飴」,「白」と「城」,「花」と「鼻」,「橋」と「箸」と「端」などなど。「橋」と「端」のアクセントはともすれば同じように聞こえるが,「橋を渡る」「端を渡る」と言ってみれば分かるように,それぞれ低高,低低と異なるアクセントである。アクセントに差があるおかげで同音衝突が回避できたのだろう。
 もちろん,「金」と「鐘」のように,発音はもちろんアクセントまで同じで,しかも異なる和語というのもある。しかし,そのような同訓異字語の多くは語源を同じくしている。もともと一つだった和語が,時代を下るにつれ新たな意味でも使われるようになって多義化し,それを意味に応じて異なる漢字で書きわけているうちに,別語と感覚されるにいたった。同音異義語とは逆様の現象なのだ。もともと金属一般を指していた「かね」という語が,金属製の打楽器を指すのにも使われるようになり,その意味においては特に「鐘」と表記するようになった。「習う」と「倣う」なども同様であろう。「目」と「芽」,「書く」と「欠く」さえ同源という説がある。
 このように,語源が同じ同訓異字語を,便宜上同訓類義語と呼ぼう。同訓類義語同士の意味の差は,さまざまである。「使う」と「遣う」などは今からみてもほぼ同じ意味だ。「遣う」と書くのは例外的で,「仮名遣い」等の特定の語について用いる,などの使い分けがあるが,慣習にすぎない。「早い」と「速い」などでは,時間的な意味としては前者を,速度の意味としては後者をつかう,とされている。「熱い」と「暑い」にも同様の区別がある。しかし,いずれにせよ同訓類義語は,本来の和語としては一つであった。意味に区別はなかったはずだ。
 言語によって世界の切り取り方は恣意的である。文字をもたなかった日本人は,固有の語彙である和語を,外来の漢字で表記する訓読みという手法を編みだした。しかし,漢字とは,中国語によって世界を解釈するための文字であった。当然,和語と漢字の一対一対応は不可能だ。一つの和語に二つの漢字が対応し,それぞれの表記が定着すれば,見た目が異なるのだから違った意味を付与して使いわけたくなる。それが経済的である。それぞれの表記に付与する意味は,原語である中国語での意味にあわせるのがスジであろうが,必ずしもそうなってはいない。日本人は漢字を使うとはいえ,中国語に精通しているわけではない。実際にはどういった熟語に使われる文字であるかによって,何となく分けられていることが多いのではあるまいか。「早朝」「高速」などの熟語のイメージが,「早い」「速い」の表記のもつ意味あいに影響を与え,その区別が次第に確立してきたのだと思われる。多義化した語を異なる漢字で書きわけるようになった,というより,一つの訓読みに異なる漢字を宛てたために多義化したというほうが正しいかもしれない。「明るい」などの基本語は,表記を変えずに多義化した。それに対し,漢字表記を分けたことが原因で和語が多義化すると同訓類義語になる。
 訓読みというのは日本語に特異的なものであり,同様に漢字文化圏に属していた朝鮮にもベトナムにもなかったとされている。我々日本人は特に違和感をもたないが,訓読みとは「山」と書いて「mountain」と読むようなもので,実は結構無茶なことをしている。時を経て,その訓読みは社会に定着し,それが和語の意味を分化させた。漢字を取りいれたことで日本語は文字を獲得したが,その外来の漢字によって日本語は大きく姿を変えてきた。固有語彙であった和語でさえ大幅な変化をまぬかれなかった点は,注目に値する。
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同音衝突と同音異義語 [2009年03月19日(Thu)]

 暮れの記事で,三歳の長女の「ヘリポクター」について述べた。このほか,彼女の音位顚倒に「ぬいるぐみ」がある。元の「ぬいぐるみ」の方が言いやすいのではないかとも思うが,保育園の「うめぐみ」や「ももぐみ」に引張られてのことであろうか。ぬいる組?
 その際,惜しい意の古語「あたらし」が,「あらたし」から音位顚倒によってできた「あたらし」に駆逐された事情も見た。このように,もともと異なる単語が音変化等によって同音になり,衝突を起こすと,より多く使われる単語が他を圧倒してしまう。劣勢な単語は淘汰されて死語となる。同音異義語の存在は一般に不安定なのだ。しかし,これに反して,現代日本語には異常に多くの同音異義語が存在する。この理由は何だろうか。
 日本語に安定的に併存する同音異義語のほとんどは,漢語である。それも,古くから漢籍によって知られる狭義の漢語ではなく,明治初期以降,西洋書物の翻訳の必要から創り出された新漢語だ。西洋のものの考えかたは,当時の日本に存在しなかった。だからこそ翻訳して紹介する意義があったのだが,それに際して翻訳者は,西洋の概念を表現する言葉を,何とかして編みださなければならなかった。あちらで使われている単語の音を写し外来語として持ってきてもよかったが,漢文の素養をもつ当時の知識人は,複数の漢字を組みあわせて造語する路を選んだ。これは名案だった!
 カタカナの外来語を見たって,知らなければその意味は想像もつかない。しかし漢字を並べた漢語なら,個々の漢字が意味をもつため,理解しやすい。福澤諭吉による「演説」,西周による「哲学」をはじめ,表意文字という漢字の特性を存分に活かして,厖大な数の新漢語が生みだされた。漢字の音は度外視され,字面に頼って造語がなされる。新漢語は,音声言語ではなく,文字言語としてつくられたのである。音韻体系の単純さから,日本語では昔も今も漢字の発音パターン数が非常に少ない。しかし文字言語は,話し言葉で使ったり,読みあげたりするための言葉ではないから,造語にあたって同音衝突はまったく顧慮されなかった。そのため明治の新漢語激増が,結果として同音異義語の氾濫につながる。
 江戸時代,文字の読める人は多くなかったが,明治以降の近代教育により,文盲率は劇的に低下した。日本国民は漢字を身につけ,新漢語もどんどん使うようになる。文字言語として造られた新漢語ではあったが,そのうち口語でもどしどし用いられるようになった。基本的に同音異義語は耳で聞いても区別がつかない。「機嫌」と「紀元」など,中にはアクセントで区別されるものもあるが,アクセントは複合語になったりすれば変わるし,地域によっても異なる。北関東など,平板式アクセントが支配的なところもある。アクセントの同じ”純”同音異義語だって掃いて捨てるほどある。普段の会話で,我々は何の問題もなく同音異義語を聞きわけているが,不思議なことである。
 日本人は,耳で聞いた漢語を,音のままでなく無意識に漢字に変換して解釈しているのだろう。「ヘンカンのキゲンがせまっている」と聞けば,誰でも「返還の期限がせまっている」と頭の中で漢字に置きかえて意味を解している。「変換の起源がせまっている」等と受けとる人はいない。日本語会話では,話者同士が自然と文脈に適した字面を思いうかべることで,同音衝突を回避しているのである。聞いた漢語の意味があいまいな場合には,「それってどんな字だっけ」と聞きかえすこともある。「私立」を「ワタクシリツ」,「市立」を「イチリツ」等と言って区別することもある。意味の差異が小さく,文脈からの判別が微妙な同音異義語において,思いうかべる字面を指定するため,はじめから発音で区別をするのだ。ここでは,一つの漢字に音と訓という複数の読みかたがある日本語の特性がうまく利用されている。
 漢語は意味を音が担うのではなく主として文字が担っている。そのため,漢語はあまり会話向きではない。実際,文章の日本語は漢語が多いが,口語の日本語は和語が多い。これほど読み書きと会話で様相の異なる言語も珍しい。それでも,語彙の大半が漢語である以上,会話から漢語を排除することはできない。だから会話でも意思疎通には漢字を媒介にせざるをえない。日本人は無意識に苦もなくやっているが,これには非常な訓練がいる。外人にとって,日本語はやはり難しいに違いない。
 明治の初めと,敗戦後の一時期,日本語から漢字をなくそうという運動が高まった。明治の初期ならいざ知らず,文盲率が低下し新漢語が普及していた戦後において漢字の使用をやめようというのは,これは無茶苦茶な話であった。仮に漢字を廃止して,日本語をかな表記あるいはローマ字表記とすれば,同音異義語はほとんど絶滅してしまう。同音異義語はもともと音では区別できないのに,表記まで表音式にしてしまっては,文字に書いても区別がつかない。そうすると,「あたらし」のように,最も使用頻度の高い語を残して,他の同音異義語は淘汰されること必定である。
 その証拠に,漢字の読めない子供は,漢語の同音異義語を区別して使いこなすことができない。確かに,うちの娘も「階段」,「準備」,「自転車」など,一部の漢語を理解し,適切に使ってはいる。しかし,彼女が「コーエン」と言えばそれは必ず「公園」であって「講演」や「後援」などではない。漢字の助けがなくては,同音異義語は併存できずに,語彙は減少し,日本語は稚拙なものに退化する。漢字かな交じり文が標準となる近代化以前は,特に和語を漢字で書くことは稀であった。惜しい意の「あたらし」が駆逐されたのも当然だろう。
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大槻教授の最終抗議 [2009年02月11日(Wed)]

大槻義彦 「大槻教授の最終抗議」 2008 集英社新書

 小学生の頃,心霊写真とか超能力がもてはやされていて,友達の間でその種の本を回し読みしたような記憶がある。テレビでもよく超常現象をとりあげる番組が放送されていたようだが,親の方針からかそちらはあまり見た憶えはない。その後科学少年になった私は,そういうオカルトめいたものに疑問を感じるようになっていた。そんなとき,科学者の立場から,オカルト批判を展開する人物が登場する。この本の著者である。子供心にその姿はとてもかっこよく見えたものだ。
 それから二十年ほど,すっかり忘れていたその大槻義彦が,最近の占い・スピリチュアルブームに対して書いたというので,ふと手にとった。読んでみて,ひどく衝撃を受けた。
 何がショックだったって,この本自体が結構トンデモ本だったのだ。「オカルトなんて,科学的に考えれば明らかにインチキだ。そんなもので人心を惑わすとは怪しからん。」という主張の一点張りなのである。オカルトに対する敵対,嫌悪の感情があちこちで噴出し,文章はあまり論理的とはいえない。占星術がついに科学的に証明されたとのたまう占星術師と,そんなのは嘘である,科学こそ実際に証明されているという彼と,両者の違いは一体何だろうか?ミイラ取りがミイラになってしまっている。とにかく,非常に底の浅い内容であった。
 もう読み返す気も失せたが,彼が昔に書いた啓蒙書も,同様の論調だったのだろうか。子供のころに見た,彼のテレビでの発言内容もこの程度だったのだろうか。そうだとしたら,疑問に感じるどころか,むしろ英雄視してしまった自分が悔やまれる。子供だったから仕方がないのだが。
 アマゾンで,本書についての書評を見た。好意的なものが多いことに,愕然とした。それ自体オカルトめいているオカルトバスターの主張に,なぜいい大人が「我が意を得たり」とばかりに納得してしまうのだろう。こういう人々は今たまたま科学を支持しているだけで,一歩間違えばオカルトに傾斜していてもおかしくない。何かのきっかけで科学不信に陥れば,簡単に離れていくのではないか。
 考えてみればこれは当然なのだ。大衆受けするのはいつだって,正論ではなくて分かりやすい主張だ。テレビや新聞でとりあげられるのは決まって,底が浅くて歯切れのいい論調,緻密ではなく威勢のいい文章である。いや,主張が分かりやすいだけでは足りない。その内容が,多くの人にとって聞いて心地のよいものであることも重要だ。今は科学が社会に広く認められているから,多くの人は科学を支持しており,大槻教授に賛同する。結論として賛成なので,論理構成はともかく納得してしまう。権威づけされた気がして心地よいから,それでも別に構わないのだ。少年時代の私もまさにそうであった。つくづく子供は未熟である。
 これをそのまま裏返すと,大槻教授が批判するなんとかカウンセラーとか占星術師は,すなわち信奉者にとっての大槻教授であるということだ。いやこちら側の方がもっと魅力的である。テレビや雑誌で活躍する彼らは,「あるがままのあなたがいい」とか「お金に執着するのは悪じゃない」とかいう聞いて心地のよい結論を,ドラマチックな演出をまじえて提供する。視聴者の多くはこのような結論に賛成であろう。それを「論理構成はともかく」で納得してよいとしたら,分があるのはどうみてもオカルト側だ。本書をうのみにすることは,オカルトをうのみにすることとほとんど等しい,と私は思う。
 だから,彼の論理でオカルト信奉者を科学側へ奪還することはおぼつかない。それどころか,彼の論理によれば逆に科学からオカルトへの転向がますます促進されてしまう。なにしろこの本にはオカルトとは何で,科学とは何であるかの考察が皆無なのだ。怪しいかそうでないかという多分に主観的な区別だけでは,科学の衣をまとった誇大広告の類はもちろん見抜けないし,古今東西,オカルトでなく科学の方を怪しむ人々だってわんさかいるのだ。大槻教授は科学者にオカルト打倒を呼びかけるが,もう少し論法ややり方を考える必要があるのではないだろうか。
 このあたり,科学哲学という学問がかなり貢献できるのではないだろうか。御興味のある方は下のような本がおすすめ。二冊目など,高校生でも十分読める。ただどうしてもとっつきにくいかもしれない。もっと一般的なところでは,池田清彦が科学についてなかなかいいことを書いていると思う。
 問題は,オカルトにはまるような人はこの種の本はまず読まないということだ。やはり社会(主にマスコミ)を変えていかなきゃならんのだろう。オウムの教訓がたちまち忘れられたという歴史にあるように,マスコミの自浄作用に多くを期待するのは難しい。外からマスコミを変えるとなると冷静な論理の話でなく,声の大きさがものをいう政治的な話になってくる。――おや?そうすると,大槻教授も案外いい仕事をしているのかもしれないなぁ。

伊勢田哲治「疑似科学と科学の哲学」2003 名古屋大学出版会
戸田山和久「科学哲学の冒険」2005 NHKブックス
内井惣七 「科学哲学入門」1995 世界思想社
サミール・オカーシャ「科学哲学」2008 岩波書店
プレスリリース

地球温暖化は擬似問題? [2009年01月16日(Fri)]

 世界的不況である。これを打開すべく,これからは環境ビジネスに活路を見いだせという威勢のいい言説がよく見られる。地球温暖化防止など環境問題の解決手段を新たな成長産業にしようというのである。F.ルーズベルトのとった政策になぞらえてグリーンニューディールと呼ぶらしい。
 地球温暖化問題は,政府とメディアが大規模キャンペーンによって世間に流布し,もはや常識となった観がある。しかし,その根拠を疑う人も少なくない。池田清彦,赤祖父俊一,伊藤公紀,丸山茂徳,武田邦彦,槌田敦,薬師院仁志,近藤邦明,養老孟司といった人々が,一般向けの本で疑念を表明している。そんなあまのじゃくな意見,真に受けるのはいかがなものか,と思われるかも知れないが,読んでみるとなかなか筋が通っていて説得力がある。懐疑論者の多くが科学者である点でも,擬似科学やスピリチュアル系のトンデモ本とは異なる。
 炭酸ガスの排出を削減して温暖化を防止しよう!という国民的キャンペーンは,しばらく前の官製クールビズ運動で盛りあがり,京都議定書の対象年に入った昨年から急速に強化された。テレビもNHKを筆頭に環境問題を取りあげる番組が多く組まれ,氷河の崩潰の映像など,まるで定番BGMのように各局で飽きるほど流される。「クローズアップ現代」などは環境関連がテーマの回にはスタジオの照明を落とし,視聴者の深層心理に訴えてまで「啓蒙」につとめている。暮れにはエコのためと称し教育テレビの放送時間を短縮することまでやってのけた。主な情報源はテレビと新聞,という善良な市民の耳に,懐疑論はほとんど聞こえてこないはずだ。
 気温上昇,氷河の後退など,温暖化の証拠として,様々な現象が挙げられている。しかし,我々が目にするそれらの証拠とは,報道機関というフィルターを通って流れてきたものにすぎない。この場合,温暖化に疑問を差し挟むような現象が報告されることはほとんどない。たとえ,平均すると地球が温暖化しているのが事実であるとしても,地表全体が一様に暖かくなるわけはない。地域間でばらつきがあるはずで,中には寒冷化している地域だってあるはずだ。そういった情報も入ってきてよさそうなものだが,フィルターを通過しないのである。だから報道は事実よりずっと深刻になっている。そしてどんな情報も,何度も執拗に流されれば,次第に真実として受けとめられていく。
 実際には地球は温暖化していないかもしれない。定点観測をしていても,近くにビルが建ったなどの測定地点の環境変化で,測定気温は簡単に上昇する。世界中に散在する観測点の中には,きちんとした管理がおこなわれていないところも多い。温暖化でハリケーンが増えた,というような言説もあるが,観測技術の進歩により,今は上陸しないハリケーンもカウントできるようになっている。「それでも個人的な体感として,年々温暖化している気がする」というのは,一方的な情報を長期間浴びたための錯覚であろう。人の抱く印象など簡単に操作できる。
 例えば,氷河が海にたどりつけば崩潰するのは当り前である。まさか氷の帯としてつながったまま海の上を漂うわけはあるまい。それなのに,温暖化の警告とともに繰りかえしそれを見せられると,多くの人が,それが温暖化の影響によるものと誤信し,恐怖を抱く。一時期センセーショナルに報道されたツバルの水没も,原因は開発による地盤沈下で,温暖化の影響はほとんどないということがすでにはっきりしている。この点は反懐疑論者も認めているが,例によって誤報は大々的に訂正されることはなく,まだ信じている人が多い。「不都合な真実」で取りあげられて話題を呼んだ,永久凍土の融解で傾く家屋も,単に暖房によって地表面が融けたにすぎないそうだ。
 より根源的な疑念,すなわち温暖化はそもそも悪いことかという疑問もある。炭酸ガスが濃くなることも,温暖化することも,作物の生育にはむしろプラスである。個々の作物の耕作適地は移動するだろうが,それが嫌だというのは単なるワガママだ。世界の人口を平和裡に養うという大局的視点から,もっと柔軟に考えなければならない。温暖化による沙漠化が言われるが,海からの蒸発量が増えるから逆に降雨は増えるという説もある。
 懐疑論者が一致して批判するのは,地球温暖化の議論は極端に単純化されているという点だ。ものを燃やせば炭酸ガスが出るという疑う余地のない科学的事実から出発し,人間の活動で炭酸ガス濃度上昇→温室効果で気温上昇→氷の融解,異常気象の頻発。確かに子供でもわかる内容だ。しかし気象というのはものすごい複雑系である。気候変動には,炭酸ガスだけでなく,太陽活動の変化や雲量,海流,火山活動をはじめ,様々な要因が影響してくる。近年炭酸ガス濃度が増えてきているのは概ね事実のようだが,海水中の炭酸ガスは温度が高くなると大気中に放出されるから,炭酸ガス→温暖化とは逆の因果関係で,そうなっているのかもしれない。温暖化の主原因が人間活動による炭酸ガスであると決めつける根拠は乏しい。
 現に,産業革命以前にも地球は寒冷化温暖化を繰りかえしてきた。コンピュータが計算した五十年後,百年後の気温分布などをカラー画像で見せられるとつい危機感を持ってしまうが,シミュレーション結果は現実そのものではない。シミュレーションで採用される気象モデルは,原理的に不完全なものである。なるべく良いモデルがつくられるのは当然だが,気象に影響する全要因を盛りこむことはできないから,簡略化がなされる。モデルのパラメータをいじることで過去の気候変動を説明できるようにし,それでもって未来の気候の予測をしようというのだから,精確というわけにはいかない。
 百歩譲って人為的温暖化論が正しいとしても,温暖化対策の中には,費用対効果の面で問題があるものが多い。それどころか,一見炭酸ガス削減になるようで,そもそも逆効果である施策もかなり見受けられる。クールビズで冷房を緩めて温暖化防止,というのもそうだ。クールビズ商品の開発・製造でも,それを売って儲けた金でなされる消費や投資でも当然炭酸ガスは排出されるが,そこまでは考慮されていない。本当に温暖化が防止したければ,「クールビズ商品を買いましょう」でなく,「今ある服で薄着しましょう」と呼びかけるべきだった。ほかにもある。ある飲食店が牛肉をアメリカ産から国産に切りかえて,輸入時に排出される炭酸ガスを削減した,という事例がNHKで紹介されていた。牛の肉よりその牛が食う飼料の方がずっと重い。逆に炭酸ガス排出量は増大するのではないか?
 懐疑論が,学会や科学雑誌でとりあげられることはほぼない。槌田によると,論文を投稿しても自動的にはねられるそうだ。これは,時流に乗った研究のほうが社会に受け容れられやすく,したがって研究費がつきやすいということと無関係ではないだろう。学会という組織としては,合理的な行動である。結果として,専門家の間でも地球温暖化問題には異論がないというイメージができあがっている。自然,専門外の科学者が一般書で疑念を表明するくらいしかなされないことになるが,これに対して専門家から十分な反論がなされているとはちょっと思えない。ある温暖化対策推進派の学者が,懐疑論に目も通さずに懐疑論を批判している文章をネット上で読んだ。無価値な本は買わない主義だそうだが,こういうのを曲学阿世というのだろう。
 懐疑論に随分肩入れするが,もちろん,新エネルギー開発や省エネの取りくみが悪だというわけではない。そのような取りくみで経済を上向けようという政策も,目的は正当だろう。しかし,こと環境問題に関しては,権力者が嘘を方便として大衆操作をしている感じが否めない。「エコ」を錦旗として様々な企業が売上を伸ばし,環境庁は省に昇格した。いま指導者が掲げるのは皆が賛成するキレイゴトだが,真の目的は経済という目先の問題解決。大いなる偽善ではないか。大義があれば手段は問わず,細かいことは気にしないという政治姿勢は,過去何度も糺弾されてきたはずだ。それが目立たぬ形でこんなところにひそんでいる。
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あたらしいヘリポクター ―音位顚倒 [2008年12月21日(Sun)]

 三歳の長女は「ヘリコプター」のことを「ヘリポクター!」と言う。「違うよ,ヘリコプターだよ」と注意してもなかなか直らない。ゆっくりなら「ヘ・リ・コ・プ・ター」と言えても,普通に言うとやはり「ヘリポクター」。「タケコプター」も「タケポクター!」になってしまう。ほかにも発音上の間違いは多く,「ほうれんそう」を「ポーレンソー」,「~ごっこ」を「~ぼっこ」,「ほっぺちゃん」を「こっぺちゃん」など。文法上の間違いもよくあり,「食べさせて」からの類推で「読みさせて」,「書きさせて」などと頼まれることが。子供はよくこのような言葉の間違いをおかす。観察しているととても面白い。
 となりのトトロで,三歳のメイが「とうもろこし」のことを「とうもころし」と言う。「ろ」と「こ」の位置が前後している。「くつした」のことを「つくした」などは,妻も小さい頃間違えていたそうだ。ほかにも子供の発話では,「おくすり」が「おすくり」,「ハンバーガー」が「ハンガーバー」,「おかたづけ」が「おたかづけ」になることも多いらしい。
 音の位置が入替わるこの現象は,言語習得中の子供に限らず,もっと広く見られる。大人でも,「舌鼓」を「したづつみ」と言ったり,「雰囲気」を「ふいんき」と言うことがある。このような現象を,言語学では音位顚倒とか音位転換と呼ぶ。顚倒のしやすさにはある程度規則性があり,同じ母音を持つ,隣接するモーラ(拍)間で特に顚倒が起こりやすいという。確かに,「ろ」と「こ」は母音を共通にするし,「つ」と「づ」もそうである。「ん」と「い」はそうでないが,隣接する音が交替している点は共通する。
 長女の「ヘリポクター!」も音位顚倒である。「コ」が「ポ」になって「プ」が「ク」になっているので一見違うようだが,母音はそのまま,子音の「k」と「p」が入替わっている。この点,「とうもころし」も実質は「r」と「k」が入替っただけだ。字がまるごと入替っているように見えるのは,母音が共通しているからにすぎない。
 上に見た「ヘリポクター」や「とうもころし」,「ふいんき」はどれもただの間違いとされている。しかし,音位顚倒が定着して,顚倒した形が正しくなってしまった語もある。言葉は社会的取り決めであり,間違いが定着すれば,そちらが正しくなるのである。百姓読み然り,かなづかい然り,戦後略字然り,言葉は理窟ではなく,「現にどのようにおこなわれているか」なのだ。顚倒が定着すると,もちろん本来の形は間違いになる。ただ,古い形の面影がどこかに残っていることも多い。
 定着した音位顚倒には,「山茶花(さんざか)」→「さざんか」,「しだらない」→「だらしない」,「brid」→「bird」(英語)などがある。「山茶花」をなぜ「サザンカ」と読むのか以前不思議だったが,疑問が氷解した。このほか,「秋葉原(あきばはら)」→「あきはばら」を定着した音位顚倒に数える人もいるが,これは少し怪しい。別に秋葉原を「あきはばら」と読めなくはないのだから。連濁の起こる位置がかわっただけで,山茶花などとは別だろう。また,「だらしない」などは,無意識の間違いが定着したというより,意識して一種の隠語として使われていた形が,庶民にひろまった可能性もあるそうだ。つまり,「寿司」が「シースー」に取って代わられたようなものらしい。
 定着した音位顚倒の代表選手は,なんと言っても「新しい(あたらしい)」である。この語の古い形は「あらたし」であった。末尾に「い」がついたのは全ての形容詞に共通する変化だが,この語では「ら」と「た」が交替している。「新たに導入する」,「気持ちを新たに」などの表現に,古い形が音位顚倒を受けずに残っている。昔分岐した兄弟語にも顚倒前の名残がある。現在「新しい」とは別語と感じられる「改める(あらためる)」も,もとは新しくするという意味で,「あらたし」から派生したものだ。
「あらたし」→「あたらしい」の変化のとばっちりを受けた言葉がある。古語の「惜し(あたらし)」である。「あたらし」は「あらたし」と全く別の語で,惜しいという意味であった。本来なら,こちらの「あたらし」が現代語の「あたらしい」になるはずであった。しかし,平安時代に,新しい意の「あらたし」が「あたらし」に変化してしまったために,もともとの「あたらし」が駆逐されてしまった。今,本来の「あたらし」は,「あたら若い命を無駄にした」などの言い回しに微かにのこっているだけ。このように音韻変化により同音の語が衝突を起こすと,その状態は不安定となり,早晩より優勢な語が他を排する。劣勢な語は消えてしまうか,あるいは音韻変化を起こして同音衝突を回避する。元祖「あたらし」は,こうしてほとんど消えてしまった語彙なのである。
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プロフィール


あつあつグラタン

千葉県在住、都内在勤の二児の父。
愛車はイプサム(11年式)

仕事と子育てのほかは、
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最近は新書を中心に平均月二十冊ほど。
興味のあるジャンルは、歴史・言語・思想・地球科学…

好きな番組 … NHKスペシャル・クローズアップ現代・その時歴史が動いた・知るを楽しむ歴史に好奇心・しばわんこの和のこころ
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